4. 追跡者(1)
レイテ村を出たアリューシャとグラートが隣町に着いた頃にはとっぷりと日が暮れていた。
その晩は町外れの倉庫の隅で夜を明かす事にした。グラートがこの町に荷卸しに来た時、利用する場所らしい。
グラートはアリューシャに付き添い、翌朝駅のプラットホームから見送ってくれたのだ。
――――そのグラートと別れて4日が過ぎた。縦断鉄道を北へと向かう。ゴールの無い逃避行だ。
自分は何から逃げているのかよくわからなくなっていた。
実感すら湧かない。
大地に飲まれる父も、崩れ落ちる家も悪い夢だったのかとさえ思えてくる。
列車に揺られながら終着駅を目指そうと思っていた。とにかく遠くへ行けというグラートの言葉にそのまま従う。
(次がやっとクーデルントね)
アリューシャの席の背後からそんな話し声が聞こえた。
知っている
クーデルントは父さんと母さんが昔旅行したと言っていた場所だ。
その時土産に買ったと言う小さな木彫りのウサギがアリューシャの家の飾り棚のてっぺんに置かれていたのだ。
アリューシャは車掌が「クーデルントです」と声を上げる中、導かれるようにプラットホームに下り立った。
ツイードの上着を着ていたのだが、外は冷たい北風が吹きすさびアリューシャの息を白く染めた。ブルッと身を縮めるとジャケットのボタンを上まで留め、鞄に収めていたチェックの毛織ストールをマフラー代わりに首に巻いた。
駅の売店の側を通りかかると新聞が目に入った。
もう父さんの事は記事になっているのだろうか――――
恐ろしい気もしたのだが、アリューシャは確認したくなった。
銅貨を店員に渡すと覚悟を決めて恐る恐る新聞を広げた。ページをめくる。更にめくる。しかし父親の記事も村に起こった奇妙な現象についても一切書かれていない。
昨日の新聞だった?
アリューシャは売店で昨日の新聞の残りが無いか尋ねた。
「ああ、それなら売れ残りがあるからみせてやるよ」
店員の男が親切に店の奥から数日分の新聞を持ってきてくれた。
しかしそのどれにも事件については載っていない。
あれだけの事があったのに……
アリューシャの胸を更に不安な気持ちが覆い尽くした。
「ありがとうございました」
店員に礼を言うとすぐにクーデルントの町中へと歩いて行った。
メインストリート沿いに比較的大きな駐屯所が見えた。アリューシャは入ろうか迷いながら何度もその前を行ったり来たりしていた。
「おい、坊主。なんか用があるのか?」
外番をしていた役人にそう声を掛けられアリューシャは立ち止まる。
「あの……少しお聞きしたい事があって……」
ギョロッとした目で睨まれアリューシャの胸はドクドクと恐怖の音を立てた。しかし役人は意外にも優しい口調で続けた。
「そうか。何か困りごとかい?」
「え……とちょっと怪我人について聞きたい事があったので……」
そうアリューシャが答えると役人は心配そうな顔を見せた。
「それなら中に入るがいい。担当の者がいるから聞いてやろう」
アリューシャはホッと胸をなでおろし、村の名前と怪我人が出ていないか尋ねた。
さすがに地面がうねって大きく波打った事は伝えなかった。
外番の役人と事件を担当する役人が話を聞いてくれたが二人は首を捻った。
「そんな話は聞いてないなあ」
担当の役人はまだ若い新人のようだった。メモを取りつつアリューシャの話を聞いている。
クーデルントは二つ隣の県だった。事件の話が通らない事もあるのかもしれない。
もしくは……やっぱりあの出来事は幻だったのではないだろうか。
アリューシャの胸には一筋の希望の光が差し込んでいた。
二人に礼を言うと駐屯所を後にした。
やっぱり一度村に戻ってみようか……?
とりあえずクーデルントで今日の寝場所を確保しなければいけない。一つ裏の通りに入ると、なるだけ明るく清潔そうな宿を訪ね部屋を取った。
アリューシャは朝一番の列車で今来たルートを戻ろうと決めた。
あの時グラートの手を振り払ってでも父さんの元に行くべきだったのだ。
翌朝宿を出て駅へと向かう道すがら、前方に昨日の若い役人が立っているのが見えた。その横には昨日とは違う中年の男。
そしてその背後には同じような黒いロングコートに身を包んだ、二人の男たちがいた。背後の男たちの中で痩身で頬に傷のある男とアリューシャの目が合った。
思わずアリューシャは目を逸らしてしまった。
若い役人とその男がやり取りしている。アリューシャはその声が聞こえたような気がした。
「あの少年だ!」
アリューシャは自分の耳が聞き取った言葉で鳥肌が立った。
若い役人がアリューシャを指さすと背後の三人組がアリューシャに向って歩いてきたのだ。
後ずさったアリューシャは回れ右をすると思わず走り出した。
「待て!!」
今度は本当にアリューシャの耳に男の怒鳴り声が聞こえた。アリューシャは鞄を握り締め思いっきり走った。
どうしてこんな事に……!?
幸いにも人ごみに紛れ男達がアリューシャに追いつく事は無かった。でももう町にも駅にも戻れない。仕方なくアリューシャはそのまま北に見える山へと続く道を進んだ。