羞恥
日だまりの揺りかご。羽毛を敷き詰めた柔らかい寝床で、雛鳥のように眠る。大きな翼に抱かれて。
目覚め。その瞬間に、夢を見ていたことを知る。
夢の余韻を残しながら、うっすらと目を開けると、そこには見慣れぬ天井があった。
ひとことで言えば豪奢。視界に入る総てが、上質感に溢れていた。
記憶の糸が繋がらない。釈然としない目覚めだ。ここは、何処?
そうだ。確か、ラン=シー様と月夜の散歩をしていたら、刺客に襲われたんだ。そのときボクは刺客のひとりと池に落ちて……それからどうなったんだっけ?
いや、それどころじゃない重大な事実に気付いた。
どういうわけか、ボクの隣にラン=シー様が寝てるんだ!
ということは、ここはラン=シー様の寝室?
「ミコト」
ボクの目覚めに気付いたラン=シー様が、半分ほど上体を起こした。ボクを覗き込むような感じで、柔らかい表情を作る。
「気分はどうだ?」
労るような低い声が、ボクを更なる覚醒へと導く。慌てて飛び起きたボクは、このとき自分が何も着ていないことに気付いた。露になった胸を、薄手の掛け布団で隠したけど、もう手遅れだよね?
状況を整理しよう。ボクは刺客と池に落ちた。ボクは服を着ていない。服を脱いだ記憶はない。つまり、脱がされたことになる。当然ラン=シー様はボクの裸を見た。ラン=シー様はボクが女ではないことに気付いてしまった。
だんだん状況が飲み込めてきて、ボクは愕然とした。任務失敗だ。
「濡れた服を脱がせたつもりだったが」
ボクが男だと分かって、驚いた?
ああ、もう、恥ずかしくてラン=シー様の顔が見られない!
手遅れだと分かっていても胸を隠し、俯いた。結わいてない髪が、幸いにも視界を狭めてくれる。
「誓って、私は何もしていない」
いや、そういうことじゃないでしょ。ラン=シー様、何か勘違いしていらっしゃる?
気遣いは嬉しいけど、この場合、もっと別な言い方があるんじゃない?
ボクが恥じらう理由は、本当の姿を見られてしまったからで、ラン=シー様にイケナイコトされたなんて全く思ってませんから。
「其方が無事で、本当に良かった」
ラン=シー様の手がボクの肩に触れる。優しく。
ラン=シー様の吐息を、耳許で感じた。顔が、近くない?
近い。ラン=シー様ってば、近い!
肩に添えられていた手に、やや強い力を感じた、と思ったら、もう抱き寄せられていた。
不覚にも、ボクはラン=シー様の胸に顔を埋めることになる。顔を見られなくて済むけど、この格好は別の意味で恥ずかしかったりする。恥ずかしいから、もう甘えちゃえ。ボクは、肩の力を抜いた。
触れている部分から、優しさと、それ以上の何かが伝わってくる。このままボクを、もう少しだけ勘違いさせて。夢から覚めるまで。
覚めた! 扉を叩く音に、目を覚まさせられた。
「旦那様、お目覚めの時刻にございます」
扉の向こうから、若い男の声がした。
うわ、どうしよう。こんなところを見られたら、誤解されちゃう!
布団に潜って遣り過ごそうか、それとも別の場所に隠れようか。いや、ボクは裸だ。色んな意味で、不味い。ボクが慌てふためいていると、ラン=シー様が耳許で囁いた。
「いいから」
何が、いいから? ちっとも良くないんですけど?
ボクが嫌がる素振りを見せても、ラン=シー様は放してくれない。また「戯れ」かと思ったら、そんな様子でもなかった。要するに、ラン=シー様の「いいから」は、「気にしていない」という意味だ。だから、ボクが気にするんだってば!
結局、ボクはラン=シー様の腕の中で、若い厨夫を迎えることになる。紅茶を運んできた厨夫が、ボクを見て――ああ、やっぱり変な顔をしている。いや、顔には出していないようだけど、目が語っている。あんまり、じろじろ見ないでくれる?
「もうひとつ、カップをお持ちいたしましょうか?」
「それよりジルラーを呼んでくれたまえ。至急だ」
「畏まりました」
厨夫が出ていった。
ボクは、ラン=シー様に恨みがましい視線を送る。
どれくらい恥ずかしいか分かっていらっしゃる、ラン=シー様?
