6 ジュライス伯爵領
読んでいただきありがとうございます。
キリの良い所まで……と思ったらかなり長くなってしまいましたので、休み休み読んでいただけると幸いです。
「ようこそ、ジュライス領へ!」
目の前には、柔和な笑みを浮かべた夫婦が小さな旗を振って立っている。
早朝から馬車に乗り揺られること四時間――ルイーゼとマクシミリアンは現在、王都を離れマクシミリアンの友人の兄夫婦が領主を務めるジュライス伯爵領を訪れていた。
今日の目的は海だ。ルイーゼがまだ一度も海を目にしたことがないと知ると、一度見ておいて損はない、むしろ見るべきだ、と、マクシミリアンが日帰りで行けそうな海辺の街を調べてくれた。
今回は前回のように従者を途中で帰すことはせず、それぞれひとりずつ連れている。
ルイーゼが連れてきたのは、勿論スザンナだ。彼女は伯爵家にいた頃に自ら志願して武術の手解きも受けているので、安心して連れてこられる。おまけに口も堅いので、ルイーゼが許可するまではマクシミリアンとルイーゼの間に何があっても決して誰にも話さないと信じられる。
マクシミリアンと顔を合わせるのはこれで三回目だ。マクシミリアンが連れている従者はマクシミリアンより少し年下に見える若い青年で、名をアズマと名乗った。初めて相談を持ち掛けた時、部屋の隅で待機していたのも確か彼だった。
普段あまり他人に興味を持たないルイーゼがそれを憶えていたのは、彼が明らかに異国出身である浅黒い肌と馴染みのない名をしていたからだ。首の後ろで束ねられた黒髪も、この国でよく見る黒髪とは違い、艶がなく少しグレーがかっている。
殆ど口を開かないが、実直そうな雰囲気がマクシミリアンと共通していて、主従は似るというのは案外事実かもしれない。
ジュライス伯爵の弟君とマクシミリアンは王立学園の同級生で、寮で同室だったそうだ。領地の西側が海に面しているジュライス領は、王都から少し距離はあるものの、ぎりぎり日帰りで行ける位置にある。
海といってもどこにいくか、考えていたときに、学園生時代、寝付けない夜は時々無性に海猫の泣く声と潮風が恋しくなると話していた友人のことを思い出し、こうしてジュライス領を訪れることになったわけである。
ジュライス伯爵とその奥様は、急な訪問にも関わらず四人を快く歓迎してくれた。
マクシミリアンとしては海を見たことがないルイーゼに海を見せるのが目的だったため、特に伯爵への挨拶などは考えていなかったそうだが、万が一何かあって友人の家に迷惑をかけてはいけないと、一応礼儀として事前に手紙で訪問を伝えたところ、快く案内を申し出てくれたのだという。
闊達に笑うジュライス伯爵と、その伯爵とそっと腕を組む奥様のナタリア様は道を歩くだけであちこちから親しみを込めた声をかけられていて、領民に慕われているのがよくわかった。
マクシミリアンが手紙でどのように説明したのかは分からないが、王太子の右腕と社交嫌いの侯爵夫人という奇妙な組み合わせにも、少なくとも表面上は探るような態度は見られなかった。
王都からそれ程離れていないにも関わらず、ジュリアス領は自然溢れる素朴な雰囲気で、密集する家屋や喧騒とは無縁だった。あちこちで洗濯物が風になびき、その下で猫がうずくまっては日向ぼっこをしている。
海に面しているので、湿度を含んだ潮風が頬を撫でる度、ルイーゼは内心わくわくする気持ちを抑えきれなかった。
話に聞く“海”は途轍もなく広大で陽の光にきらきら輝く蒼い宝石のようだそうだが、本当だろうか。
新鮮な空気が肺を満たし、身体の隅々に染みわたっていくようだ。
さり気なくマクシミリアンのエスコートを受けながら、ルイーゼは笑顔でジュライス伯爵夫妻の案内についていった。
***
マクシミリアンと初めて街へ出かけたあの日、マクシミリアンは今後のために、とルイーゼに色々な質問をした。
「例えば、行ってみたい場所はないのか?一度行って、また行きたい場所でもいいし」
そう聞かれて、ルイーゼはやはり答えられなかった。
そもそも、住んでいる王都のタウンハウスと実家のテイラー伯爵領、それに結婚してから一度だけ訪れたバークレー侯爵領以外の場所にまともに出かけたことがない。
そう言うとマクシミリアンは目を丸くした。
「避暑とか、どこか旅行に行ったりはしなかったのか?」
「いいえ、うちの家族は不仲ではない……と思うけれど、共に余暇を過ごすほど距離が近くはなかったわ。父や母は王都で過ごす方が好きだったから、必然的に私も弟も王都にいることになったの」
