24. 刻印(1)
22年前の夏は希に見る猛暑だった。それに加えて晴天の最中、突然豪雨が降りつける日も多く、雨具が手放せないでいた。
天候予報士は顔を合わせる度に『お前達のせいで予報が当たらん』とぶつくさと言うのが常だ。
『天気まで変えるような力は無いですよ』と言ってみるのだが、『嘘こけ』と却って不興を買ってしまうのだ。
今日のレポートにも天候予報が載っていた。
『一日中晴天』
夏の夕日の残る赤い空を、音を立ててどしゃぶりが降った。
「ジェイド。 ……止めておけ」
騎士団長がジェイドの肩を掴むが、それを聞かずに彼は掛けられていた麻布を剥ぎ取る。
彼女の気に入っていた真っ白のワンピースは黒い泥水と血の朱で染まっていた。
ジェイドはガクリとその場に膝をついた。
オフェリアと結婚式を挙げたのは、まだ幾月もたっていない春の事だった。彼女の故郷の谷間にある小さな教会は二人分の幸せを包み込むには十分だった。
美しい人
金色の髪に金色の瞳
『神の血統』――――そんな言葉を彼女の祖先が使ったのか、周りの人間が使ったのか定かでは無い。
しかしその言葉こそが何世代にもわたり彼らを苦しめていた。
選民思想を抱き、神を貶める民族だとして、その美貌の民は蔑みの対象とされていたのだ。
くだらない――――
彼女は美しさを隠すことにひたすら努めていた。
瞳には薄い褐色のガラスをはめ、輝くような髪は鳶色に染めていた。
そんな必要も無いと私は言ったのだが、それは彼女を完璧に守ることのできない小僧の戯言だった。
生活の端々でその差別を受けるのは私では無く彼女自身なのだ。
『そう言ってくれるだけで嬉しいわ』
彼女は儚げに微笑んだ。
灰色の雨が降り注ぐ世界でジェイドは震え上がった。
愛しい女性は壊れた子どもの抱っこ人形のようにその瞳を開かない。濡れて色を濃くした髪が頬に貼り付いている。瞼に並んだ睫毛だけが雫をたたえ、ありのままの金色に輝く。
「オフェリア――――」
恐る恐る彼女を抱え上げるがだらりと腕はぶら下がり、雨に滲んだ血がしたたり落ちた。
「どうして、こんな……」
歯をくいしばりギリギリと音を立てる。
政府は妄言で民の支持を得ようと考えていた。
最後までその作戦に反対したのは中枢に入ったばかりの赤毛の青年政治家だったという。
国を牛耳る薄汚い老人達の偏った思想こそが愛する人を奪ったのだ。
もう少し早く戻っていればと今でも思う。
全てを投げ打ってでも。
北の国境沿いに蛮族の侵入など微塵も見られなかった。
それでも追求せよという命令。
南の金色の民は最後まで戦う事をせず、国教の神へ祈り続けたという。その神の名の下に粛正は行われた。
一緒に里帰りをしたらよかったのだ。
休暇をとるべきだった。
彼女の帰郷を止めるべきだった。
いや、ずっと一緒にいるべきだった――――国賊と成り下がってでも
冷ややかな視線を落とすゼーゲン騎士団長をジェイドは魂が抜けたように見上げた。
大粒の雨が顔に打ち付ける。
「『正義』とは何ですか? 女子どもを……弱いモノを踏みにじる事が正義ですか!?」
「ジェイド。いつの時代も正義とは鉈を振るう者に従う」
「そんなモノが正義ですか?」
「それこそが正義だ。残酷なほどに」
ポタポタと、突然降り出した雨はまた突然止んだ。
騎士団長は煙の先に係留してある赤い空を映し込んだ飛空船アレキサンドライトを臨んだ。
「血を拭けジェイド。まだ燃えている場所がある。鎮火に向かうぞ。……彼女は気の毒なことだった」
気の毒……?
「お前のブルードラゴンは必要だ。すぐに戻るぞ」
体温を失った彼女の体
血と硝煙と泥の臭いの中に、それでもまだ青々としてほの甘い鈴蘭の香りがする。
――――声が聞こえる
ジェイド
ねえ、見えてきたわ!
あなたの故郷にもなるのよ
あの鈴蘭の谷〈ネーベル・タール〉が
眩しい笑顔こそが何よりも光って見える。
まさに金色の笑顔――――
「…………私が間違っていました」
「気にする事は無い。若いうちには間違ってこそ学べるものがある。
お前は家柄もいいし、能力も飛び抜けている。騎士団の統率力を考えても次の団長にはセドリックでは無くお前を推そう。今は悲しみがあるかもしれんが結果として良かったと思える日が必ず来る」
――――パンパン!!
乾いた音が辺りに響き渡る。
ジェイドの手には銃が握られていた。
その衝撃に団長の男は胸に手をやると下を見た。
手の平は血まみれでブルーグレーの制服が赤紫色に変色していく。
ガクリと片膝をついた。
「ジェイド! ……何を……!?」
ガハッと口からも血が噴き出す。
「ポゼサーとしてのプライドですよね? イェーガーは銃を使いません。だから撃ったのは私ではない」
更にパンと引き金を引く。
「私が間違っていた。……この国に正義など無い」
うなだれていた男が泥に手をつき倒れ込む瞬間、最後の力を振り絞り風の刃をジェイドへ放つ。
ジェイドの左目に縦の線が下から入り、その衝撃で頭が後方にガクンとしなった。
そのおかげで致命傷は避けられたが頬骨から眉まで入った切り込みから血が噴き出す。
「ぐっっ!!」
「……馬鹿……野郎が……」
顔をようやく上げた騎士団長はその姿勢のまま倒れ込み絶命した。
ドクドクと流れ落ちる血を手で押さえながらジェイドは言葉を吐き捨てた。
「正義の鉈は……――――私がふるう」
傷は治らなかった。
ドラゴンの力を持ってしてもジェイドの左目は治癒しなかった。
それが罰
愛する人を守れなかった、永遠に償えぬ罪――――今でもジェイドの刻印として左目を引き裂いたままだ。




