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花束

 なぜか夫人に気に入られてしまったボクは、新人の召使いとしては異例の出世を果たした。ボクのような立場だと、他の召使いから妬まれやすいから気を付けた方がいいんだって。ちょっぴり羨ましそうに、クラーニアが教えてくれた。


 どんな仕事が待ち受けているのかと思ったら、夫人の愛猫(ブランドン)の世話をしたり、花に水をやったり、紅茶を淹れたりと、片手間で出来るようなことばかりだった。


 日がな一日、夫人の側にいて、用があれば聞く。なければ、ぼんやりする。これでいいのかなー?


 夫人に近付きすぎた所為で、逆に動きが制限されてしまったような気がする。


 もっと、こう、てきぱきと働いて、少しずつ侯爵にも近付けたら――なんて思い描いていたけど、このままだと侯爵との接点が全くない!


 仕方がないから今は、夫人の信頼を得ることに専念しよう。時間はあるんだから慌てることはないし。


 そんなわけでボクは、夫人に言い付けられて、庭園へと足を運んだ。庭師の男に花を貰ってくる、というのが今回の仕事だ。簡単!


 別棟に庭師の父子(おやこ)が住んでいて、彼らに頼めば適当な花を見繕ってくれるらしい。夫人は何も注文を出さないから、最終的にはボクの判断に委ねられることになる。それを夫人が気に入るかどうかは別だけど。


 色とりどりの花や樹木が植えられた庭園で、熱心に働く青年の姿を発見! せっせと土を掘り起こして、新しい苗木を植えているところらしい。恐らく息子の方だ。


 ひょろっとした痩せ型で、手足が長い。木登りが得意そうな印象を受ける。ボクの勝手な想像だけどね。


「お花をいただけるかしら?」


 ちょっと気取って、ボクは青年の背中に声を掛けた。いや別に、気取らなくてもボクは普段から優雅なんだけど。


 作業に没頭していたかった、という感じで、めんどくさそうに青年が振り向いた。汚れているからだけでなく、田舎臭い風貌だ。ボクを見つめたまま黙りこくっているけど、ちゃんと聞こえてるのかなー?


「聞いていらっしゃる?」


「あ、はい。花ですよね。どうぞ好きなのを選んで」


 青年は、擦り付けるようにして服で手を拭うと、その手を花畑へと向けた。


 今、手を拭う必要があった?


「あなたが選んでくださる?」


 夫人の好みも分からないのに、ボクが選べるわけがない。ここは手慣れた彼に任せましょう。というわけで、にっこり。


 そう言えば、無闇に笑顔を振りまかない方がいいって伯爵に言われたことがあったけど、どういう意味だったのかな?


 笑わない方が魅力的? ちょっと違うような気がする。


 何しろ多くを語らない人だから、意味不明なことも多いんだ。伯爵に言わせれば、話を聞いていないのはボクの方らしい。


 結局、その若い庭師に選んでもらって、ボクは抱えきれないほどの花束を夫人の部屋に持ち帰った。


 たかが花束と思っていたら、意外と大変だった。花が多すぎる。とても優雅な仕事とは思えないね!


 ところが夫人は、「いつもの倍はあるかしら」なんて言い出すんだ。つまり庭師の青年は、ボクが何も知らないからって、無茶な量の花を持たせたんだ!


 信じられない。そういう意地悪するか、ふつう。最初から様子がおかしいとは思っていたけど、今度からは要注意だ。


「折角だから半分はラン=シー様のお部屋にも生けてくださる?」


 願ってもない好機が巡ってきた――と言いたいところだけど、そういう用件は侯爵が屋敷にいるとき言って欲しい。


 うちの侯爵様って昼間は殆ど屋敷にいないから、会えるとしたら朝と夕刻だけだ。


「寝室、ですか?」


 その問いに対しては僅かな()があった。


「そうね」


 なんでもないような、笑顔。夫人は今、何かを意識した。そんなふうに見えた。


 何はともあれ、侯爵の寝室に入る機会を得たわけだ。接点と言えるかどうかも分からない、小さな接点だけど、胸は躍る。


 なんだろう、この感覚。もしかしたら、楽しいかも知れない。手の届かない存在に、少し近付けた。それだけのことが、なんだか楽しい。ラン=シー・デュミールを追い掛けて、捕まえたい。そんな衝動に駆られた。


 難攻不落の城塞を落とせたら、楽しいに決まってる! そういう楽しさだ、きっと。


 四階の西側。螺旋階段の近くに、侯爵の寝室はあった。半分に減ったとは言え、それでも多い花束を、いったん左腕で抱えて、扉を叩く。返事がないことは分かっていたけど、少し待った。


「御存じかしら? ここは旦那様の寝室よ」


 見れば、赤毛の女性がボクを睨み付けている。いや、普通に見ているだけかも知れないけど、視線が怖いし、言い方も嫌みっぽい感じがする。


 ちょっと目尻が釣り上がった感じの美人――名前は確か、アルウィリア。


「それが何か?」


「ここはあなたのような人間(ひと)が来る場所ではないわ」


「でも、奥様の言い付けですので」


「私が代わって差し上げるわ。その花を寄越しなさい」


 アルウィリアが手を伸ばすから、ボクは咄嗟に身を捻った。誰が渡すもんか!


