七月十三日 Another ナワバリ
自然界は手を加えなければずっと同じ形で残る。
しかし、人の築き上げた文明はたった一年で容易く退廃する。
ガイストの内側から周囲の景色を見て、まるで人間の過ちでも突きつけられような気分になる。亀裂と退廃、反比例して増殖する草木。ゆっくりと、しかし確実に、人の痕跡はこの星から消えていく。
一方で、ターミネイターやイミテイター、ガイストのような訳の分からない存在は時折小規模な設備のようなものをこの地に建造し、利用している。それらの中には生きた人間にとっても有用な物があり、小規模なターミネイターの拠点は格好の補給スポットだ。
よって、ガイストを所持している場合はそうした施設を狙うのが安定した生活になる。
ただ、欲を言えば追加装備が幾つか欲しいところではある。
C級ガイスト『ハウンド』は二足歩行と四足歩行を切り替えるタイプのガイストで、悪路の走破性能が高い代わりに装備出来る武器の偏りが酷い。中でもこのCC型は砲撃が主であり、背中のアタッチメントに射撃武器を装備してこそ真価を発揮する。
同じハウンドでもせめてA型ならヒートクローと頭部突撃角が標準装備されているのだが、C型の標準武装は肩部内臓型のバルカンのみだ。その分射撃武器の精度が高いが、せっかくの走破能力を格闘戦に活かせないのが個人的には不服だった。
とはいえ、ガイスト全般はコクピット内が意外と快適だ。
キーグローブが全てのシステムの動作を補助的にやってくれるため、学のない高校生でも武装切り替えや出力調整、レーダーまであらゆる機能を活かして戦う事が出来る。視界もこの補助機能のおかげで広くなりすぎず、狭くもなりすぎず、感覚的な違和感がない。
「この辺には目立った反応がないか。S型かレドームがあればもうちょい効率いいんだけど……」
誰も聞いていないコクピット内で独りごちる。
一人で行動するようになってから、独り言が日常化していた。
誰も返事しない生活を虚しく感じることもあるが、喋らないとしゃべり方を忘れてしまいそうだ。日記もそうだ。書かなければそのうちまともに文字を書けなくなるだろう。人類文化を残す為のささやかな抵抗と、人は笑うだろうか。
ガイストの装備入手は難しい。
基本的にガイストと武器は別個のコンテナに入っており、狙いのアイテムが手に入るかは完全に運だ。時折ターミネイターに搭載されていた装備が流用出来ることがあるが、そのためには武装だけ避けて撃破する必要があるので余裕があるときでなければ難しい。
見つけさえすれば量子格納していつでも着脱が可能になるだけに、見つけるまでがもどかしい。
と、暫く移動して橋の近くに差し掛かったとき、突如としてハウンドのコクピット内に警告が鳴り響いた。何事かと意識を傾けると、道端に一見して分からないよう設置してあった棒状の物体が視界に入り、ひゅっ、と喉から息が漏れた。
「やられた、ブギーだ!!」
設置型トラップ、ブギービーコン。一定以上の大きさの物体が周囲を横切った際に子機から親機に警告が飛ぶ。使い道は他にもあるが、重要なことは――このブギービーコンはガイスト専用装備であるということだ。
即座にマニュピレータを動かしてビーコンを踏み潰すが、同時に遠くの山陰から高速で接近する機影を検知。どうやらここは既に他の誰かのテリトリーだったらしい。即座に出力をムーヴからコンバットに切り替え、機体が唸るような駆動音を上げる。
無駄だろうと思いつつ、オープン回線を開いて叫んだ。
「待ってくれ! 敵対の意思はない! ここがナワバリならもうここには近づかない!!」
返答はなし。代わりにアサルトライフルと思しき武装による斉射が始まり、咄嗟に躱す。数秒間に亘って二〇〇発近い弾丸が降り注ぎ、大地が脆い焼き菓子のように砕かれ、めくれ上がる。
機体分析結果に思わず舌打ちした。
「『グレイホーク』かよ……!!」
B級ガイスト『グレイホーク』。
タイプ差に関わらず、機動力と飛行性能に特化したガイストだ。
鋭角的なバイザーアイがギラつく顔に、背部の可変飛行ユニットが特徴的で、複葉機にも似た翼が状況に応じて高速変形する。頭部が大きい所を見ると索敵能力の高いS型だろう。
四肢を地に着けて移動するしなやかな肉食獣『ハウンド』に対し、『グレイホーク』は空を自在に飛び回る気高き猛禽だ。しかも相手は飛び道具を持っている。開けた場所では数分と持たず狩られてしまう。
