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理想

 ぼんやりと過ごすしかないボクにとって、訪問者というのは有り難い存在だった。それが、話をしたいと思っていた人物なら尚更。まさか、彼女が訪ねてきてくれるなんて思いもしなかったけど。


 侯爵夫人セライスタ。彼女には、もう見向きもされないと思っていた。それだけに、ボクの驚きは大きかった。


「奥様!」


 さすがに(うずくま)っているわけにはいかないから、ボクは立ち上がった。おずおずと扉の前まで進み出る。閉ざされた扉を挟んで、向かい合った。


 何を話せばいいのか、言葉が見つからない。本当は、合わせる顔もない。ボクは、色んな意味で夫人を裏切ってしまったのだから。


 けれど、覗き窓から見える夫人の顔は、怒っているようでも、蔑んでいるようでもなかった。強いて言えば、優しそうな。


「可哀想に。このような狭い部屋にミコトを閉じ込めるなんて、許せませんわ。どうせ大した理由もないのでしょう。ねえ、ミコト?」


 夫人が腹を立てている相手は、驚いたことにボクではなかった。


「奥様は何も御存じではないのですか?」


「ジルラーもラン=シー様も、わたくしには何も教えてくれませんの。わたくしには関係のないことだと仰有って。酷いと思いません? ミコトが酷い目に遭っているのに。ならば、ジルラーが何を言おうと関係ありません。わたくしが、この部屋から出して差し上げますわ。その代わり、わたくしの許に戻ると約束してくださる?」


「また、奥様にお仕えするのですか?」


 それは、ボクにとって意外な申し出だった。だって、夫人のお世話をするなんて、もう叶わないことだと思っていたから。


「不服かしら?」


「いいえ。ただ、お許しいただけるなんて思っていなかったので」


「許すも何も、わたくしが勝手に機嫌を損ねただけで、ミコトは何も悪くはありませんわ。わたくしの方こそ許していただけるかしら、ミコト」


「そんな、勿体ないお言葉です、奥様」


「それなら、こんな辛気くさい場所からはさっさと出てしまいましょう。話は、わたくしの部屋で伺いますわ」


 春の花畑を思わせる、柔らかな笑顔だった。やっぱり、彼女は笑っていた方がいい。この笑顔が無垢であるほど、ボクは罪の重さを痛感する。結果的に何事もなかったとは言え、夫人から愛する人を――その命を奪おうとしたことは事実だ。誰に許されたとしても、ボクはボクを許せない。


「御厚意には感謝いたします。でも、私は罰を受けている身ですので、この部屋から出していただくわけにはいきません」


 ボクがラン=シー様を殺そうとしたと知れば、さすがに夫人も許してはくれないと思うし。それとも、その無垢なる笑顔でボクの罪さえも洗い流してくれるのかな。


「その通りです、奥様」


 その声は、夫人の背後から聞こえた。いつの間に近付いたのか、ジルラーが部屋の外に立っていた。気配を消して近付くなんて、ほんと趣味が悪い。だいたい、いつから立ち聞きしていたんだか。油断も隙もあったもんじゃない!


「勝手なことをされては困ります。不始末をしたミコトには、反省して貰わなければなりません」


 ここからは見えないけど、ジルラーの仏頂面が目に浮かぶ。


「どういった不始末なのかしら?」


「それは閣下にお尋ねください」


「ラン=シー様が教えてくださらないから、あなたに訊いているのです」


「閣下がお話しにならないことを、執事の私がお教えできるはずもありません」


 今の、物凄く意地悪な物言いだ。俗に言う、たらい回し。もっと他に言い方ってものがあるでしょう、ジルラーの馬鹿!


「ミコトさえ返していただけるなら、立ち入ったことを訊こうとは思いません。どうせ、あの方はわたくしには何も話してくださらないのですから。しかし、わたくしのミコトを、理由も告げず閉じ込めておけると本気で思っているのかしら? 出過ぎた真似をしているのはジルラー、あなたです」


 強気のセライスタ。頬を紅潮させて、それはそれで可愛いんだけど、必死の訴えだ。それも、ボクのために。


 たぶん、ジルラーが引き下がることはない。正論も感情論も、ジルラーの前では無意味だ。議論を重ねても、夫人は傷付くだけだと思う。そうなる前に、夫人には諦めて貰わないと。


「奥様、もう充分です。そのお心だけで私は救われます。私は、奥様のお顔を見られただけで嬉しいです」


「ミコト」


「心配なさらないでください。仕置き部屋と言っても、食事は普段と変わりませんし、何も酷いことはされていません。不自由があるとすれば、奥様のお世話をさせていただけないことくらいです」


 ボクの説得と微笑みは効いたようだ。夫人が、切なそうな溜息をひとつ落とした。上気していた顔にも落ち着きが戻る。よっぽどボクのことが気懸かりだったのかな。


 遠ざかる足音が聞こえる。ジルラーだ。近付くときには気配を消していたのに、わざとらしいというか。


 ジルラーの気配が完全に消えてから、夫人が不機嫌そうに口を開いた。


「ジルラーは嫌いです。あんな男、どうしてラン=シー様は側に置かれるのかしら。ミコトは苛められていない?」


「いいえ、奥様。ジルラー様には可愛がっていただいています。本当ですよ」


「そうだとしたら、ミコトが可愛いからですわね。あの冷酷な男でも、ミコトの前では頬が緩むのかしら」


 いや、それはないと思う。たぶん、ボクが有能な召使いだからだ。と言いたいところだけど、それも違うような気がする。そもそも、ジルラーは、どうしてボクを採用してくれたんだろう。あんな短い面接で、ボクの何を判断したのかな?