 ところが、アルウィリアは簡単には引き下がらなかった。花束を抱えているボクの左腕を掴むと、細腕には似つかわしくないほどの力で引っ張ったんだ!


 それをボクが振りほどこうとしたものだから――しまった、という思いも虚しく、ボクの手から溢れた花束は、次の瞬間には辺り一面に飛び散っていた。


 それを見て、ボクは呆然と立ち尽くすしかなかった。頭の中が真っ白になって、しばらくは何も考えられなかった。


「あなたが悪いのよ、逃げたりするから」


 アルウィリアは平然とボクを見据えている。自分が花を踏んでいることにさえ気付かない様子で。


 切なかった。それ以外には何も浮かばなかった。彼女に対する怒りよりも、別の何かが大きくて、言葉にならなかった。


 ボクは、力なく俯いていた。唇を噛む、その小さな痛みが、心の痛みを消してくれるような気がした。


「綺麗に片付けておきなさい」


 それだけを言い残し、アルウィリアは足早に去っていった。まだ生きている花をも踏み越えて。


 ボクは、崩れるように(ひざまず)いた。飛び散った花を片付けるわけでもなく、ただ呆然と眺めていた。


 どれくらいそうしていたのか、傍らの気配に気付いて顔を上げると、そこには執事のジルラーが立っていた。


 下から見上げることによって、逞しい胸回りが際立って映る。ちょっと怖い感じの顔も。


「これはまた派手に散らかしたものだな」


 慰めるわけでなく、咎め立てするわけでもない、淡々とした口調だった。


「申し訳ありません」


 今のボクは謝るだけで精一杯だった。他に言葉は浮かんでこなかった。


「私に謝るようなことか?」


 優しくもないジルラーの言葉を聞いて、何故か涙が込み上げてくる。冷静に考えて、泣くようなことでもないのに。


「おい、こんな失敗くらいで泣くのか? もう少し心根(しん)の強い娘だと思ったが、私を失望させないでくれ」


 それは、閃光が走ったような瞬間だった。淀んだ闇を漂っていたボクの前に、眩しい光が射したんだ。


 ボクが普通(ただ)の召使いで、大きな失態を演じたのなら泣きもしよう。でも、召使いは仮の姿。本当は侯爵を狙う刺客なんだ。人前では、「気丈な娘」を演じていればいい。


 ボクは指先で目尻の涙を拭うと、柔らかく微笑んでみせた。露骨な作り笑いだけど、それが却ってジルラーには効くかも知れないし。


「顔に似合わず、お優しいのですね」


 復活。ちゃんと言葉も出る。


「冗談は止せ。これでも使用人には厳しいので有名なんだ」


「そのような仰有りよう、私にだけ優しくしてくださるのかと勘違いしてしまいますわ」


 ジルラーを見上げたまま、にっこりと微笑む。彼には情けないところを見られてしまったのだから、少しは困らせてやらないと――。


 でも、ボクの意に反して、ジルラーは余裕たっぷりの構えだ。困っている様子など全くなく、それどころか逆にボクの頭を優しく撫でてくれたんだ!


「その元気なら大丈夫だな」


 まるっきり子供の扱いだ。


 嘘でしょ。どうしてジルラーが優しいの? あんな怖い顔なのに。自分でも、「使用人には厳しい」って言ってたのに。


 ジルラーの言葉で元気を取り戻せた――それは事実だから、一応、感謝はしておくかな。絶対に言わないけどね!




 散らばった花を片付けて、夫人の部屋に戻ったときには、既に情報が伝わっているようだった。邸内で失態を演じれば、それを隠しておくことは出来ない。あっという間に周知の事実となってしまう。


 咎められることを覚悟で、ボクは夫人に謝った。敢えてアルウィリアの名前は出さずに。彼女を庇ったわけでなく、他人の所為にすると却って印象を悪くしてしまうから。


「そんな悲しい顔をなさらないで。散ってしまったお花も、決してあなたのことを恨んではいないでしょう」


 夫人が、ボクの肩にそっと手を置く。優しい手だ。そして、優しい微笑みだ。


 叱られても仕方がない状況で、反対に慰められてしまい、ボクは戸惑った。


 くすぐったい。でも、居心地は悪くない。そんな感覚だった。

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