更に執拗な攻撃が来るため川に飛び込む。
普通のガイストなら川の水に足を取られるが、この川は水深が浅い。四足歩行の走破能力があるハウンドなら影響を最小限に抑えられる。『グレイホーク』は翼を近接戦闘形態に変形させ、頭上を通過しつつ旋回して再度アサルトライフルを掃射してくる。
「くそっ、くそっ!! 帰るって言ってるのに何で撃ってくるんだよ!!」
『被害者ぶるな。お前だって今まで殺して生き延びてきた分際で! 寝首を掻く前に殺してやる!』
相手――声からして女か――からの一方的な返答に、予想はしていたが肩を落としたくなる。
この末期的な世界では、限られた資源を如何に確保するかが生存に直結する。そして限られたリソースを奪い合えば、必ず生存者同士のナワバリの衝突が起きる。今まで遭遇した生存者の殆どがそうした戦いを経て人を信用することを諦めた連中だった。
或いは、信じ続ける人間が殺されてきたという残酷すぎる真実もあるのかもしれない。
最良であるのは、このまま彼女のテリトリーから逃げ切ること。
ガイスト同士の戦闘には基本リスクしかない。
互いに大切なガイストを命諸共失うリスクを背負う。
だから本当は戦わないのが一番いい。
しかし今回の場合、武装もないしランクも下級の『ハウンド』と、格上のB級ガイストで飛行も可能な『グレイホーク』では戦力差がありすぎる。再度攻めてくる前に潰す――彼女はきっとそう考えている。
歯を食いしばり、『ハウンド』を疾走させる。
四足の足が大地を踏みしめ、振動とGが体に響く。
「んんッ!!」
四足の足が川の岩や浅瀬を器用に蹴ってなんとかライフルを躱すが、『グレイホーク』は容赦せずありったけの残弾を注ぎ込んでくる。激しい水飛沫が次々に立ち上る中、川の曲線を利用して弾丸を避けようとするが、ライフルの貫通力が勝って堤防が抉れ飛んだ。
だが、流石に相手も弾丸が尽きたのか、発砲を中断する。
マガジンを排出しないのを見て、内心安堵する。
「量子補充派か……」
ガイストの弾丸補充にはマガジンを手動で取り替えるやり方と、量子技術で自動補充するやり方がある。量子補充は手間も失敗もない代わりに手動よりリロードが少し遅いため、僅かにこちらに猶予が生まれた。
今が好機と反撃に出る。
火器管制システムがバルカン砲の銃身を回転させる。
次の瞬間『ハウンド』が跳躍し、空中で縦回転しながらバルカンを浴びせる。
両手両足を地に着ける『ハウンド』ならではの曲芸じみた機動を見慣れていないのか、面食らって反応が遅れた『グレイホーク』に弾丸が命中した。ガイストのバルカンの口径はかなりのもので、直撃すれば唯では済まない。
しかし『グレイホーク』に命中した弾丸は見えない壁に阻まれ、潰れた弾丸が虚しく川に落下していく。
「当然積んでるよな……!!」
自分の苦虫をかみ潰したような渋面を自覚する。
今のはコーティングと呼ばれる障壁に攻撃を阻まれたのだ。
全ガイストに標準装備されている技術、コーティング。余剰エネルギーを消費して機体表面にいわゆるバリアを展開する機能だ。当然『ハウンド』にもあるが、本来コーティングはあくまで補助的な機能で、バルカンを無傷で凌ぐほど高性能なものではない。
強力なバリアの秘密は、今回『グレイホーク』の背部に装備されたバリアの補助ユニットだ。これはコーティングの機能を強化するだけでなく、それ自体にもエネルギーを充填出来る仕組みになっているため、当分は使いすぎによる機能不全も起こらない。
『グレイホーク』は機動力には優れるが耐久力はC級ガイスト並だ。だからグレイホークを手に入れれば、欠点を補うコーティング強化装備を見つけるのは必須と言って過言ではない。
悪い状況ばかりが重なっていく。
唯一救いなのは、敵がミサイルを積載していないことだろう。
今の『ハウンド』にとってミサイルだけはどう足掻いても回避できない。なのにライフル掃射しか来ないのは、持っていないからだと確信した。
「だが、どうする……!! こんなガン不利な状況……」
飛行能力で遅れを取り戻した『グレイホーク』はいつまでも追跡してライフルを掃射してくる。なんとか捉えられないようジグザグに走って避けるが、躱しきれない弾丸が装甲を掠めて衝撃が響く。
これが勝手知ったる場所であればターミネイターの拠点に駆け込んで三つ巴に持ち込むことも出来たが、どうやら彼女はこの周囲のターミネイターを念入りに虱潰しにしたのか、全くレーダーに反応がない。