尤も、父は市井の愛人の下へ行き、母は愛人の青年を屋敷に引っ張り込んでいたので、王都にいても家族が一緒に過ごすことはなかったのだが。
「ヴィンセントとは?新婚旅行は行かなかったのか?」
「一応バークレー侯爵領へ二週間ほど滞在したわ。行き帰りの途中で、合間に少しだけ景色のいい場所や土地ごとの名物なんかを観光したけれど、それくらい。それが新婚旅行ね」
ルイーゼの言葉にマクシミリアンは一瞬動きを止め、まさかあいつ釣った魚に餌をやらないタイプなのか?と小声で呟いたが、幸いルイーゼにその言葉が聞こえることはなかった。
「俺の認識ではそれ、新婚旅行ではなくただの視察なんだが……」
「仕方ないの。ヴィンセントの仕事柄王都を長く離れるわけにはいかないから。領地での仕事は基本的に義父と義弟が代行しているからそう頻繁に行く必要もないとはいえ、一度くらいはきちんと領地を見ておかないといけないというのもあったし。私もあまり外に出たがるタイプではないしね」
「まぁ、わからなくもないが……」
バークレー侯爵領は王都から片道三日半かかる。辺境程ではないとはいえ、それなりに遠い場所だ。領地としては大きな川が流れており、作物も実りやすく自然豊かな土地だ。良質な水のおかげで薬効の高い薬草の産地として名を馳せている。そうした背景により代々薬の知識にも長けていることから、バークレー侯爵家は領地とは別に王族の薬草園の管理を任されている。
そのため、基本的には流行り病や急病などの緊急時に対応出来るよう、当主は王都のタウンハウスで暮らしながら王城の薬草園を管理し、領地は爵位を譲り引退した先代や当主の兄弟たちが代行して治めるのが慣例になっている。
王立学園時代もチャラチャラと遊び歩いてはいたが、ヴィンセントもあれで家業の勉強はしっかりやっていたのをマクシミリアンは知っている。その重要性を認識していればこそ、薬草園の管理を長期間他人に任せることは出来ないだろう。
「じゃあ、婚約期間は?デートは何処でしていたんだ?」
観劇かせいぜい王都近郊を買い物でもしていたんだろう、というマクシミリアンの予想はルイーゼの一言によって覆された。
「互いの家よ」
「は?」
「週に一度、旦那様の時間に余裕があればそれより短い間隔で合うこともあったけど、大抵どちらかの家の庭でお茶をしていたわ」
「え……それだけ?一緒にドレス買いに行ったり観劇したりは?」
「ドレスやアクセサリーは、旦那様が直接家にデザイナーや商会の方を呼んでくださっていたし、それ以外にも家に来るときにはいつもプレゼントをくださるので店舗に一緒に出掛けるようなことは……。観劇も行ったことがないわ」
「それじゃあ、ルイーゼはヴィンセントとデートしたことがないってことか?」
「ええ、そういえばデートらしいデートは、マックスとが初めてかもしれないわ。メリッサや他の友人とはたまにカフェでお茶くらいはしていたけれど」
「なんてこった……」
マクシミリアンは暫く額に片手をやって呻いていた。
その後いくつかルイーゼに質問し、そろそろ日が沈みかけてきた頃、お開きとなった。
後日、次回の予定を確認する手紙で海はどうだろうか、と提案してきたマクシミリアンに、ルイーゼは二つ返事で頷いた。
***
ジュライス伯爵夫妻に連れてこられたのは、海辺の高台に作られた壁が一面ガラス張りの海が一望できるカフェだった。
どこまでも広がる広大な海。波打ち際から徐々に深い蒼へと変化していくその水面は、太陽の光を反射しキラキラと光っている。
宝石も霞むその美しさにルイーゼは息を呑んだ。
「すごいすごいすごいっ!」
想像の何倍も美しいその景色に、ルイーゼは子供に帰ったかのように大きな声ではしゃいでしまった。
周囲の人々のことなどすっかり忘れ、目の前の光景に心奪われている。
その様子は、いつも感情の読めない淑女の笑みを浮かべ、何をするにもどこか一歩引いていたルイーゼ・アリー・バークレーとは別人で、側で見ていたスザンナも驚いていた。
思わずガラスに駆け寄り額がくっつきそうな程の距離でじっと外を観察すると、海辺では領民と思われる人たちが所々に集まって何かしていたり、防水布を砂浜に敷きその上で日光浴している人もいる。
犬と散歩している人もいるし、あの人なんか砂浜で走り込みしているわ。それに、わあっ、海の中を何か泳いでいくのが見えたわ!あれはいったい何かしら!
