十月十四日 Another ソゲキシュ
十月十三日
夜、光のない新月の闇を切り裂いてグレイホークを操縦する。
途中で見つけた町はものの見事に地下に水が浸食したせいか崩壊し、物資も碌に残っていなかった。早めに見切りをつけて移動に時間を費やしているが、周囲を警戒しながらなのであまり速度を出すことは出来ない。
グレイホークの移動速度はその気になれば戦闘機以上なのに、と思い、ため息をつく。
「よくよく考えてみれば馬鹿な話だよなぁ。文明があった頃なら空港からジェット機に乗れば沖縄まで一、二時間で行けたのに、なんでジェットより性能の良いモンに乗っててこんなに南に辿り着かないんだよ……」
別に高高度を高速で移動してもいいと言えばいいのだが、離着陸の際に地上から丸見えなので狙撃されるとか、空中で飛行ガイストに出くわしたらドッグファイトに発展するとか、移動速度が速すぎると音でターミネイターを引き寄せてしまうとか、微妙にリスクを背負わなければいけない。
特に、視覚的に発見されるというのはこの世界では結構な不利だ。
レーダーには映らずとも高性能なカメラに映ればガイストもターミネイターも感知してしまう。
そしてガイストは障害物さえなければかなり遠距離まで360度常に感知可能だ。
雲の上まで突き抜ければそうでもないかもしれないが、そうすると今度はこちらが地上の様子を覗えなくなるので降り時が難しい。
「でも背に腹は代えられないし、いよいよのときはやるしかないな……」
実際、マサトはその方法を使って海を越えてユーラシア大陸まで行ったのだ。
海上を遠回りに移動すれば案外早く着くかもしれない。
怖がって従来通りの移動法に拘り続けることが正しいとは限らない。
このグレイホークだっていつまでも乗っていられるとは限らないのだから。
「そろそろ着陸して飯食った方がいいかな……」
どれほど乗り物が優れていても、操縦者は定期的に食事をして寝なければならない。
病院にかかれないこの世界で、俺は生活サイクルを狂わせないことをなるべく大事にしている。
無理しすぎると立て直すのが大変で、風邪など引こうものなら余計に大変だからだ。
この世界ではおかゆ一杯手に入れることでさえ困難なのだから。
レーダーに目をこらしつつ次第に高度を落していくと、両脇をちょっとした山脈に挟まれた一本の巨大なレールのような地形に辿り着く。山と山の間には相応に大きな川が流れており、先だっての雨の影響か大分濁っているようだ。
――特に明確な理由はない。
ただ、見晴らしの良いこの地形を目にし、そこに近づいてしまったと気付いた瞬間、なんとなく嫌な予感がしてコーティングによる防御を強化した。
それが恐らく、生死を分ける判断だった。
グレイホークに強烈な衝撃が走り、視界が揺れた。
「ぅあッ!? そ、損害報告……!?」
グレイホークの左腰部に被弾、破損。
腰の駆動部に深刻な問題が発生、要修復。
誰かに撃たれたと判断し、咄嗟に機体を右に旋回させる。
しかし、またもや着弾。
今度はレドームが吹き飛ばされた。
「~~~ッ!!」
恐らくはライフルによる長距離狙撃。
易々と当てられたことからして、完全に地の理を取られている。
レーダーを潰されたせいで索敵もままならないが、とにかくまずいとフレアチャフをばら撒くと、三度目の被弾。補助ユニットと翼の一部の破損が告げられ、自分を叱責する。
「フレアチャフとか馬鹿か俺は! 自分の居場所を知らせているようなものじゃないか!」
一気に高度を下げて下方の川目がけてマイクロミサイルを三発発射。
地表に命中して木々が腐葉土ごと弾け飛んで宙を舞う、その中に機体を滑り混ませる。
