19. それぞれの覚悟(3)
『…………はい。こちらルイーザ=ハースの執事でございます。ご用件は?』
「朝早くにすみません。キーファ=レイニンガーです。そちらにお世話になった」
『これはレイニンガー様。こちらこそ大変お世話になりお礼にも伺わず失礼を』
「それはこちらの責任でして。ルイーザさんのお怪我は?」
『奥様でしたらもうピンピンなさっておられ……ガチャ、いえ……ガチャガチャン』
電話の向こうから争うような声がする。
「あの、大丈夫ですか!?」
『おい!! キーファ!!』
電話口でのつんざくような大声にキーファが受話器を思わず耳から離す。
「……朝早いのに起きてたのか?」
『今試験中で寝てないんだよ! それより何度問い合わせてもそっちのケチくされがアリューシャにつなぎもしないんだぞ!? お前も全然連絡入れないし!!』
「悪かった。それは機密事項なんだから仕方無かったんだよ」
『じゃあ、アリューシャに今代われ!』
「……とにかく今は急いでて、悪いがルイーザさんに変わってくれないか?」
『はあ!? まさかアリューシャに何かあったんじゃ無いだろな!?』
「頼むから」
『何、何だよ……うそだろ!? 絶対守るって言ったじゃないか!』
「いいからかわれよ!!」キーファも負けずに怒鳴りつけた。
「……悪い」
また受話器の向こうでガチャガチャと音がすると女の声がした。
『キーファさん?』
「先日は……」
『それはいいからアリューシャに何かあったの?』
「単刀直入にお伺いしいます。アリューシャの……親戚について心当たりはありませんか?」
『いいえ。あの子に親戚はいないの。アリューシャの両親はどちらも親も兄弟もいないのよ』
「……そうですか」
『……アリューシャは無事なの!?』
「すみません。立て込んでいて。また連絡いれますが、今日はこれで」
電話を切ろうとするとまたルカの声が響いた。
『おい! キーファ! ちょっと待って!』
電話が切れないことを確認したルカが話を続ける。
『俺なんだってやるよ! できることは無いか?』
「……何かあれば頼むよ」
キーファが電話を切った。
可能性を一つ一つ潰して行くしかない
やはり『親戚』というのはアリューシャの作り話
――――もしくは関与した人間の?
どこへ行ったんだ?
何の目的で?
誰かが一緒にいるのか?
ガス灯を燃え上がらせた人間が?
手紙を書いて残し、誰にも言わずに
俺にすら――――
『一番近くにいさせてください』
アリューシャの声が今にも聞こえてきそうなほどリアルに鼓膜に響く。
「キーファ」
通信室を出て甲板へ向かおうとしていたキーファが、背後から呼び止められた。
カサンドラが廊下の奥に立っている。
「姐さん?」
無言で頭を振って奥の通路を示すカサンドラにキーファも続いた。
カサンドラの部屋にそのままついて入ると、アリューシャの使っていたベッドやチェストがすぐ目に入った。
キーファの胸がドクンと音を立てる。
その視線を遮るようにカサンドラが立ち塞いだ。
「いいかい、キーファ。ようくお聞き。アリューシャが外部のヤツと接点を持つ機会はあったかい?」
「俺もそれについて考えてたんだ。やっぱりあの時……観光で船を降りた時だよ。あの時しかない。金髪の女がアリューシャと何か話してたんだ。アリューシャの親父さんを殺したイエロードラゴンだ」
「あの時か……」
「あの時俺がアリューシャを見失わなければ」
カサンドラが頭の中で時系列を組み立てる。
「……いいや。あの日あの子は確かに様子がおかしかったがそれはあんんたのせいだろ?」
「それは……それもあるだろうけど」
「違うんだよ。その後あの子は前向きだったし何よりあんたと上手くいってからは幸せそうにしてた」
そこに浮いているアリューシャの表情を見るかのように、カサンドラが視線を動かす。
「あの子は器用な方じゃない。嘘だってつくのは下手だ。何かありゃすぐ顔に出るはず」
今度はキーファにしっかりと目線をやる。
そうだ
アリューシャは真っ直ぐに飛び込んでくる……
くるくると変わる表情に愛おしさを感じていた。
アリューシャの笑顔の中には含みなど何もなかった。
アリューシャの全てが自分に向けられているとキーファも感じ取っていた。
「ここ最近で変わった様子はあったかい? あんたは何か気づいた?」
キーファが顔を強ばらせた。
「そういえば……一昨日の夜は様子が変だった。一緒にいても心ここにあらずって感じで」
「一昨日か」
カサンドラも一昨日からの出来事を思い浮かべる。
「部屋を出る時に私にありがとうと言って抱きついてきたね」
そう言って眉をしかめる。
「昨日。その数日前を考えてごらん。侵入者があったこともアリューシャがここを抜け出せた可能性も無い」
「だとするなら……」
「この船に裏切り者がいてアリューシャに何か話したとしてもおかしくないってことだよ」
「それは……!」キーファが目を見開く。
「あんたが否定したい気持ちはわかる。あたしだってそうだよ。でもいい加減覚悟を決めるんだ。いつまでそうしてたってアリューシャを無事に取り戻せないよ」
カサンドラが拳をドンとキーファの胸にぶつけた。
「背中を預ける仲間が裏切り者かもしれないと思うしかないんだ。胸クソ悪いがね」
そう言いながら小さく舌打ちする。
「あたしがあんたにこんな話をするのは、アリューシャを好きかどうかとか子どもの時を知ってるあんたが可愛いからだとかそういう感情論じゃないんだよ。理論的に考えてあんたが裏切り者だという可能性が無いからさ。
あんたが裏切り者ならここに着く前にアリューシャをさらってる」
それは冷酷なほど現実を見据える副長としてのカサンドラの気概だった。キーファにはまだ遠く及ばない経験の礎。
「あんたは常に言葉を疑いな。あたしがこんな話をする裏にだって何かあるのかもしれないと考えるんだよ。あんたは優しい。でも覚悟を決めるんだ。アリューシャの為に」
キーファはカサンドラの強い眼差しにキュッと唇を結んだ。




