22. 真実の残骸(1)
アリューシャは眠れぬ夜を過ごしていた。
信じられない事実を前に、どうしたらよいのかわからなかった。
ヨルクの寝息が隣のベッドから聞こえてくる。
裏切った者の名を騎士団の皆に知らせたいと思ったが、その術はアリューシャには無い。
ここで言われるままにアンブロスの秘法を実行していくのだ。
アリューシャの眼前に横たわる未来が恐ろしく感じた。
意識を失ったポゼサーがアリューシャの目の前に捧げられる。
ナイフをその首に当て、アリューシャは感情を置き去りに、ただひたすらドラゴンストーンを掠め取っていくのだ。
そして彼らの仲間が増える。
切除されるポゼサーは……
この国に存在する多くのポゼサーは今まで寝食を共にした仲間達。それはイェーガーに他ならない。
彼らからドラゴンストーンを切除して、果たしてそのまま無事で済むのだろうか
国が転覆していくのに、アリューシャはひたすら手を貸していく。
罪を重ねて、仲間にナイフを突き立てて、いつか愛する人の首からも美しく碧い宝石を奪い取るのだ。
(キーファさん!)
胸を何かが貫いて思わずアリューシャは名前を吐き出しそうになる。
隣の父親を起こさないようにそっと身を起こすとアリューシャは扉に手をやった。鍵はかけられておらず、音を立てないようにして開くと淡いランプの明かりが部屋に差し込んだ。
顔だけを出して外の様子を伺うと見張りをする人間の姿は無い。
アリューシャはゆっくりと軋む廊下を歩いた。窓からは沖合に浮かぶ船の集魚灯の明かりが見えた。
父さんと一緒にどうやったら逃げ出せる……?
漁船の向こうにあるはずの陸地は遙かに遠く、腕を失い衰弱した父と二人、そこへ辿り着けるとは思えなかった。
その時ギシリと廊下の板材が音を立てた。
驚いたアリューシャが顔を向けるとそこには黒づくめで痩身の男が立っていた。
以前クーデルントの町でアリューシャを追ってきた男達の中の一人だ。
ランプのわずかな明かりしか無いせいか、男の顔色は暗闇から異様に白く浮いて見えた。昔読んだ本に出てきたマスクをつけたファントムを思わせる。
アリューシャの体に鳥肌が立ち踵を返した。
急いで自分の部屋のノブを掴んだ時、後ろから羽交い締めにされた。声を上げようとしたが口元も手で覆われている。
じたばたと暴れるアリューシャを意にも止めず脇に担ぎ上げる。
階段を一つ下りるとギシリと錆の目立つ扉を開いた。アリューシャをその床に投げ落とすと、白い土埃が舞いあがった。
大声を上げようとしたアリューシャの顔のすぐ横に、男がナイフを突き立てた。
「声を出せば刺す」
男の目は夜の闇よりももっと暗く冷たく感じた。
まるで黒い炎がともるように、アリューシャが感じたことの無い視線。
床に突き刺したナイフを引き抜くと、アリューシャの胸へとそれがむけられる。
殺される!
アリューシャは思わず目を瞑る。
しかしナイフの衝動はアリューシャの躰には伝わらず、シャツのボタンを跳ね上げた。
アリューシャは別の恐怖に震え上がった。
自分に押し乗ってくる男の体に爪を立てて、拳をぶつけて抵抗するがその全てを男の掌で押し込められた。
頭を振って口に当てられて手をどかそうとするが、力の差がありすぎて息ができないほど塞がれてしまう。
男の目がアリューシャを射貫く。
その目には快楽に溺れようとするような欲望の光すら無い。
目に宿るのは憎悪と怨嗟――――
「お前の親父もお前も殺すことはできない。じゃあせめて親の罪を娘が償え」
男の頭がアリューシャの首元に押し当てられると生温かい息がかかる。
空いた片方の手がアリューシャの太股を鷲掴みにした。
今まで感じたことの無い恐怖がアリューシャを襲う。
生命を奪われるよりも、もっとずっと心を引き千切るほどに恐ろしいことが行われる。
キーファさん!
助けて!!!
その時アリューシャにかかっていた男の体重がフッと軽くなった。
首を掴まれ上半身を反らした男が背後の壁に打ち付けられる。
「アリューシャ!! 大丈夫か!?」
男の声がしたがそれはキーファでは無かった。
男の姿をしたままでダリアが立っていた。
「アリューシャ? 立てる?」
手を伸ばしてきたダリアを避けるように反射的に後ずさる。
「ごめんなさいね。あいつタダじゃおかないから」
壁に激突し気を失っている男を、ダリアが蔑むように見下ろした。
アリューシャは汗だくで、顔はいつ流したともしれない涙でぐしょぐしょになっていた。
アリューシャの肩から上着が掛けられた。
「アリューシャちゃん……着てなさい」
開けた胸元に気づきアリューシャが慌てて襟元を握りしめた。
「部屋までつきそうわ」
よろけるようにダリアの後ろをアリューシャが歩いた。
「私が見張ってるから、今後絶対こんな事は起こらないわ」
呆然と歩くアリューシャを目の端で見てとると、またダリアは前を向いた。
「あいつは……ラモサはヨルク先生を恨んでるのよ。アンブロスの秘法の犠牲者なの」
どこか遠くを彷徨っていたアリューシャの心が、強制的にその場に戻される。顔を上げると振り返っていたダリアと目が合った。
「人体実験よ。アンブロスはたくさんの人を犠牲にして秘法を完成させた。ラモサのお兄さんはそれで命を落としたのよ。あいつは運良く生き残ったけどね」
「そんな……」
「ラモサの行動は許されるもんじゃないわ。でもアリューシャちゃんに知ってもらいたかった……ってのは私の身勝手な理屈かしら」
アリューシャは自分の両の手の平を見つめた。
過去の犠牲の上に成り立つ秘法の重さと、今から背負い込むであろう自分の罪の重さがこの手の中にある。
アリューシャはちっぽけで頼りなげな自分の手が、まるで鉤爪を生やした悪魔の手のように、禍々しく不吉な物のように感じた。




