九月十日 Another トーキョー
九月十日Another
東京――。
日本を象徴する都市にして、国家の主要な機能が集結した首都。
街頭を行き交う雑多な人の波。
次々に出現しては消える流行。
世の清廉さと醜さが薄い壁を隔てて同時に存在する空間。
まるで国の全てが人の手によって埋め尽くされたのだと錯覚させる摩天楼――それが光り輝く様を直に見ることは叶わなかった。
「世界がこんなことになってなきゃ、10月だか何月だかに一度は来てさ。東京バナナでも買って東京タワー見上げてた筈なんだよなぁ」
初めて見る東京を見た感想は、思ったより都市の形を保っている、だった。
他の廃墟と比較して、もっと崩れていてもおかしくないと思っていたが、倒壊した建物は見当たらない。雑草や苔、木など植物の侵食は若干見受けられるが、元々開発が進みすぎてたからだろうか。
ここに来るはずだった同級生たちのことを思い出し、首を振る。
彼らの誰一人として、この世界では出会わなかった。
ならば、そういうことなのだろう。
「偵察がてら、さっさと観光済ませちまうか」
これだけ巨大な都市だ。当然、東京に行ける場所にいた連中は全員この町を目指すことで社会機能の有無を確認したり、過度に集中した資源を狙っただろう。よって、物資はあまり期待していない。危なかったらすぐに逃げるつもりだ。
今のところ、レーダー類には何も反応がない。
しかし、やけに小綺麗に町が残っているせいか、誰かが見ているのではないかという不安にふと駆られてキョロキョロしてしまう。グレイホークをよさげな物陰に隠し、降りていつものリュックを背負って町に立つ。
ガイストに直接乗っていくより、こちらの方がいざというときの転送で逃げられる。
時折ビル風が唸りを上げる、誰もいない町。
人間がいくら文明を築き上げても、それは地球という巨大な環境から見ればどれほどちっぽけなものかを思い知らされる。それでも、大都市の名残を残す東京の町並みは今は失われた文明というものを思い起こさせてくれる。
地図を頼りに、疾走する。
キーグローブによるパワーアシストの恩恵で、それほど体力消費はない。先の見通しが悪い要所では停止して慎重に先を確認するが、特に問題は見受けられなかった。
途中、破損したビルがいくつか目に入る。
この世界で培われた分析能力によると、戦闘による破壊痕だ。
地上に破壊痕がないのにビルの上部に痕跡があるということは、空中戦ないし空と地上に分かれての戦いだろうか。比較的真新しい傷にも見えるのが気に掛かった。
「こんなでかい町をナワバリにしてるなら、嘆きの塔なり見張りなり、もっと痕跡が残ってる筈だもんな……」
誰もいない有名商店街、二度と催しの起きない施設、静まりかえった市場。
何処を通っても空しさともの悲しさがあるばかりだ。
嘗てこの日本一の人口密集地で様々な物流や情報が行き交っていたというのに、人間がいなくなったというただそれだけの事で、全ての流れが停止していた。コンビニは空。出店には嘗て食べ物であったのだろう黒い何かがケースの底に張り付いている。
いまや世界中の何処にでもある、何も産まなくなった無意味な都市。
しかし――何故だろうか。
「この町に入ってからずっと……何かが……」
大きな音がした気がして振り返っても、何もない。
先ほど見た筈の光景と今見た光景が少し違う気がする。
ずっと、この町に何かがいるような気配がする。
全ては気のせいかも知れないが、ずっと気が落ち着かなかった。
或いは第六感が何かを感じ取っているのかもしれない。
経験上、こういう嫌な予感には従った方がいい。
結果的に何もなかったのなら、それは平和な結果だからだ。
幸い、この寂しい東京観光も残るは東京タワーを見るだけ。
それも帰りがけに通れる。
ゲームでしか存在を知らない『ペナント』とやらでもあれば良いけど、と、冗談めかして自分を落ち着かせながら、気を抜かずに慎重に進む。
東京タワー。
嘗て日本で最も高い電波塔であったそれは、赤と白のコントラストと覚えやすい形状からずっと日本、及び東京の象徴の一つとして扱われていた建築物だ。後に上位互換とも言える東京スカイツリーに電波塔としての役目を譲った後も、その存在感が衰えることはなかった。
エレベーターは当然動いていないが、土産屋はすぐ見つかった。保存性の高いものだけごっそりなくなっているところを見るに、とっくに漁られていたようだ。しかしペナントは誰も目もくれなかったのか簡単に手に入った。今となっては全く意味のない布だが、東京都民でもないのにひどく郷愁に駆られた。
異変に気付いたのは、そのすぐ後だった。
「え……?」
土産屋を出て曲がった先に、それはあった。
否、違う。
何もなかった。
壁も、床も、物も、一切が、まるでゲームのテクスチャの奥に入りこんでしまったかのように、何もなかったのだ。
訳が分からないままその空間に足を踏み出そうとし、咄嗟のところで思いとどまる。一度土産屋に戻って適当なキーホルダーを取ってきて、何もない場所に放り投げてみると、キーホルダーは何事もなく落ちて床に転がる。
肉眼では、そこは何もない奈落のように見えるが、足先でつついてみても床の感触があった。だが、その先に進もうという気持ちは一切湧かなかった。余りにも得体が知れなさすぎるからだ。
