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窮地

 召使いにも序列はある。主人や執事に、よっぽど気に入られれば別だけど、基本的には仕えた年数で、給金や仕事の内容も変わってくるらしい。下っ端のボクには、必然的に嫌な仕事が回ってくることになる。同室のクラーニアから説明を受けるまでは軽く考えていたけど、なんだか思ったよりも大変そうだ。


 先輩方の頼み事――という名の命令も、断ることは難しいのだとか。


 そつなく、目立たず、従順に。これが召使いに求められる三原則だってクラーニアは言うけど、もしかしてボク、正反対の行動を取っていたりする?


 奥様の馬車で乗り付けたばかりか、面接では大きいこと言っちゃったし。この上、そつなく仕事をこなせなかったりしたら、召使いとしての立場が危うくなりそうだ。気を付けよう。


 今更だけど、こういう場所で暁矛の着物は目立つ!


 召使い(みんな)が似たような格好をしているから尚更だ。


 まずは目立たない格好だ。前の人が使っていたという服に袖を通してみよう。地味だ。


 確かに目立たないけど、同時に、ボクの魅力も溢れ出ない。どうやったら侯爵にボクの魅力を気付かせることが出来るんだろう?


 まあ、一ヶ月もあるんだし、焦る必要はないかな。長期戦も視野に入れて、じっくり構えることにしよう。


 幸い、同室のクラーニアはボクに対して好意的だから、困ったときは、きっと力になってくれるはずだ。


 なんて言ってると、早速困ったことが起こった。しかも、そんなときに限って、側には誰もいなかったりするんだ。


 仕事が割り振られる前に、屋敷の全体像だけでも把握しておこうと思い、あちこち歩き回っていたときのことだった。ひとりの男が厨房から出てきて、ボクに言うんだ。


「おまえ、何処かで会ったことはないか?」


 やや視線を下げて歩いていたボクは、最初その相手が誰なのか分からなかった。声に聞き覚えがあるような気もしたけど、侯爵家に知り合いはないし、いつものことで口説かれているのかと思ったんだ。相手の顔を見るまでは。


 何気なく見遣ると、そこには確かに見覚えのある顔があった。


 間違いない。会ったことがあるのだ。相手の記憶が正しい。


 そう簡単には忘れられない壺のような顔。まさしく彼は、居酒屋(サリクラーラ)に現れた酔漢だ。ボクに痛め付けられて帰っていった、あの――。


 でも何で、あの無礼な男が侯爵家にいるわけ? しかも厨房に?


 身なりから判断すると、まるで廚夫(ちゅうふ)みたいな格好だけど、まさか壺みたいな顔で料理を作ったりするの? それをボクも食べるの?


「お人違いでしょう」


 やばすぎる。あのことを根に持たれていたら、どんな仕返しが来るか分からない。


 懐剣が使えるなら、ちっとも怖い相手じゃないんだけど、邸内で騒ぎを起こすのは不味いし、ここは知らん顔だ。


「そうか、あのときの小娘! 新しい召使いを雇ったという話は聞いていたが、おまえがそうなのか?」


 相変わらず無礼で尊大な男だ。酔っていなくても殆ど変わらないんじゃない?


「何を仰有っているのか、私には分かりかねますが」


「印象が違っているから別人かとも思ったが、その黒髪だ。忘れるはずがない」


 壺のような顔がボクに迫ってくる!


 頼むから、その顔をボクに近付けないで欲しい。苦手なんだよね、品のない顔って。近付くだけで鳥肌が立つ。


 男がボクの髪に触れようとするから、それを逃れて後退すると、じわりじわりと追い詰められて、壁際に立たされてしまった。


 相変わらず壺のような顔が目の前にあるし、嫌らしい視線が肌に突き刺さって、気分が悪い。こんな男と見つめ合うのは嫌だから、ボクは僅かに視線を逸らした。


尭矛(ギョーム)の人間なら黒髪が普通です」


「いいのか? 俺が一言、おまえが今までどういう仕事をしていたかを告げれば……」


 つまり脅迫? それは不味いかも。推薦状ではノールボワ家で働いていたことになってるから、街の居酒屋なんかで働いていたと知れたら疑われちゃう!


「何と仰有ろうと、私には身に覚えのないことでございます」


「ああ、そうだ! ミコト。確か店の奴がミコトと呼んでいたな」


「だから、どうだと仰有るのです?」


 絶体絶命! 断崖絶壁! 名前まで覚えられていたら言い逃れは出来ない――かも。


「給金の半分、いや、四分の一で手を打とう。そうすれば、おまえのことは黙っててやる」


 男はボクの耳許に顔を近付けてきて、息を吹きかけながら更に言う。


「どうだ? 悪いようにはしない」


 どうやらボクを追い詰めたつもりになっているらしい。


 実際、凄く追い詰められた気分だけど。


 この男を始末すれば、侯爵に警戒されて、任務の遂行が困難になる。と言って受け入れれば、この先も強請(ゆす)られることになるだろうし、カラダを狙ってくるかも知れない。


 想像するだけで寒気がしてくる。


 仕方ない。ここは強気で行こう!