諦めるな、諦めるな、と吹き出る脂汗を拭う。
諦めれば死ぬが、考え抜けばどこかに逃げ道はある。
周辺の地形データを穴が空く程見つめ続け、漸くこれならという作戦を絞り出した。
「出来る、出来る、出来るッ!! 行くぞオラぁぁぁーーー!!」
己を必死に鼓舞し、敵のリロード時間に再度アクロバティックな動きでバルカンを浴びせる。二度目にもなると流石に予想出来ていたのか空中に逃げて躱されたが、また少しだけ時間が稼げた。
彼女はしびれを切らしたか、両手にアサルトライフルを装備し偏差射撃に出る。
しかし、目的地が見えたこちらの方が一瞬速かった。
「ここだぁッ!!」
最大速度からのスライディングで、進行ルートに存在した峡谷に飛び込む。
かなり切り立った深い峡谷で、木が生い茂っているため上空からは川を遮る。
『グレイホーク』は確かに高性能なガイストだが、この峡谷は幅が狭い。逆に『ハウンド』はこうした環境でも小回りが利くため、『グレイホーク』は上空に回る筈だ。
予想通り上空に移動する敵機を確認しつつ、『ハウンド』を休止状態にして、コクピットを飛び出した。
『ハウンド』内部に格納した水、食料、マテリウム――集めた全てのものがそこにある。しかし、持ち出せたのは緊急用に最低限の荷物だけ詰めて量子化せず取っておいたリュックサックのみ。
「……くそっ」
後ろ髪を引かれない訳はないが、躊躇することは許されない。
そのままハウンドを滑り降りるようにして川に着水し、全力で泳いだ。
普通の服を着ていれば水の重みで泳ぐどころではないが、キーグローブの身体保護機能のおかげで影響を受けることはない。オリンピック選手ばりだと自賛する速度で川の流れに乗る。
直後、上空から夥しい量の弾丸が射出され、コーティング機能もオフになった『ハウンド』の上部に容赦なく降り注いだ。ばらまかれた弾丸が川を抉り、自分の真横の水が派手に弾けて水に翻弄され、全身を痛みが襲うが、構わず泳ぎ続けた。
何メートル泳いだだろうか――後ろを振り返ると『ハウンド』の残骸に『グレイホーク』がゆっくりと上空から降り立ち、接近しているのが見えた。見つかる前に大きく息を吸い込み、潜る。
――生き残る為の作戦、それは得たものの殆どを捨てて逃げること。
まず、峡谷に入り込んだ時点で『グレイホーク』はリスクを避けて上空に昇る。ガイストのセンサーならば多少の遮蔽物は無視して敵を補足できるし、あちらからすれば袋小路に入った獲物を確実に仕留めるチャンスだ。
しかし、ガイストのセンサーは、何故か休止状態になったガイストを捕捉出来ないという欠点が存在する。こちらが急に機体を放棄したことでセンサーが突然沈黙した『グレイホーク』のパイロットは、やむを得ずいると思われる場所に銃を斉射する筈だ。
この一瞬の隙に、全力で逃走する。
それ以外に生き残る術が見つからなかった。
運が悪ければ全身が粉々になるとしても、だ。
今頃『グレイホーク』のパイロットは撃墜した機体のコクピットが空になっていることに驚いているだろう。幾らS型とはいえ川の中に逃げ込んだたった一人の人間を見つけるのは困難極まる。
諦めて彼女が帰ることをひたすらに願い、ただただ泳ぎ続けた。
気がつけば、川幅の広いエリアに出ていた。後ろも前も空も見たが、彼女は追ってきてはいなかった。川から這い上がると、途方もない疲労感が全身を襲い、思わず地面に寝転がって激しく息を吸い込む。
キーグローブの身体保護機能の影響で服も荷物も濡れていないが、もし逃走中に破損していれば溺れていた所だ。喪失感から何もかも諦めて目を閉じたい衝動に駆られる。
追い回され、殺されかけ、失い、何も救われない。
そんな世界に行き続ける事の苦痛を改めて感じた。
この気持ちを何かにぶつけたくて、無理矢理体を起こして川の近くにあったボロボロのプレハブに入り、リュックサックから日記を取り出す。そして日記に思いつくだけ弱音を書いた。
書いて、見返して、日記を閉じる。
すると、不思議と肩の力が少し抜けた。
「……ここは目立つな。もう少し町に近づこう」
冷静になると、このプレハブでは夜を越すのに不安があることに気付く。
日記をリュックに放り込み、すぐにプレハブの外に出た。
ただ、先ほどまで自分が死地にいたという極限の恐怖感の反動か、腕の震えは暫く止まらなかった。
いつか、この恐怖に打ち克つことが出来るのだろうか。
腰に差したハンドガンの弾は、まだ減らない。