壁
「魔術師……」
とりあえず距離を取り、相手の出方を窺う。すると、閉じていた本を開くと、本が赤く光り輝く。魔法陣が出現し、小さな火球がひろに襲い掛かる。
「ったぁ!!」
一度はやってみたかったことである、『魔法を斬る』行為。見よう見まねでやってみたが、火球がすこし揺らいだだけでまだまだ未熟なひろにはそれを切り裂き、消滅させるまではできなかった。
「あっつ!!」
火球が顔をかすめ、頬に火傷を負わせた。魔術師は間を置かずに次なる攻撃に転じた。同じくして火球は今度はマシンガンのように連射的に繰り出す。
「これは流石に……避けられないっ!ならば……!」
半ばやけくそで火球の雨に向かって突っ込む。そして剣を盾のようにして使い、顔を防ぎながら魔術師に近づき、下から斬りあげる。
「やったか!?」
手ごたえはあったはずだったが、瞬時に魔術師は後ろに飛び退き、一撃を免れた。そのおかげでローブは多少切れたものの、直接的な被害は出なかった。
相手もムキになってきたのか、次は本が水色に光輝き、鋭利に尖ったつららのようなものが空から降り注ぐ。
「これはいける……!」
うまくタイミングを合わせてつららを斬り裂く。それが相手の術中にはまっているということも知らずに、魔法が斬れる快感がひろの気持ちを高揚させ続けた。その結果、恐れていた事が起こったのである。
「え……」
つららを斬り裂きまくった剣の刀身は凍り付き、そして斬り裂いたつららは地面に堆積し、ひろの足元に大きな氷を形成していた。ひろの膝近くの高さまでそれは凍り付いていき、ひろは見動きが取れない状況に陥った。
黒いローブをかぶった魔術師はおそらくローブの下でうまくいったとほくそ笑んでいるに違いない。音もなく魔術師はひろに近寄り、ローブの袖からナイフを取り出し、ひろを斬り刻み続ける。
所詮ナイフではあるので、殺傷力はさほどないが、避けられずにそれを食らい続けていれば死は刻一刻と近づいて来る。
「ぁ……ぁあ……」
だらりとうなだれ、なすすべもなく攻撃を浴び続ける。もはや叫び声すらもでない。それを見るに見かねたのか、訓練士が魔術師を消滅させ、氷から解放し、回復魔法を唱えた。
「君はもう少し戦いに慣れた方がいい。今のままでは魔物相手では死にかねない。ゼリースライムのレベルを一とするのであれば、魔術師のレベルは三と言った所か。本来ならば勝ててもおかしくない相手だったはずだ。
君の動きは悪くはないが、あまりにも成長が遅すぎる。今日はもうやめにしよう。町に帰るといい、きっと君の仲間とも出会えるんじゃないか?」
訓練士がそう言い、ひろが瞬きをした時には既にラムシールの中央広場にある噴水の淵に座っていた。
「……俺、辞めようかな」
ボソッとつぶやきながら空を仰ぐ。時間は既に夕方近いのだろうか、茜色に染まった空が広がっている。周りには自分と同じような防具を身に着けた初心者達が歩いている。
彼らはどのくらい強く、どのレベルの敵達と戦っているんだろうかなどと考えてはため息をついた。
「……柊君?」
「ん?」
地面を見つめていたひろは不意に声をかけられ、顔を上げた。そこにいたのは前かがみでひろを覗き込んでいた委員長こと小鳥遊憂姫がそこに居た。彼女は肩に小さな竜を乗せていた。
「あ、委員長、こんちは。その子は?」
「うん、こんにちは。柊君もなんとかやっているみたいね、安心したわ。この子は私の魔法、『召喚』で召喚した召喚獣のベビードラゴンよ。まだこの程度しか召喚できないけど、まだ二日目ですものね、これからよ、これから……」
憂姫は負けず嫌いの所があるらしく、本日の修行の成果に納得いっていないのか悔しそうに言った。
「柊君の方はどう?よかったらステータスを見せ合わない?」
そのお誘いに思わず肩掛けバッグからタブレットを取り出そうとしたが、既に召喚獣を涼しい顔をして召喚している憂姫の方が高レベルかつステータスも高いと判断したひろは、その手を引っ込めた。
「だ、駄目だ……できない」
「……そう、気分を悪くさせてしまったのならごめんなさい。それはそうと、他の人達は見てない?私は昨日も町に戻ったのだけれど、誰も見つけることができなくて……」
「あぁ、それなら、訓練場に休憩できる場所があったからそのせいなんじゃないかな?俺も昨日はそこで寝たんだよ」
気絶して寝てたということは口が裂けても言えないのでその事実は黙っておこう……
「なるほど、そっか……さらちゃんは?」
「いや……さらにも会ってないな。委員長はこの町の宿屋かなんかに泊まっているの?」
「いえ、私の職業は『召喚師』なんだけど、その転職場所に寝泊まりができる場所があって、そこで寝泊まりをしているわ。でも、食堂のような所はないからこの町にある屋台かお店でご飯だけ食べているの。
