18. 守れない約束(3)
床に置かれたランプの灯火が仄明るく2人を照らし出す。
キーファの指が、まるで繊細なガラス細工にでも触れるようにアリューシャの頬をなぞる。栗色の柔らかい髪を耳にかけると、指は首筋を伝い下りた。
マフラーを取り、コートを脱いでするすると彼に触れる部分が増していく。甘い口づけにアリューシャの頭の芯から痺れる。
キーファがベッドに手を付くと二人の体温が重なり合う。アリューシャの額にキスをし、まぶたにキスをし、覗き込むようにブルーの瞳を見つめると、もう一度顔を近づけた。吐息が唇を熱くし、アリューシャが眼を閉じる。
彼の匂いに包みこまれると、たまらずアリューシャは背中に手を回した。
「……アリューシャ」
名前を呼ばれるだけでジュンと心に何かが染みこんでいく。
こんなにあなたを好きになるなんて……
今この時にアリューシャは酔いしれた。狂おしいほどこの人が欲しい。
それはキーファも同じようで、彼の迸るような熱がアリューシャを満たしていく。
「――――愛してる」
それに応えるようにアリューシャはキーファを抱きしめた。
耳元で囁かれた言葉は乾いた砂の海に煌めくような宝石。
それを宝物にしてこの先ずっと生きていけると思った。
もう二度と、それを胸に抱くことはできなくても
彼の腕も髪も背中の広さも
声も熱さも感触も
その息づかいも仕草も言葉も
彼の全てを忘れまいとアリューシャは心に深く刻みつける。
『愛してる』とは最後まで口にできなかった。
何度も何度も心の中で繰り返す。
愛しています――――
いつか自分の選択を後悔する時が来るのだろう。
でもこの瞬間だけは絶対に
私の中でかけがえのない、永遠となる。
明け方ベッドの軋みで目を覚ましたキーファが、抜けだそうとするアリューシャをギュウッと掴まえた。
「……どこに行くんだ?」
「おはようございます。もう明け方なので部屋にもどりますね」
「だめだ。今日はずっとこうやって過ごそう。俺休みだし」
そう言うとアリューシャをベッドに引きずりこんだ。
「キーファさん。あの……」
その続きを言わせまいとキーファが口づけする。
「ん-……」中々終わらないキスにアリューシャが肩を押し返し小さく抵抗する。
「もっ……、キーファさん!」
ようやく顔を引いたキーファに見つめられアリューシャがぼっと赤くなる。
夢のような一夜が急に現実を帯びたようで恥ずかしくなった。
「あのですね……今から私はいろいろと」
不満そうにしてキーファがアリューシャの顎に手をやり親指で唇を触った。
「あの……話ひにくいでひゅ」
「どうせダメだと言うんだろ?」駄々をこねるようなキーファにアリューシャの胸がキュンとなる。
「じゃあ今夜は?」
「……今夜は……すみません」
悲しい顔をするアリューシャをキーファが抱きしめた。
「別に怒ってるわけじゃ無いからな? 明日は?」
明日……
アリューシャもギュッとキーファにしがみついた。
「明日ですね」
守れない約束が見えない鎖のようにアリューシャを縛り付ける。苦しくて、苦しくて今にも窒息しそうだ。
明日、私はここにはいない
顔を見ることができず、キーファの腕の中から身を起こすとアリューシャはすぐにベッドから降りた。
目が合ったら、きっと泣いてしまう
「じゃあ、戻りますね」
アリューシャが背を向けたまま告げる。なのにそこから金縛りのように動けなくなる。
「アリューシャ? 戻るの止めるか?」キーファがくすりと笑う。
アリューシャはベッドから身を起こしたキーファにもう一度抱きついた。その頬にちゅっとキスをすると微笑んだ。
「いいえ。戻ります」
一生に一度の精一杯の作り笑顔を浮かべて、ようやくキーファの顔を見ることができた。
自分の頬に手を当て、意外そうな顔をしたキーファが照れたように、そしてあどけない笑顔を浮かべる。
あ、この顔……
すごく好き
キーファを目の前に最後に感じたのは寂しさとか悲しみとか後悔とか――――そういった感情ではない。
胸を締め付けるような愛おしさがアリューシャの背中を押した。
今度こそ立ち上がるとキーファの部屋の扉を開いた。