20. レジスタンス(2)
小舟は手こぎのものだったが、ダリアが櫂に手を伸ばす事は無かった。風の力で船を押し、まるで小型モーター船のようなスピードで波の上を走った。
沖合に陽炎のように浮かんでいた小島は、近くまで来るとたくさんの建造物が乱立していることがわかる。かつては賑わいを見せた小さな町も、今ではその全てが廃墟だ。
海岸線は煉瓦塀で作られ、波による浸食が激しい。荷下ろしの為船着き場も整備はされているが所々が大きく欠落している。
そこを避けるようにダリアが島の裏手の岩場に船を着けた。
「ここは20年前に閉島した、ダイヤモンド鉱山よ」
「ええ……。話だけは知っていました」
「そうか。アリューシャちゃんの故郷はこの近くだね」
「父さんはどこにいるんですか?」
「ついてきて」
ダリアが狭い路地を進んでいく。人のいなくなった島は雑草が茂り、建物は伸び放題の蔦に今にも飲み込まれそうだ。
窓ガラスは猛烈に打ち付ける海風のせいで、その多くが割れ散っている。中の壁も剥がれ、残されていた家具も雨にさらされ膨らみ朽ち果てている。
そこには人のいた痕跡だけが、時間の吹き溜まりのように存在していた。
「建物にはあんまり近づかないようにね。上階の窓がたまに割れて落ちてきちゃうから」
ガラス片を踏みパリパリと足音がする。
「こっちだよ」
ダリアが入って行った建物を見上げる。
3階建ての堅牢な建物だ。エントランスも広く、たくさんの人間が行き来できるように両開きの扉が3つも連なっている。
「ここって?」
「学校よ」
廃墟にしか見えなかったエントランスを抜け、長い廊下を進んでいくと奥の階段を上へと昇る。
3階までたどり着くとすぐにその様相が変化した。
きちんと清掃された廊下に、この階の窓は一つも割れていない。
白い扉には真鍮で「教材室」のプレートがはめられている。
アリューシャがその扉を開くといくつかの仕切りがあり、そこは部屋として区切られているようだった。
「一番奥よ」
アリューシャが進むと、閉められたカーテンを開けた。ベッドに横たわり毛布をかぶっている人がい
る。足が向けられていて顔が見えない。恐る恐るアリューシャが声をかけた。
「……父さん?」
身じろいだその人がよろよろと頭をあげた。伸びきった白髪頭に無精髭も白髪交じりだ。
「父さん!!!」
「……アリューシャか!?」
ベッドの横に滑り込むようにアリューシャが駆けた。
「無事だったのね!!」
アリューシャは涙を流しヨルクの首に抱きついた。
「…………アリューシャ」
ヨルクもかすれた声を出す。
「もう二度と会えないと思ってたよ」
二人は強く抱き合った。
「とおさん……」
アリューシャが声を上げて泣き出した。その涙をヨルクが右手だけで受け止め指先で拭いてやる。
「よく顔を見せてくれ」
赤くなった瞳をアリューシャが向けると、変わらない父親の穏やかな瞳が揺らいでいた。そしてその目からも涙がこぼれ落ちる。
「すまなかった。お前をこんな目にあわせた」
「そんな事言わないで!! 私のせいだよ。私がやりたいって言ったんだもん」
「アリューシャ。それは違う。私がそう決めてしまったんだ。……わかっていたのにお前まで巻き込んで。愚かな事だ」
アリューシャがヨルクの体にしがみつく。
「アリューシャ……」
「ねえ……父さん。これ」
少し体を離すとアリューシャは首から下げたチェーンを引っ張り出す。
「母さんの指輪だよ」
右手でそれを受け取ったヨルクが握りしめ顔を寄せた。
「お前が持っていてくれたのか?」
「…………うん」
ヨルクがアリューシャの止まらない涙を右の指で拭う。
さっきから右手だけしか使っていない父親の姿に、ようやくアリューシャが気づいた。
「父さん……左腕が」
力無くヨルクが笑むと中身の無い袖口を右手で触る。
「失ってしまったよ」
「治療は?」
「大丈夫だ……」
アリューシャの目にはヨルクが大丈夫なようには見えない。痩せ細り鎖骨が浮いて見える。白髪は増え10も歳を取ってしまったようだ。
「アリューシャ。今までどうしていたのか聞かせてくれるかい? フォルク祭でお友達の家に行ってからどうしたかと案じていたんだ」
「私……あの時、ここの人たちが家に来たときレイテ村にいたの」
「じゃあ、あの時お前も捕まっていたのか!?」
「違うの! ぎりぎりの所でグラートが逃がしてくれて、それから私……」
アリューシャの鼻の奥がツンとして痛みが頭の先に抜けていく。
「キーファさんって人に助けてもらったの」
「そうか」
「すごく優しい人。父さんにも会ってほしかったな……」
キーファの名前を父親に聞いてもらうだけで、アリューシャの心は温かくなった。
大切な存在である二人が会えたら、どんなに幸せなことだろうかとアリューシャはつかの間空想する。
穏やかな目の前の父親の笑顔と、キーファの少年のようなあどけない笑顔が重なり合う。
「何度も助けてもらったの。イェーガーの人なんだけど……」
それを聞いたヨルクの顔が瞬時に気色ばむ。
「イェーガーに!? なんてことだ!」
その父親の形相にアリューシャが言葉を失う。
「アリューシャ……」震えている右手をヨルクがアリューシャの肩に置いた。
カーテンの外からカツカツと足音がしてアリューシャは振り返った。
背後に立っていた人物を見てとるとアリューシャの顔にはたちまち笑顔が浮かんだ。
スモーキーブルーの見慣れた制服――――
「もう助けに!?」
驚きと興奮でアリューシャの胸が膨らんだ。
しかしアリューシャと対照的な空気をその人は纏っていた。
飛空船では見ないような悲しげな視線がアリューシャに落ちてくる。
トクントクントクントクン……
頭よりも先に心臓がその違和感に反応し、小刻みな振動が体を巡る。
「まさか――――」
アリューシャの言葉が震える。ベッドに座っているヨルクに恐る恐る目をやると、その瞳には憎悪の炎が宿っている。
「そんな……嘘よ……」
――――裏切り者
恐ろしい真実を前にアリューシャは凍り付いた。心がついて行かず、落涙のように笑みがフッと零れる。
「……嘘よ!!」




