1.プロローグ 冤罪
「見損なったぞ、アリアテッサ。まさかお前に王都追放を命じる日がくるとは思わなかった」
冷ややかな目でこちらを見下ろし、無情に言い放つ亜麻色の髪の青年を、わたしは呆然と見上げる。
「この大嘘つきめ、おとなしい素振りで僕を騙していたな。お前との婚約はなかったことにする。国家の宝である聖女に仇をなす女と結婚などできるものか」
まるで、初めて会う人みたい。
鳶色の瞳を見上げながら、本気でそう思った。
ウィルヘルム殿下。
このダルトア王国の第二王子にして、わたしの婚約者――いや、婚約者だった人。
彼のこんなに歪んだ顔、今まで見たことがない。
かといって、満面の笑顔を向けられたこともない気がするけれど。
ウィルヘルム殿下の傍で、ひとりの女性が泣いている。
銀色に輝く髪に覆われた細い肩を震わせ、大きな瞳いっぱいに涙を浮かべて。
聖女リズライン――わたしの双子の妹。
その美貌から『白銀の聖女』と呼ばれ、この国の民すべてから敬われる彼女は、泣き顔さえも美しい。
「ごめんなさい、お姉さま。でも、もう耐えられない。わたし、お姉様が怖い……」
「謝ることなどないぞ、リーズ。悪いのはアリアテッサだ。聖女である君を苦しめつづけ、とうとう亡き者にしようと企むとは」
かつてわたしに求婚した人は、そう言って妹の肩を抱く。
しかも彼はいま、妹のことを「リーズ」と親しげに呼んだ。
(いったい、何が起きてるの?)
突然、謁見の間に呼び出されたと思ったら、ウィルヘルム殿下の護衛の騎士たちによって床に組み伏せられた。
そのうえ目の前では実の妹が、わたしの婚約者だった男性と身を寄せ合っている。
悪い夢だとしても酷すぎる。
はやく、はやく醒めてほしい。
「ご……誤解です! わたしがリズラインにそんなことをするはずありません」
「見苦しいぞ。リーズ本人が僕に訴えてきたんだ、お前に命を狙われている、このままでは殺されてしまうと」
「ウィルヘルム殿下、どうかお聞きくだ……」
「気やすく名を呼ぶな!」
震える声で発した抗議は、冷たくはじき返される。
「お前のしたことは国家反逆罪だ。国の宝である聖女に危害を加えるなど、本来なら死に値する。リーズの頼みだから修道院送りで済ませてやるんだ、妹の優しさに感謝するがいい」
「そんな……なにかの、間違い……」
わたしが前々から、リズラインに嫌がらせを続けていたなんて。
そればかりか、彼女の飲み物に毒を入れて殺そうとしたなんて。
嘘。
ぜんぶ、嘘だ。
(リーズ、どうして突然そんなことを言い出すの?)
姉妹としてだけでなく、あなたは聖女、わたしはその付き人として、幼い頃からずっと一緒にいた。
あなたが聖女として憂いなくこの国を護れるよう、微力ながら支えになりたいって、心から思ってた。
訴えたいのに、言葉が出ない。
喉に熱い何かがつかえて、苦しい。
「連れて行け」
吐き捨てるようなウィルヘルム殿下の声。
衛兵が二人、両側からわたしの腕を掴む。
捻り上げられた腕が痛い。だけどもう、言葉も出ない。
強引に連れ出されながら、わたしが最後に視線を向けたのは、婚約者でなく妹の方だった。
ウィルヘルム殿下の背中に体重を預けるように立っているリズライン。
目と目が合って、そして一瞬で理解した。
わたしは陥れられたのだ。
そして、それは他でもない、リズラインの意志によるものなのだと。
わからない。なぜ彼女がそんなことをしたのか。
そんなにも疎まれ、憎まれた理由もわからない。……でも。
ウィルヘルム様の背後で、妹は笑っていた。
同じ顔の双子とはとても思えない、ぞっとするほど美しい笑顔で。
(リーズ……!!)
リズラインの形の良い唇が、音のない言葉を刻む。
彼女は、確かにこう言った。
『だいすきよ、おねえさま』と。
「どうして……!?」
絞り出した声を遮るように、豪奢な扉が目の前で冷たく閉じた。