視線の意味がラン=シー様には伝わっていないようだった。
鈍い、としか言いようがない。
そんなことよりも、ジルラーだ。呼び付けて、どうするつもりなんだろう? にわかに不安が湧いてきた。ラン=シー様は、ボクをどうするつもりなんだろう?
程なくして、ジルラーが現れた。かなり不機嫌そうな顔で。
ボクは、相変わらずラン=シー様にくっついている状態だ。だって、着る物がないんだもん!
「朝早くから呼び出されたと思えば、これはまた」
寝起きが悪いのか、いつものジルラーとは違うような。喋り方が横柄だし。
ジルラーには、ラン=シー様が召使いと一夜を過ごした、というふうに見えているはずだから、不機嫌も分かる気がするけど。だからってボクを睨まないで!
「実を言うと、起きられん」
え? ボクも驚いたけど、ジルラーも顔色を変えた。
「昨夜、二人組の刺客に襲われてな、不覚にも毒を受けた」
「毒を?」
「何を驚いている。おまえ、本当に朝は鈍いな。目を覚ませ。私が毒ぐらいで死なぬのは分かっているだろう。だが二、三日は起きられんのも事実だ。特に、傷を受けた左脚が殆ど動かん。今ここで襲われたら、さすがに危ない。だから、おまえを呼んだ」
それじゃあラン=シー様は、溺れたボクを救い出してくれたばかりか、不自由な脚でここまで運んでくれたの? ずっと優雅に振る舞っているから、想像も出来なかったけど。
「分かりました。では、やはり屋敷の者には気付かれない方が宜しいでしょう。表向きは、部屋に閉じこもって、研究か書の編纂などをしているように見せ掛けるのが得策だと思われます」
「それについては任せる。まだ何か言いたそうだな、ジルラー」
「いえ。何も」
「ミコトはしばらく私が預かる。協力者が必要だ」
「身の回りの世話は総てミコトに任せる、ということで宜しいのですね?」
「それでいい。ミコトに新しい服も頼む」
「ミコトと同室のクラーニアを寄越しますが、宜しいですか?」
「そうだな、クラーニアが不審に思うよりはいいだろう」
「承知しました。そのように計らいます」
やっと、ジルラーが出ていった。身体の力が抜ける。今、気付いたけど、ずっと緊張してたんだ、ボク。ラン=シー様という枕で、もう一眠りしたい気分だ。
「そういうわけだ、ミコト。この傷が癒えるまで、協力してくれるか?」
ボクが、ラン=シー様のお世話を? そういうの、嬉しいかも。じゃなくて、任務遂行の絶好機だ!
「はい、喜んで」
答えてから、ふと思った。ラン=シー様は、ボクが男だと分かっても、全く気にしている様子はない。それどころか、周囲には誤解させたままボクに協力を頼むなんて、何を考えてるの?
「ラン=シー様?」
呼んでみた。遠慮がちに。
「なんだ?」
「私のこと、怪しいとはお思いにならないのですか?」
「怪しいほどに美しい」
「真面目に答えてください。理由を、お訊きにならないのですか?」
「問うて欲しいのか?」
優しい声。問い詰めるような響きはない。もし、ラン=シー様に厳しく問い詰められていたら、ボクは沈黙を守れなかったかも知れない。それを、心の何処かでは望んでいたようにも思う。
ボクは、小さく首を横に振った。
ラン=シー様、その甘さが命取りです。
「ならば問うまい。そんなことよりも――」
ラン=シー様が、ボクを仰向けに横たえた。裸の上半身が、ラン=シー様の視線に晒される。ちょっと、そういうの恥ずかしいってば!
どうしていいか分からなくて、ボクは両手で顔を隠した。また顔が赤くなっていると思う。
「そんなに無防備で、いいのか?」
大きな手が、ボクの首に触れた。官能的に。
もう、何が言いたいのか分かんないよ!
「知りません」
「ミコト」
撫でるような声がボクを辱める。もう限界だ。恥ずかしくて泣きそうになる。
それなのに――
「そろそろ朝食にしようと思うのだが、其方は何が食べたい?」
その声に含まれていたのは、愉悦。また「戯れ」だ。ボクの反応を見て楽しむなんて、性格が悪すぎる!