三度の攻撃から相手が撃ってくる角度だけは分かっていたため、物理的な目眩ましで一瞬でいいから時間を稼ぐ。そしてジャマードローンを即座に展開して更に目を眩ます。
「もうコーティングを強化出来ない……! イナーシャルシールドで上手くコクピットだけ守りながら撤退できるか――」
直後、機体に弾丸が直撃してグレイホークの左肩が腕ごと吹き飛んだ。
ジャマードローン全てを無視し、本体を直接攻撃してきたのだ。
理解が追いつかない。
何故こんなにも正確にこちらの動きを予測出来るのか。
しかし迷っている暇などない。
「くっそ、前に地元に帰ったときとおんなじかよぉぉぉぉぉぉ!!」
悔しさの余り絶叫しながら強引に機体を着地させ、コクピットを解放。
そのままリュックを背負って地上に飛び降りた。
頼もしい旅の友、グレイホークとのお別れだった。
直後、背後で爆発。
身体に衝撃が走り、爆発でめくれ上がった森を転げ回る。
軋むような痛みが走る中、歯を食いしばって立ち上がると上空から見下ろした風景の記憶を頼りに走る、走る、走る。背後のグレイホークがどうなったのかを確認する時間さえ惜しい。途中で自分の身体に鋭い破片が突き刺さっていることに気付いてキーグローブで確認しようとするが、装備していたBランクキーグローブも纏めて破損していることに気付き、大きな木の陰に滑り込む。
身体補助機能はとっくに切れており、アドレナリンだけで保っていたようだ。
流石に生身になって、しかもこれだけ離れれば狙撃されることもないだろう。
周囲にターミネイターの影がないか最低限確認し、リュックを開けて再生液の入った容器を取り出す。
「これ、絶対痛ぇよな……でも……!」
冷静に自分の肩寄りの胸部に突き刺さった破片を見やる。
今は刺さったことで破片が血管の蓋をしているが、抜けば派手に出血するだろう。
抜いた瞬間に自力で再生液をかけて傷を治すしかない。
ナイフで刺された時と違って自分で引き抜かなければならない恐怖と暫く向き合い、集音マイクで声を拾われないためと痛みに耐えるためにリュック内から取り出した日記を噛んで食いしばる。口にフィットする丁度良いサイズに今だけ感謝して、破片に手をかけた。
「ふっ……ぐぅ、ううううううううううううッッ」
くぐもった声とともに、勢いをつけて破片を抜き取る。
身体が爆発したような痛みに全身が総毛立ち、脂汗が噴出する。
強烈な痛みに手元が震えるが、耐えて再生液を傷口に塗り込んだ。
「ッは! はぁ、はぁ、はぁ……」
出血は次第に収まり、傷の治療はなんとか終了した。
涎のついた日記を口から外し、食いしばりの余り出来たくっきりとした歯形に我ながら呆れ、涎を拭き取って鞄にしまう。
代わりに鞄から取り出したのは、予備で所持していたCランクキーグローブ。
装備はするが、恐らく登録したホルニッセを呼び出せばその瞬間に狙撃される。
身体補助機能で軽くなった身体で立ち上がり、川を目指す。
「はぁ……マジ、ない。ストレス発散に叫ぶことも我慢しなきゃないんないのマジでひどい」
冬に備えて蓄えた食料、水、その他諸々の装備、エネルギー、それらを全て格納したガイスト――安定した日々が、一つの不注意で全て消し飛んだ。
涙が出てくるが、視界を遮るので拭い去る。
これが今の世界で、命があるだけラッキーなんだ。
必死に自分にそう言い聞かせ、川岸に出る。
「今は夜、視界は最悪、周囲は山に囲まれてるこの地形で遭難せずに脱出するには川の下流まで行くしかない。敵はこの山を通る相手を狙撃していると思われるので海まで出ればなんとかなる、ん、だけど……遭難時の川下りって遭難者がやっちゃいけないムーブだって聞いた事あるなぁ……」
