19. それぞれの覚悟(2)
「キーファちょっとだけいいかい? アリューシャそこにいるよね?」
ドアを叩きながらカサンドラが声をかける。
二人の邪魔をしてはいけない気持ちもあり、用件は早く済ませてやりたい。
しかしキーファの部屋からは何の返答も無い。沈黙の意味を考えてどうしたもんかと思ったが、もう一度カサンドラがノックした。
「……アリューシャ?」今度はアリューシャの名前を呼んでみた。
ゆっくりとその扉が開く。
目を開けられないといった風に、頭を掻きながらキーファが顔を出した。
「何? 姐さん、何か用?」
「あれ!? あんた寝てたのかい? その……アリューシャは?」
「何? アリューシャ? アリューシャがどうかした!?」
名前を聞いて目の覚めたキーファがいつもの表情に戻る。
「ジャンが探しててさ」
「探してるって?」キーファが訝しげにカサンドラを見る。
「あんたと今日会う予定だったんだよね?」
「今日? いや今日はアリューシャは会えないって言ってて」
驚いたカサンドラの表情にキーファが顔を歪ませた。
「あんた寝ぼけて勘違いしてるんじゃないのかい?」
「そんなわけあるかよ! 今朝話してたんだよ! 今夜会えないかって!」
「じゃあアリューシャどこ行ったんだよ?」
「ジャンは何があったって!?」
カサンドラがジャンから聞いた外の様子を簡単に話して聞かせた。
何か底が抜けるような嫌な感覚をキーファは覚える。
ランニング姿のままキーファが部屋から飛び出して行った。カサンドラがすぐ横のコート掛けにあるジャケットをひっつかむ。
「あんた! そんな恰好じゃまた風邪引くよ!」
◇ ◇ ◇ ◇
団長の部屋にはキーファ以外の副隊長以上が顔を揃えていた。方々手を尽くして探して回ったがアリューシャの手がかりは掴めない。
夜更けということもありこの街から出発した船舶も飛空船も列車も無かった。
「こう暗くっちゃ歩いて街を出られたら探せないぜ」ロックが腕を組む。
「アリューシャは自分の足で出て行ったのか、それとも誘拐されたのか?」
「偶然ガス灯が燃え上がってその隙にいなくなるなんて出来過ぎだろうよ!?」
団長の机の上に目をやったシリルが口を開く。
「でも部屋に残されていた手紙がありますからね」
外へ出ていたキーファがようやく戻った。顔色は悪く表情も無い。
「遅くなりました。手がかりはありましたか?」
「キーファ……」
物憂げなカサンドラの表情にキーファが落胆する。
「もう一度出てきます」
「キーファ待て!」クラウゼンが出て行こうとするキーファを止める。
「アリューシャの手紙があったんだ。使っていたチェストの中に」
クラウゼンが自分の机に乗せられた手紙をスッとキーファに差し出す。
「こっちはお前宛だ」
キーファがそれを静かに受け取った。その目がクラウゼンの手にあるもう一つの封筒に止まる。
「こっちは我々宛だよ。お前の帰りを待ってから開封することにしたんだ」
横にいたシルヴィオが受け取りペーパーナイフを使って封を開ける。
便箋をひらくとそれを読み始めた。
そこには飛空船の全員に向けられた言葉が記されていた。
丁寧な文面に、感謝の思いとこれからの自分の身の振り方が書かれている。
『――――遠い親戚の伝手がありますので、当分そちらでお世話になろうと思います。みなさん本当にありがとうございました。アリューシャ=アンダース』
「親戚……?」キーファが目をツリ上げる。
「そんな人間がいるならとっくにアリューシャは頼ってたはずだ! 一人で逃げたりなんかしないし、ここを頼りにするかよ!?」
読み上げたシルヴィオに噛みつく勢いだ。
「おい、キーファ! 副長に言ったってしょうがねえだろ!?」
ジャンがキーファの腕を掴んだ。
反射的にキーファがジャンの胸ぐらをつかみ上げる。
「おい! よせ!」ロックが慌てて二人の間に入るがキーファの勢いは止まらない。
「ジャン!! お前ちゃんと仕事してたのかよ!? 今夜の当番はお前じゃ無いのか!?」
キーファの言葉にジャンの頭にも血が上る。
「お前に言われる筋合いはねえ!!」
「二人とも黙れ!」
クラウゼンの言葉に二人は言い合いを止め、互いから手を離す。
「ここで争っても仕方が無いだろう。とにかく夜明けを待つ。それまで全員体を休めろ」
皆が立ち上がる中、クラウゼンが静かにキーファを呼び止めた。
「私もヨルクの知人やアリューシャの行きそうな場所について考えていたんだが。キーファ……なんでもいいから心当たりは無いか?」
「……わかりません……」
そんな言葉しか出てこない自分が情けなくてキーファが奥歯を噛みしめた。
自分の部屋に戻ったキーファは手紙を見つめていた。
これを開いてしまうと全てが終わりを告げそうな気がした。
どこに行ったんだ?
アリューシャ……
この言葉を頭の中でずっと繰り返す。
昨晩の出来事が自分の作り上げた幻のようだ。
アリューシャと結ばれた満ち足りた幸福感と、アリューシャがどこにいるのかわからないという抜け落ちるような喪失感。
そのどちらかが現実では無いような気がした。
キーファさんへ――――
封筒にアリューシャの文字が記されている。
『キーファさんへ
今まで本当にお世話になりました。
私の事は忘れて下さい。
アリューシャ』
たったこれだけ?
「ハハ……」
手の中の便箋を握りしめ顔に近づけると無性に笑い声がこみ上げてくる。
「クソ……!!」
インクの匂いに混じりアリューシャの柔らかな肌の香りがした。
「……そんなの知ったことか」
アリューシャの口から出た言葉しか信じない
キーファの瞳に強い光が宿る。
この部屋にいても仕方が無い。
始発まではあと1時間。
それまでにできることをやる。
部屋の窓から見える飛空場が目に入った。
東の空が濃紺から薄紫に変わってきている。遠くには隣接する民間の飛空場のガス灯が明けの星のように小さく強く輝く。
飛空船……
キーファが思い出したように自分の部屋から飛び出した。
アレキサンドライトの通信室へと急ぐ。