時間を忘れて食い入るように外を見つめるルイーゼの肩を、不意にマクシミリアンが叩く。振り返ると、自分以外の全員が妙に生暖かい視線でルイーゼを見つめていた。
「あっ、えっと、す、すみません!」
「ふふ、喜んでもらえて嬉しいわ。さ、長旅でお疲れでしょう。座ってくださいませ」
恥ずかしさに顔を真っ赤に染めるルイーゼにナタリア夫人が席を勧める。
「ルイーゼ様は噂で聞いていたよりずっと可愛い人ですのね」
くすくすと笑うナタリア夫人に、なんだか居たたまれない気持ちになりルイーゼは身を縮ませた。あれ程苦労して身に着けた淑女のマナーが、王都から少し足を延ばしただけで何処かにいってしまった。向かいの席ではマクシミリアンが面白そうにこちらを見ている。
「うっ、すみません。つい年甲斐もなくはしゃいでしまいました。私の噂とやらが悪い噂でないといいのですが……」
「うふふ、大丈夫よ。誰にも靡かない幻の蝶なんて聞いていたから私が勝手な印象を抱いていただけ。つい夢中になってしまう貴方の気持ち、よくわかるわ。私も此処に初めて来た時は、一日中海を眺めていたもの。ねっ、エディ?」
「わはは、そうだったな。昔のリアを見ているようで懐かしくなったよ」
夫人に話を振られた伯爵は豪快に笑う。貴族にしては日焼けした肌といい、やや掠れた声といい、ジュライス伯爵は端々にそこはかとなくちょいワルな雰囲気を醸し出していて、如何にもな貴公子しか知らないルイーゼが初めて会うタイプの人間だった。
彼がルイーゼに向ける瞳は優しい。その眼差しには親戚のおじさんが姪っ子に向けるような優しさがある。
「本当は疲れているでしょうし、まずは私たちの屋敷で休んでいただこうと思ったのだけど、あまり時間もないのでしょう?それなら海により近い此方の方がいいと思って案内したのだけど、正解だったわ」
ナタリア夫人によると、カフェの窓から見える一際高い丘の上に建つ屋敷が領主館らしかった。あの位置まで行ってからこの場所に向かうのでは、かなり時間がかかったに違いない。
ルイーゼは伯爵夫妻の気遣いに感謝した。
「初めての海はどうかな」
「あまりにも美しかったので驚きました」
「それはよかった。夕焼けに染まった海も綺麗ですよ。時間が許すなら是非見て行ってください」
伯爵が微笑む。
夕日に染まった海……それはとても素敵そうだ。ルイーゼは帰り際が楽しみになった。
「それにしても、全面ガラス張りなんて思い切りましたね」
カフェを見渡して言うマクシミリアンに、伯爵は自慢気に頷いた。
「そうだろうそうだろう。これは娘のアイデアでなぁ。うちの領はガラス工芸も有名だから、建物にも使ってはどうかと言ってな。領民は勿論、観光客からの評判もいいんだ」
「へぇ、天候が悪いときに割れたりはしないのですか?」
「ガラスである以上、絶対に割れないってことはないが、このカフェに使われているのは通常のガラスに特殊な加工を施して強化してある。厚さも通常より厚く作っているので、そう簡単には割れはしないはずだ」
「それはすごい。安全性に問題がないなら、他の景色がいい場所でも真似したいデザインですよ。このガラスはお願いすれば作っていただけるんですか?」
指の関節でコツコツとガラスの厚さを真剣に確かめながらマクシミリアンが伯爵に問いかける。
「今はまだ一枚一枚作るのに時間がかかり大量生産は出来ないのが正直なところだ。暫くは領内で流通させるつもりだが、将来的には他への出荷も視野に入れている」
「成程……今は職人を育てているところ、ってことですね」
「うむ。そういうことだな」