「仰有りたければ」


 言いかけて、ボクは目を(みは)った。


 廊下の向こうに見えた人影は、侯爵夫人(セライスタ)。もしかしたら助かったかも!


 ボクは咄嗟に一計を案じた。


「おやめください!」


 ボクは夫人にも聞こえるように大きな声を上げた。


 今の体勢なら、明らかにボクが迫られているように見える。これを逃す手はない。相手を悪者に仕立て上げればいいんだ。


 夫人がボクの声に気付いて、こっちを見た。


「どうか、御容赦を――」


 怯えた演技を見せるのは、夫人に対して。


 目の前の男は訝しげに顔を曇らせる。彼はまだ夫人の存在に気付いていない。


「そこで何をしているの?」


 来た。凛とした声の主こそ、セライスタその人だ。


 そのときようやく男も気付いて振り向いたけど、もう取り繕えないはず。


 侍女を従えて歩み寄ってくる夫人の姿を見て、男は慌てて向き直った。


「あ、これは奥様。今日も良いお天気で」


「何をしているの、と訊いているの。答えなさい」


 夫人の追及は厳しい。


 勝ったかも。ボクは密かに北叟笑んだ。


「奥様……」


 ボクは胸に手を当てて、少し落ち着かない素振りを見せた。勿論それも演技だ。


「なに、ミコト? 遠慮しないで仰有ってみて。わたくしはあなたの味方ですから」


「申し上げにくいのですが、この方が『屋敷で可愛がって欲しければ、給金の半分を寄越せ』と強要してきて、身体にも触られて……」


 ちょっと嘘も混ぜて、泣き真似をしてみせる。口許に手を持ってきて、僅かに上目遣い。怯えた仕種で男を見れば、誰が見たって被害者はボクだ。


 しかも、夫人はボクが迫られているところを見ている。完璧!


「違います!」


 男も反論したけど、ボクの言葉を覆すことは難しいと思うよ。


「お黙りなさい。邸内での不埒な振る舞い、廚夫長(ちゅうふちょう)として恥ずかしいとは思わないのですか?」


 廚夫長? この男が? 壺のような顔なのに? 意外だ。驚きだ。


「奥様は、来たばかりの娘と、十年も仕えた私と、どちらの言葉を信用なさるおつもりですか? 私は、この娘が申すようなことは、いっさいおこなっておりません」


 そう来る? 往生際が悪いね。


「わたくしは、ミコトの心根を信じます。なかなか人には懐かないブランドンが、ミコトには甘えていました」


 もしかして、猫に逃げられたのも一度や二度じゃなかったりして。


「ならば申し上げますが、この娘は街の居酒屋で働いていた酌婦なのです。この屋敷に奉公に上がるために裏で何をしていたか、分かったものではありません。デュミール家には相応しくない人間です」


 この廚夫長、思ったよりも言葉が巧みだ。


「本当ですか、ミコト」


 夫人がボクに疑いの眼差しを送る。まだ廚夫長の言葉を信じたくない様子だけど、ボクの返答によっては信頼を失うことも有り得るわけだ。


 どうする?


 恐らく夫人は世間のことを熟知していないから、誤解があるかも知れない。「酌婦」と聞いて「娼婦」を連想しているようなら、ボクに対する印象は最悪だ。


「本当です」


 こうなったら一か八かだ。夫人の判断に賭けてみる。


「まあ」


 夫人の驚きは大きい。ここで彼女に考える時間(ひま)を与えないことが肝要。


「御存じかも知れませんが、私は尭矛(ギョーム)の民でした。(さき)の内乱を逃れて移り住んできた者のひとりです。居酒屋の御主人は、そんな私を哀れに思って養女にしてくださいました。その居酒屋で給仕をしていたことは事実です。しかし、ノールボワ家での働きが認められたからこそ、推薦状もいただけたのです。先日、お屋敷に上がる前に親孝行をしておきたくて、店で仕事を手伝っておりました。そこを、この方に見られてしまったのです」


 ボクは休むことなく一気に言葉を連ねた。


 今の弁明を聞けば、廚夫長がボクを強請(ゆす)っていたことにも信憑性が出る。


 あとは夫人の判断に委ねるしかない。


 緊張の一瞬だ。隣で壺顔(つぼがお)の廚夫長も息を飲む。


「ミコト。よく打ち明けてくれました。あなたの親孝行の気持ちに免じ、咎め立てはいたしません。これからはデュミール家に尽くしてください」


 勝った!


「奥様!」


 顔色を変えた廚夫長が、最後の抵抗を試みようとしたけど、夫人はそれを許さなかった。


「あなたには用はありません。早々に新しい奉公先を探すことを勧めます。腕は悪くないのですから、これからは真面目に働くことですね」


「奥様!」


 食い下がる廚夫長の言葉には耳を貸さず、夫人はボクに優しい微笑みを向けた。


「いらっしゃい、ミコト。あなたには、わたくしの側の仕事をお願いしたいと思います」


 斯くしてボクは、デュミール侯爵夫人セライスタの側で働けることになった!


 哀れな廚夫長は、ボクを強請(ゆす)ろうとしたばかりに解雇される憂き目に遭った。


 見事なものでしょ、伯爵ぅ。ちゃんと褒めてよね!

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