悪天候による川の増水、崖に辿り着くリスク、理由は色々あった気がするが全ては覚えていない。ただ、ここでじっとしていても山に登っても救助のヘリなど絶対に来ない以上、リスクを承知で行くしかない。キーグローブの身体補助機能があるとはいえ、慎重に、慎重にだ。
鞄の中には予備に食料を詰めているが、いざというとき嵩張らない為に少量に抑えてある。
とにかく今は少しでも早くこの危険地域を脱出しなければおちおち眠る事も出来ない。
今夜は徹夜確定になりそうだ、と内心ごち、足に力を込める。
「あぁ、こんなことになるならマグナムの試射しときゃよかった。浄水装置ももっと使えばよかった。てかルート取り間違えた。あーダメだ、ネガティブになるな。全部不毛だ、不毛……」
無駄だと分かっていても、取り返しの付かない失敗をした人間は過去のたらればを何度でも振り返る。それを振り払うため、ただただ歩くことに集中した。
◆ ◇
その男は狙撃ライフルからガイストの手を放すと、記録された映像を見返す。
そして、撃墜の直前にコクピットから飛び降りる影を見つけて唸る。
「……もしかして、ガイスト捨てて逃げたか?」
口調は軽く、中学生くらいの若さだろうか。
ひゅう、と口笛を吹いた彼はぱちぱち拍手した。
「いやー参ったなぁ。みんなガイストに格納した資源惜しさに捨てられないのに、二年生き延びてるヤツは違うのかねぇ」
男はガイストの中でうんと伸びをすると、コクピットの後ろからノートを取り出す。
彼はヤエヤマ解放戦線の一人としてここでシャングリアを狙撃する狙撃手だった。
天性の才覚というべきか、彼はいわゆる天才スナイパーだった。
ただ、才能がありすぎて遊ぶクセがあるため、それを直すために一人でここに配備され、それでも敵を全滅させてしまう。そういう才能の持ち主だった。
彼は今回、相応に本気でやった。
なのに失敗したため、ノートに今回の行動と反省を書いていた。
彼は彼なりにヤエヤマ解放戦線として本気で戦っているのだ。
「最初の狙撃をバリアで防がれたのは、直前でバリアの出力が急に最大になったせい。うん、なんでだよ。カンか?」
彼はそこから装備を的確に破壊して確実に仕留める方に切り替えた。
狙撃された人間はこう動く、という経験則から着実に命中させた。
フレアチャフは散布の中心点を狙えば問題なし。
土煙で目を眩ますのはなかなかの判断だった。
その後のジャマードローンは彼にとっては意味が無い。
「ま、流石に相手もこっちがコクピットハッチ開けてスコープで目視してるとは思わねぇよな」
これが、彼が天才狙撃手とされる所以。
彼はガイストのセンサーではなく自分の目を信用して撃ち、そして長距離狙撃を成功させることが出来る。多少ガイストの力を借りてはいるが、本物の銃でも同じことが出来るだろう。だから、ガイストのセンサーを誤認させるジャマードローンは何の効果も無かったのだ。
「そして悪あがきするグレイホークのコクピットを吹き飛ばせたからそれはいいんだが、逃げられたかぁ……連キル記録ストップだ。ちぇっ」
顔も名前も分からない相手のことを考え、舌打ちが漏れる。
別に恨みもつらみもないが、ゲームのハイスコア更新を阻害されたという子供っぽい不満が彼の胸中を渦巻く。そこに、そもそもこれまではコクピットごと貫いてパイロットを粉微塵に変えてきたことへの罪悪感というものは介在しない。
「しゃーねえ、ダメなもんはダメだったんだ。この天才サイジョウ様から逃げおおせたことを末代まで自慢していいぜ、名前も知らない誰かさん」
これが、サイジョウが終末世界で初めて狙った獲物の息の根を止めきれなかった経験となった。
また失っちゃったねぇ。