「近い内、クロムウェルの家から連絡がいくかもしれません。その時は相談に乗ってもらえますか」
そう言ったマクシミリアンの顔は完全に仕事の顔になっていた。
「マックスも何か事業を立ち上げるのですか?」
「いや、俺じゃなくて兄の侯爵家の方だな。クロムウェルの領地にはかなり広い薔薇園があるんだが、近々そこのリニューアルを予定していて、新しくカフェを併設する計画があるらしい。今いち決定打にかける、と言っていたから、このガラスは使えるのじゃないかと思って」
マクシミリアンの言葉にナタリア夫人が嬉しそうに声を上げた。
「まぁ!それは素敵だわ。クロムウェル領の薔薇は有名だもの。あそこで薔薇を見ながらお茶出来たら最高ね」
「ナタリア夫人は行かれたことがおありなのですね」
「うふふ。実は私、あの場所でエディに告白されたの。小さい頃、絵本に出てきた王子様とお姫様に憧れて、薔薇の咲き乱れる庭でプロポーズされるのが夢だって話したのを覚えていてくれてね」
「素敵……恋愛小説のようですね」
「結婚記念日は毎年クロムウェル領から取り寄せた薔薇を沢山プレゼントしてくれるのよ」
いたずらっぽく笑う夫人の隣で、伯爵は恥ずかしそうに頬を赤く染めていた。
……なんだかこの夫婦の力関係が見えてきた気がする。
ルイーゼとマクシミリアンがジュライス伯爵夫妻の醸し出す桃色の空気にあてられたところで、店員がやってきた。
サービングカートの上を見て、ルイーゼは驚きに目を見開いた。
目の前に置かれたのは、まるで海をそのまま凝縮して固めたような、円柱型のブルーの塊。
皿が揺れると一緒にぷるぷると左右に揺れるその中には、チョコで作られた貝殻やフルーツの魚が浮かんでいる。
「うわあ、凄い!とっても綺麗……これは何ですか!?」
きらきらと目を輝かせているルイーゼを見て伯爵夫妻の顔も緩む。
「ふふ、驚いた?これはゼリーって言って、最近うちの領に住む菓子職人が開発したお菓子なんだ」
「素敵です。まるで海を閉じ込めたみたい」
「おや、クロムウェル卿は既にご存知だったかな」
じっと皿の上を観察しているマクシミリアンに伯爵が目を向ける。
「名前だけは聞いていました。ジュライス領の職人が面白いお菓子を作ったらしいと噂で聞いていたので、実は今日実物が見られるかも、と密かに楽しみにしていたのですが、これは美しいですね」
マクシミリアンが如何にも紳士的な態度を崩さず、落ち着いた様子で座っているので、興奮して前のめりになってしまった自分が恥ずかしくなって、ルイーゼは思わず背筋を伸ばした。
「おふたりとも、是非食べてみてくださいな」
勧められるままに口にすると、弾力のあるゼリーが口の中でぷるんっと解けた。のど越しも素晴らしい。甘味の中に仄かな酸味があり、すっきりとした後味のそれは、いくらでも食べられそうだ。
「美味しい!」
「旨いです」
「そうでしょう、そうでしょう」
二人の反応に伯爵は上機嫌だ。
「初めての触感ですが、これは何で出来ているのですか?味も爽やかで食後のデザートにぴったりです」
「これは海藻を使っているんです」
「ええ?海藻って、海の中に生えている草ですよね。こんなに美味しいのですか!」
驚くルイーゼにナタリア夫人がぷっ、と噴き出す。
「ごめんなさい。あんまり素直だから笑っちゃったわ。気を悪くしないでね。海藻自体にこんな味はないのよ。海藻はこのぷるぷるしたゼリー状にするために必要なもので、味自体はこの土地で収穫できるブルーナッツっていう果物の果汁が入っているの」
そう言うと、店員を呼び寄せ何事か耳に囁いた。
