第弐拾話 陸
キノカサが何処かへ飛び立つと、橘先生は人間の姿に戻って、そのまま呆然としてしまった。
「先生、大丈夫ですか?」
「大丈夫。あの紋様、人間の姿になると、消えるようだね」
ガクン。と、膝の力が抜けてしまった橘先生。
「アハハ。カッコ悪いとこ、見せてしまったね。もう、始まったようだ」
「始まったって、まさか……」
「僚、斑牙を呼んだ方がいい」
「わかった。斑牙、召来」
ボワンと煙がたつと、斑牙が姿を現した。橘先生を見るなり、一言。
『黒羽の妖の制裁が、行われているようですね』
「斑牙、なんとかならない? 僕たちの先生なんだ」
『申し訳ありませんが、この方は黒羽の半妖。罪を犯してしまったのであれば、私はどうすることも出来ません』
「それなら、俺たちが出来ることは?」
『ありません。何も。制裁が終わるまで、何も出来ません』
「そんな……。斑牙、戻っていいよ」
『それでは、失礼いたします』
斑牙が紙人形に戻っていったのとほぼ同時に、橘先生は気を失い、倒れてしまった。駆け寄った私たちには、何も出来ない。タイミングよく、キノカサが何かを手にし、戻ってきた。
『気を失ったか。これで黒羽の大将の末裔とはな』
「キノカサ! 先生を助けて。お願い!」
『無理だ。ミノアサは、犯してはならぬ罪を犯した。黒羽の妖ならば、種族の戒めに遵守する決まりがある』
「そんなこと、言ってる場合じゃないよ! このままだと、死んじゃう!」
騒ぎを聞いていたヒサギと妙月様が、こちらへ。竹籠の中には、青々とした笹の葉がぎっしり。
『案ずるな。死にゆく間際に、俺がなんとかしてやる』
「そっか、ヒサギなら魂を戻せるんだよね! 私の時みたいに!」
「ヒサギ、見直したよ!」
『もう少し、誉め称えてくれていいぞ』
『どうする、キノカサ。いざとなれば、主従関係によって、我がそなたに、罰を与えることも出来る』
『その時はその時だ。受け入れよう』
徐々に橘先生から、焼けた羽が現れてきた。半妖だからか、焼けた臭いはしない。
『カレササは、黒羽の大将だった。いつの日だったか、人間に恋慕の情を抱き、大将の座を降りた。その後は、とある桜の木の、桜守になったとか』
「半妖は、人間と妖の名があるのか?」
『生まれた子どもに、二つ名を名付けたと聞く。それが、代々に伝わったんだろう』
再び雲が太陽を隠し、ポツリ、ポツリと再び雨が降ってきた。倒れてしまった橘先生を、どうにかしなければ、人間の世界では問題になる。
「本降りにならないうちに、紅蓮荘の中に運びたい。制裁は受けているんだ。それくらいはいいだろ?」
『ここは、人目につかぬ場といえど、人間界では問題になるらしいな。まぁ良いだろう』
『我が運ぼう。響希、この籠を任せたい』
妙月様が、竹籠を響希君に預けると、いとも簡単に、ヒョイと橘先生を担ぎ上げた。重くないのかな。
「妙月様。重くないですか?」
『案ずる必要などない。人間だった頃に、この男以上の重さの物を、担いでいた。この男など軽いわ』
『妙月殿は、剛力であったか』
『腕力だけは、他の修行者には負けぬ。ヒサギ殿は、どのような修行を?』
『法力の修行を少々。あと、念力も身に付けた。木陰様は修行僧として、俺に教えを説いて下さった』
ヒサギと妙月様はこんな状況でも、楽しそうに話している。キノカサに至っては、何処かで手に入れた豆のお菓子を、何事もなかった様子で食べている。