「ところで、ミコト」


「はい、奥様」


「正直に答えてくださる?」


「何を、でしょう」


 ちょっと嫌な感じ。


「ラン=シー様のこと、どう思っていらっしゃるの?」


 来た!


 夫人にとっては、召使いが犯した不始末よりも、恋敵の真意が気になるわけだ。


 ある程度は覚悟していたから、取り乱したりはしないけど。


「好きです。ごめんなさい!」


 言っちゃった。この期に及んで誤魔化せるとは思わないし、弁明の余地もないから素直に謝るしかない。夫人も、そんなことは承知の上で訊いてきたのかも知れないし。


「ミコトが謝る必要などありませんわ。正直に申し上げて、わたくし、安心いたしました」


「どういう意味でしょう?」


「もし、ラン=シー様がミコトの気持ちを考えていらっしゃらなかったら、わたくし、あの方を絶対に許さないつもりでした。だって、わたくしを見るミコトの目が、何かを訴えているようで、つらかったんですもの」


「それは、奥様に申し訳ない気持ちで――」


「わたくし、なかなか子が授かりませんの。ですから、ラン=シー様にも側室を娶るようにと申しましたら、あの方、わたくしの生家に失礼だからと、一切お受けにならないのです。わたくしの生家に義理立てすることよりも、デュミール家の跡目を心配なさるべきですのにね。でもミコトなら、ラン=シー様も好いていらっしゃるみたいだし、もし、ミコトが嫌でないのなら、わたくしの代わりにデュミール家の跡取りを産んでいただきたいの。そんなお願い、厚かましいかしら?」


 そういう趣旨の発言があったことは記憶している。書庫で、ボクとラン=シー様が一緒にいるところを夫人に目撃されたときだ。でも、あのとき夫人は機嫌を損ねているようだったから、まさか本気だとは思わなかった。いや、普通は誰も本気だなんて思わない!


「でも奥様は、私がラン=シー様と御一緒していると不機嫌になられるので」


「それは、わたくしのミコトをラン=シー様が横取りなさったからですわ! わたくしは、ミコトがラン=シー様だけにお仕えするのが嫌なの。あの方がわたくしの相手をしてくださらないのは仕方がないとしても、ミコトまでも取り上げられたら、わたくし……」


 興奮ぎみに捲し立てる夫人は、なんだか可愛らしい。まるで、人形を取り上げられた少女のようだ。ボクより年上だけど、そうは見えないときがある。ふわふわとして可愛いし、感情の起伏が激しいから。その激情がボクのためだと思うと、切なくなる。


「本当は、わたくしだってあの方のお役に立ちたいの。でも、あの方は本当に時間が空いているときしか、わたくしの部屋には来てくださらない。それなのに、ミコトは一日中お仕えすることが出来て、わたくし、少し妬けましたわ。わたくし、ラン=シー様のお側にもいたいのだけど、ミコトも手放したくはないの。分かっていただけるかしら?」


 夫人が、どう思っていたのか。ボクにも、やっと理解できた。同時に、夫人の願いを叶えて差し上げられないことも――。


 ボクは、返事に詰まった。


「わたくし、理想がありますの。ちょっと恥ずかしいんですけど」


 夫人が恥ずかしそうに微笑む。顔を赤らめて。


 侯爵夫人セライスタが描く理想。そんなにも恥ずかしがるような理想って、いったい何?


「わたくしとミコトとラン=シー様と、三人で小さなテーブルを囲んで、紅茶やお菓子などをいただきながら、のんびりとお話をするのが夢ですの。こんなの贅沢すぎるかしら」


 切ないよ。そんな有り触れた日常を、夢だなんて。切なすぎるよ。


 溢れる涙を、ボクは止められなかった。もう、どうしたらいいか分からなくて、ただただ涙に暮れる。立ち尽くしたまま泣いているボクを見て、今度は夫人が取り乱した。


「どうなさったの、ミコト? わたくし、変なことを言ってしまったかしら?」


 心配顔。可愛らしい顔を曇らせて。眼差しは、この上なく優しい。


 この人から笑顔を奪うことが、どうして出来るというのだろう。


「ごめんなさい」


 泣きながら、ボクは謝った。それしか、出来なかった。泣くことでしか、自分を許せなかった。


 泣き続けていたら、扉が開いた。ボクは嗚咽を抑えられなくなっている。ふんわりと抱き締められた。セライスタ。ボクを包む風。今は優しく吹いている。

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