暫くして店員が再び戻ってきて何か告げると、ナタリア夫人が立ち上がる。
「お二人とも、良ければ作るところを見学してみない?」
「いいんですか?」
「ええ、厨房に入るのが嫌じゃなければ」
「全然」
そうして四人で厨房へと移動した先では、コック帽を被った三人のシェフが忙しそうに動いていた。
「ラビ!」
ナタリア夫人が声を掛けると、鍋をかき混ぜている青年が振り向き、笑顔を浮かべた。
「ナタリア様、伯爵。申し訳ないですが鍋から手を離せないので、こちらまで来ていただけますか」
近づいた青年の額には汗が浮かび、かき混ぜている鍋の中には薄黄色のもしゃもしゃした何かが泳いでいた。
「この子がさっきのゼリーの考案者よ」
「初めまして、ラビと申します。こんな体勢ですみません」
ラビと名乗った青年は鍋をかき混ぜるヘラを持ったまま、片手でコック帽を持ちあげる。
「マクシミリアン・サイラス・クロムウェルだ」
「ルイーゼ・アリー・バークレーです」
二人が名乗ると、ラビは一瞬目を瞬いてナタリア夫人を見やった。
「道理でお綺麗な顔をしていると思いましたよ。ナタリア様、また、すごいお方を連れてきましたね」
「うふふ、義弟のお友達なの」
「はぁー、クロムウェルとバークレーっていったら俺みたいな庶民でも耳にしたことがありますよ」
「光栄でしょ。お二人がゼリーを作るところに興味がありそうだったから連れてきちゃった」
「きちゃった、って貴方ねぇ……」
ラビがあまりにも夫人に気安く話しかけるものだから、横で見ているルイーゼはなんとなくハラハラしてしまった。ちらりと伯爵を振り返ると、ラビと夫人の会話を慈愛の籠った目で見つめている。
伯爵は懐の深いお方なのね。もしヴィンセントなら――
つい夫の顔が浮かびそうになり、ルイーゼは慌てて頭を振った。
「これがゼリーの元になる海藻です。これは不純物を洗い流した後、色が抜けるまで真水に晒して乾燥させたものです」
そういってラビが見せてくれたのは、先程ちらりと鍋から見えた薄黄色のもしゃもしゃだった。
乾燥しているため、鍋の中のものより少し色が薄い。
「元々は赤紫色なんですよ」
「へぇーこんなに白くなるんですね」
「はい、赤いままだと出来上がった時に透明にならないので」
「これが海藻……」
「触っても大丈夫ですよ?」
恐る恐る触れた海藻はふわふわした見た目とは裏腹に、硬くてごわごわしている。
「これがあのぷるぷるになるとは思えないのですが……」
ルイーゼが困惑した顔をすると、ラビが噴き出した。
「あー最終的に使うのは煮汁の方です」
「煮汁?」
「今俺が煮てるのがそうなんすけど、吹き零さないように気を付けながら水と一緒にとろみが出るまで煮るんです。最後に海藻を取り出して冷えるとあのぷるぷるの素になります」
そう言って、ラビは実際に鍋から煮汁を濾すところを実演してくれた。
ガラスの平な容器に移された煮汁は、ラビの言う通り、とろりとした粘度の半透明の液体になっている。
「ここに砂糖や蜂蜜を入れて固めたり、シロップをかけるだけでもそれなりに旨いんですけど、店で出してるやつは海をモチーフに、ブルーナッツの果汁で色付けして飾り切りしたフルーツなんかを入れてます」
「へぇ、すごいわ!」
「あの……今更ですけど、こんなに見せちゃっていいんですか?」
マクシミリアンが伯爵を仰ぐ。
「ああ、構わないよ。どうせこの海藻が採れるのはうちの領地だけだ。ラビも賛成してくれたし、我が国の食文化の発展のためにもうちだけで秘匿するつもりはないんだ」
「ジュライス伯爵……臣下の鑑ですね」