この異常な世界の中でも初めてお目にかかるものに、絶句する。
心臓がばくばくと鳴り、第六感が激しく警鐘を鳴らした。
そのまま踵を返し、東京タワーを後にした。
「なにかが……なにかが……」
おかしい、そう口にしてしまうと想像が現実になりそうな気がして、ただ何かあるかもしれないことに気付くのが怖くて、走る。しかし、既にこの世界そのものが嘗てからすると非日常であるように、その異常はすぐに姿を現す。
響く銃声、機械の弾ける戦闘音。
曲がり角から弾け飛ぶように地面を転がってくるターミネイターの残骸に、気持ちが切り替わる。
「ッ!!」
咄嗟に一発も撃ったことのないハンドガンを構えて物陰から確認すると、そこには空に向けて攻撃を発射する夥しいまでのターミネイターがいた。見たこともない中型種もいるが、次の瞬間にターミネイターが突然爆発したように弾け飛んだ。
そらを虚しく通り抜けているターミネイターたちの攻撃が、虚空で弾けたり逸れる。咄嗟にそこに何かいるのだと思ったが、何がいるのか皆目見当もつかない。自分が一度も見つけたことのない、不可視機能のあるガイストかとも思ったが、それならターミネイターを弾き飛ばしている武装まで不可視なのが解せない。
と、全身をぞわっとした悪寒に襲われ、その場を横っ飛びに跳ねて離れる。
直後、大地が抉れた。
音はない。破片も飛び散らない。ただミミズが通り抜けるように大地が静かにくりぬけ、それはビルの一階にあるコンビニに侵入して建物を崩した。
不気味な光景だった。
建物は音を立てて崩れていくが、何故崩れたのかが分からない。普通なら爆発なりなんなりが起きて崩れるであろうに、あの空間でも削り取るように通り抜けた「何か」は何だったのか――そう思いながら大地を削った痕跡を見て、再度驚愕する。
抉れた痕跡が消えている。
では何故あのビルは崩れたのかと思いビルを見やると、今正に崩壊している途中だった筈のビルが元通りの綺麗な形になっていた。
「夢でも見てるのか……?」
目の前で起きたことが信じられずに、思わず崩れた筈のビルに向かう。電力が停止して開きっぱなしになった自動ドア。その奥には商品の失せた棚が並んで――。
「えっ」
入る瞬間には、確かにそれが見えていた。
しかし入った瞬間に待っていたのは、東京タワーで見たそれと同じ、テクスチャの裏側のような何もない世界だった。自分がそのまま奈落に落ちていくような錯覚を覚え、絶叫した。
「うわぁぁぁッ!?」
慌ててコンビニを出ると、また外からは何の異常もないコンビニの内装が見える。試しに顔だけ入り口を潜ってみると、そこは先ほど見たテクスチャの裏だった。手を突っ込んで本来窓がある筈の場所をべたべた触ると、ガラスの冷たい感触がある。
鞄から金槌を取り出してガラスを叩き割った。そして割ったガラスに金槌を突っ込んだまま再度テクスチャの裏の世界に腕を突っ込み、ガラスを突き破った筈の金槌の感触を探す。しかし、そこにはつるつるのガラスの感触しかない。
割れた窓は、一瞬瞬きした瞬間には元の形に戻っていて、金槌は窓から弾かれるように金属を擦る音を立てて歩道に転がる。
再度、崩落の音。気付けば向かい側のビルの屋上にあった看板が弾け飛ぶ。
全く訳は分かっていないが、奇しくもその音が「この場所は危険である」という自覚を取り戻させる。息を吸い込み、吐き出し、身の安全を図るために別の道へ向かう。そして、気付いてしまう。
「……なんなんだよ! 来るときは何も、何もなかったじゃないか!!」
行く道行く道に、ひしめくターミネイターが見えない何かと戦う光景。
嘗て生存者だったであろう白骨死体、千切れたキーグローブ、イミテイターの遺体。
そこには、異常が日常化したこの週末世界でも目を剥く異常しか存在しなかった。
ビルの崩落も道の破壊も、あらゆる角度から弾け飛んでも尚戦い続けるターミネイターも、因果律が滅茶苦茶になったようだった。途中でターミネイターまで銃口を向けてきたが、すぐにそれらは見えない『何か』との戦いに戻っていく。
空中で光が弾ける。
でも音はない。
自分の近くのビルに弾痕のようなものが突如として現れる。
それはもしかしたら自分の鼻先を通り抜けたものかもしれないのに、何も感じなかった。
一秒でも早く東京から逃げなければ、何が起きたかも分からないまま何かに殺されてしまう。恐怖に竦む体に鞭打ち、ひたすらに待機させているグレイホークを目指す。
一つだけはっきりしたことがある。
この都市に入ってからずっと感じていた違和感は、気のせいではなかった。
ここでは、認知できない法則で何かが戦っている。
その「何か」の正体を確かめる術は、自分にはない。
結局、逃げるようにグレイホークのコクピットに駆け込んて全速力でその場を後にした。異常はどうやら東京のある一定の範囲内でしか起きていないらしく、周囲から感じた違和感はなくなっていた。
不可知戦域・東京。
そんな言葉が浮かんだ。
出来ればもう二度とここには来たくないと固く誓った。
ふと、思う。
シャングリアもヤエヤマも東京に興味が無かった訳ではない。
ただ、東京に近づけないために『見ないふり』を決め込んだのではないか、と。
生存報告がてら。
でも今後も暫くは超不定期になると思います。