そうだ、柊君はご飯は食べた?私これからなんだけど、よかったら一緒にどうかしら?」
「うん、いいよ」
特に断る理由もなかったので素直に頷いた。
「それじゃあ決まり!行きましょ」
「でも、俺金持ってないけど?」
「あぁ、それは平気よ。この町は初心者の冒険者しかいないからメルーを持っている人は誰もいないの。居ても外部からやってきた冒険者だけだけどね。
だから、この町にいる限り食費はかからないの。でも、その分食事はとても贅沢なものではないけれど。すごいわよね、赤字確定のはずなのに無償でそれを配給するなんて」
いくつか聞き覚えのない名前がチラホラ出てきたので話が広がらないうちにツッコミを入れた。
「ごめんちょっと待って。冒険者って?メルーって?」
「え?教わらなかったの?えっと、冒険者って言うのは、私たちの事。職業を持って自我を持って行動できるプレイヤーキャラクターの事ね。それで、メルーって言うのはこの世界の通貨らしいわ。
銅、銀、金の段階で硬貨があって、銅貨百枚で銀貨一枚分の価値、銀貨千枚で金貨一枚。基本、一メルーは銅貨一枚と思っていいわ。あっちの感じで行くと、銅貨が一円、銀貨が百円硬貨、金貨が千円札って言った所ね。この町、ラムシールの向こう側に大きなお城があるでしょう?
ある程度修行が終わった冒険者はそこに立ち寄って、外に出る事を伝え、外で生きて行くために金貨一枚が配られるらしいわ。……と言っても大した額ではないようにも見えるけどね。
メルーは魔物を倒してもドロップするみたいだからそこら辺は安心してもいいと思うわ。……と、ちょっと話しすぎたけど、理解できたかしら?」
「う……うん、まぁ、なんとなく」
愛想笑いをしながら曖昧な返事を返した。ジト目で憂姫は見てきたが、ため息をついて前を向き直した。
「さ、着いたわよ。屋台だけど、ここは中々美味しいの。おじさん、サーチャイ二つください」
「はいよ」
丸坊主の店主は鉄板と小手を使って何かをかき混ぜている。
「……あ、焼そば?」
「そうね、焼そばに近いかもしれないわ。味も確かに似ているわね。でも、具材に肉や魚、野菜がふんだんに使われていて結構ボリューミーなのよ?」
屋台の近くのベンチで話ながら待っていると、店主が木の器に山盛りにサーチャイを二つと木のコップを二つをおぼんのような物に乗せ、やって来た。
「お待たせ、出来立てだから火傷に注意しな」
「ありがとうございます」
「ありがとう、いただきます」
ふんっと鼻を鳴らしながら店主はまた屋台の方に戻っていってしまった。不愛想ではあるが、気遣いができるいい人だと思った。
「それじゃ早速……」
付属していた箸を使い、サーチャイを口に運ぶ。ソースの濃い味と肉、海産物、野菜のうまみが口いっぱいに広がり、箸が止まらない。一心不乱にそれを食べ続けると、隣に座っている憂姫がクスクスと笑い出した。少し怒った表情でひろは言った。
「……なんだよ」
「ううん、美味しそうに食べるなぁ……って。私ね、この世界に来てから不安だったの。向こうの世界ではこの世界のような事はまずありえなかったから想像もしていなかったけど、この世界に来て魔物と戦って、生きている実感って言うのを知った。
向こうの世界じゃなんで生きているのかも不思議だったのに、この世界に来て毎日が充実しているっていうか……周りには頼れる人がこの世界ではいないから、私一人でなんとかしなければ死んでしまうって思うと自然と魔物を倒す手にも力が入るというか。
柊君はどう?この世界は楽しい?それとも帰りたい?」
「俺は……」
ひろはその問いに即答できなかった。向こうの世界ではずっと憧れていた世界に来れたはずなのに、いざ来てみたら補正などはなく、ただ毎回毎回魔物にやられて傷だらけになって訓練士に呆れた顔をされるだけである。
しかし、ただ一つ、必ずと言っていいほど頭に浮かんでくる物がある。それは――
「俺は、楽しくはないし、帰りたいと思うけど、きっと帰る事はできないんだと思う。だったら、この世界でやっていくしかない。それにさらが一人で寂しがっているんじゃないかって。
この世界は言ってみれば力が全てだと思う。向こうの世界ではさらに頼り切ってばっかだったけど、こんな世界ならば俺はさらを守る力をつけるべきなんだと思う。だから、俺は逃げない。いくら自分が無能という烙印を押されたとしても――」
「そう、ならお互い頑張りましょう?私も空にばかり頼ってられないもの。さてと、私は行くわ。知った顔に会えて少し気が楽になったわ、ありがとう、柊君」
「うん、俺もありがとう、委員長」
二人で皿を返却し、各々の転職場所へと戻っていった。