近年は周辺国との大きな戦争もなく情勢は比較的安定している。そのため王太子殿下がこの国のあらゆる文化水準の向上に力を入れたい、と話しているのを常日頃耳にしているマクシミリアンは素直に感動した。
伯爵の弟である気の良い友の顔が思い浮かび、成程この人と共に育ったからこそあの性格になったのだろうと納得する。
「あの、伯爵様。こちらはお土産として買うことは出来ますか?」
ルイーゼはおずおずと切り出した。
出来れば屋敷の侍女達、そしてヴィンセントにも食べさせてあげたい。
「あー、残念ながらこれ日持ちしないんですよ。熱にも弱くって、あまり暑い所に置くと形が崩れてきたりするんで、今のところ此処限定ですね」
ラビが申し訳なさそうに眉を下げる。
「王都に店は出さないんですか?かなり人気が出ると思いますけど」
「そうだなぁ、出すとしてももう少し様子見だな」
「原価はそれほどでもないんですけど、作るのにかなり手間がかかるので……」
ラビが額の汗を拭う。
確かに、海藻の色を抜くだけでも大変そうだ。
「勿体ないですね。これなら王宮品評会も狙えそうですのに」
ルイーゼは思わず呟いた。
王宮品評会は年に一度、王宮で開かれる料理のコンテストだ。食事部門とペイストリー部門に分かれていて、そこで優勝した料理は賓客との食事会の場などで提供され、考案者は王宮料理人として働くことも出来ると聞く。
「王宮品評会?あれはペイストリーに限定されてるのでどちらにしても……」
「ええ、だから他のケーキ、例えばチーズケーキなんかと組み合わせたらとても素敵なんじゃないかと思って」
ルイーゼの呟きにラビが目の色を変えた。
「それってどういうことですか?」
「え、えーと……紙とペンはあるかしら」
ルイーゼが口にすると同時にラビがポケットからメモと鉛筆を差し出した。
「こう……焼いたチーズケーキの上に、フルーツを置いて上からゼリーを流して固めたり、それか、こう包むようにして、間にフルーツや食用の花なんかを入れたら美しいのではないかしら」
渡されたメモに丸いホールケーキを書いて、その周りを丸く囲う。ケーキと囲いの隙間に花やフルーツの絵を書いてラビに見せると、下手くそながらも伝わったらしい。
「成程……チーズケーキ以外にも、ケーキの周りをジャムで覆った後、更に上からゼリーで覆っても可愛いかもしれないすね」
「ええ、それも素敵だと思うわ」
「それなら、ブルーナッツのジャムを作ってケーキに塗るのはどう?その上からさっき食べたブルーナッツのゼリーを流し込んだら、きらきら光る水面が再現できそうじゃない?」
ナタリア夫人が窓の外、太陽の光を反射して輝く水面を指さす。
「成程、それはいいな。上手くいけばウチの領地の宣伝にもなりそうだ」
「それなら、ゼリーの色をグラデーションにするのはどうです?葡萄あたりを使えばより海に近く見えるんじゃないですか」
いつの間にか、伯爵とマクシミリアンも真剣に考えこんでいる。
「グラデーションかぁ、それはちょっと試行錯誤が必要そうだけど、出来たら視覚的効果は抜群だな……。えと、俺、ちょっとそれ試してみてもいいすか」
「許可なんていらないわ。思い付きで話しただけだもの」
ルイーゼたちにお礼を言うと、ラビは何事かぶつぶつ言いながら手元のメモに書き込み始めた。
「すごい集中力ね……」
「ああなったら暫くラビは戻ってこないから、そろそろお暇しましょうか」
ナタリア夫人の言葉に頷いて、一行は海辺のカフェを後にした。
現在お腹の風邪にかかっています(´·ω·`) 皆様もお体にお気を付けてください。