第弐拾捌話 陸
ここまで父と話したのは、初めてのことだった。
そして一夜明け、竹中さんが運転する車で、お母さんの実家へ向かう。
「昨晩、言っていなかったことが、あるんだ」
「何ですか?」
「国籍をイギリスに移そうと、思っているんだよ」
「それは、ご自身で決める事ですよね?」
「一応、僚に聞いておこうと、思ってね」
「貴方のお好きなように、やってください」
そして沈黙の間。何か話さなきゃいけないとか、そういうのは考えてない。
「食事の後、宏昌と卓球したんだって?」
「しました。久しぶりでしたけど、まぁ、出来るもんですね」
「楽しかった?」
「はい」
「そっかそっか。いつか、一緒にやりたいね」
「そんな日が、来るんですかね」
「一応、僕だって元卓球部だよ? イギリスでも少しやってるんだ」
「それなら、今日。貴方が日本にいる間に、一度やりますか?」
そう言っても、スケジュールは詰まっているはず。
お参りの後、すぐ東京に行く。
「竹中。東京へは、夕方だったかな?」
「夕方ですね。お参りの後に、少し時間がありますよ」
「じゃあ、決まりだ。どこかでやれそうな場所……」
そう言ったって、今は夏休み真っ只中。体育館が空いているとは、到底思えない。
「小谷さんに頼んで、台とラケットセットを借りれば、良いんじゃないですか?」
「ホテル内でやるの!? それもアリだけど、本気出せないよ?」
「本気でやるような、レベルじゃないでしょう」
「そうだけど、うーん。そうだね。後で宏昌に、連絡しよう」
これで、話は決まった。気づけば、車はとある二階建て一軒の、広い庭に停車。
ドアが開き、昔懐かしい感じのする、ノスタルジックな一軒家が。
降りた時に感じた、小石の感覚。ザクザクと、歩く度に聞こえる音の心地よさ。
「ごめんください」
父が玄関を開けて、声を掛けると、奥の方から女の人声が、聞こえてきた。
「はい」
出てきた人は、淑女という言葉が似合う、そんな上品な女の人。
「ご無沙汰しています。お義姉さん。花里幸治です。この子が、息子の僚です」
「はじめまして? 僚です」
「ようこそ。花里さん。ご活躍は、風の便りで聞いていますよ。それと、君が僚くんね。生まれてすぐに、会っているのだけれど、分からないわよね。どうぞ、中へ。四十九日は終わっているので、お骨はここには無いけれど」
仏間に案内され、御霊前とお花を渡し、僕たちは仏壇に向かって、手を合わせる。
遺影のお母さんは、元気そうで、笑顔だった。
「あの。お母さんの、この写真。遺影のお母さんは、元気そうですね」
「それは、乳ガンになる前の写真なの。この写真を撮った後に、ガンが見つかって」
笑顔のお母さんの遺影を見ても、僕の中のお母さんは、こんな表情ではない。
「僕の記憶の中のお母さんは、笑っていても、疲れていたり、悲しそうだったりで、こんな笑顔ではありませんでした」
「あの頃は、花里さんも夏穂も、すれ違っていた時期でしょう。仕方ないのよ」
「僕は、何も知らないままです」
「夏穂に言われていたの。僚くんには、何も知らせないでって。悲しませたくないって」
「そうでしたか」
お母さんの記憶は、断片的にしか覚えてなくて、年々、その記憶が消えていっている。
ただ覚えているのは、悲しそうな笑顔だったり、疲れを隠しきれていない、そんなお母さん。




