18. 守れない約束(2)
そして同時にアリューシャは暗い真実に気づいていた。
それは『ここにこの手紙がある』という事実だ。
ポゼサーだらけのアレキサンドライトに侵入する事など不可能。だとすれば……
――――この船の中に裏切り者がいる――――
アリューシャの口から思わず息が漏れた。
そんなことあるはずが無い!
船に居る人間の顔を思い浮かべる。
クラウゼンさん
シルヴィオさん
カサンドラさん
フィッシャー先生……
団員達の顔を一人一人思い浮かべる。
ジャンさん
ユリウス
ロックさん
シリルさん……
みんな気さくで優しくて、いい人達だ。
アリューシャの事もあたたかく迎え入れてくれた。
誰もいない
そんな人間だれもいない
裏切り者なんているはずが無い
でも手紙がここにあるという事実。
アリューシャは思わず手の中のそれを破り捨てたくなった。
「キーファさんに話せるわけない……」
それはこの事実を突きつける事になってしまう。
彼の家の中に、家族に、裏切るような人間がいるなんてアリューシャが言えるはずも無い。
「誰か嘘だと言って……」
堪えようとするのに、涙が鼻筋を伝いポタポタと手紙の上にこぼれ落ちた。
「でも父さんが生きてるのは本当だって言って……」
矛盾する二つの願いがぐるぐるとアリューシャを縛り付けた。
トントン
部屋の扉がノックされ、アリューシャがぎくりとして顔をあげた。
「だ……誰?」
『アリューシャ、俺だよ』
「キーファさん!?」
『準備できたか? 夜はまだ寒いから手袋とマフラーも忘れるなよ』
夜に星を見ようと約束していたことがすっぽりと頭から抜け落ちていた。
涙ぐんだ目をぐいぐいと手で押さえつけ慌てて立ち上がる。
「ちょっと待って下さい!」
急いでコートを羽織ると、手紙と封筒をチェストの引き出しに押し込む。
そして手の中の指輪のネックレスをつけようと金具に手をやったところで躊躇する。
これを見たらキーファさんは気づいてしまうかもしれない
アリューシャはベッドの横の引き出しにネックレスをしまった。
「お待たせしました」
キーファがじっとアリューシャを見つめる。
「な、なにか?」
慌てるアリューシャにキーファが顔を近づけた。
涙は拭いたはずだけど……そっと自分の頬を触って確認する。
「アリューシャ…………寝てただろ?」
「え?」
「髪が曲がってる」
「え!? どこですか?」アリューシャが慌てふためく。
「ほら」アリューシャのお下げ髪から浮いた髪を引っ張った。無邪気な笑顔を浮かべるキーファに胸が張り裂けそうになる。
潤んだ瞳を隠そうとリボンを外し、髪を整える。
「どこで星見ますか? この前の甲板で?」
「夜勤がいるからなあ……。やっぱりあそこしかないな」
「どこですか?」
鳥見台に来るとキーファが「ちょっとごめんな」と鳥たちに声をかけて扉を少し開く。そこから風が入るので出るとすぐにまた薄い鉄板の扉を閉めた。
「ここからも星がよく見えますね」
狭いデッキではあるが二人が座るには十分な広さだ。
「でも空の上じゃないから眺めが全然違うな」
街の明かりと飛空場の明かりが灯り、星の光が鈍くなる。
ところどころに灰色の雲も浮かんでいた。
アリューシャはその星空にあるはずの月を探す。雲にかくれているのかとじっと目をこらした。大きな雲が風で流され、そこから糸のように細くなった月が現れた。
アリューシャが思わず息を飲む。
明日が新月だわ――――
「星座でも探してるのか?」
「え?」
瞬きするのも忘れて夜空を見つめるアリューシャにキーファが話しかける。
「本気で星を見に来たって感じだな」
「いえ、そんなことは」アリューシャが動揺して思わず口元に手をやる。
「あれ? アリューシャ手袋は?」
「あ。忘れちゃいました」
「貸してみろ」
クスリと笑うとキーファがグローブを外し、アリューシャの手を握った。
「冷えてるな」
「キーファさんの手はあったかいですね」
両手をつないでいるので二人は向き合って座った恰好になる。
「なんだか……星は見にくいような」恥ずかしそうにアリューシャが頬を染めた。
「じゃあ」
アリューシャを引き寄せると、キーファがアリューシャの背後に座り直す。そして再びアリューシャの両手を握った。
「これなら星が見やすいだろ?」
キーファにすっぽりと包まれ、その上耳元に吐息がかかる。
胸がドキドキとうるさいくらいに鼓動する。
「キーファさん……」
この温もりが明日には消えてしまう……
凍てつくような風がアリューシャの心に吹き付けた。
どうしよう
彼とずっとこうしていたい
離れたくない
でも父さんも守りたい
「今日は元気が無いな」
キーファがスッとアリューシャの手を離した。
「あー…………悪い。やり過ぎたか?」
「やり過ぎって……?」
「その……こうやって座ったり、キスもしたし……」
アリューシャがはっと体を起こして、キーファに向き直った。
「そんなことありませんから! あるわけないです! 絶対に!!」
必死の形相のアリューシャに思わずキーファの笑みがこぼれる。
「そうか。よかった」
「キーファさん……」また涙が零れそうになる。
泣いちゃだめだ
アリューシャが頭を下に向け、キーファの胸に顔を埋めた。
――――新月の夜に船から下りろ
沈黙だけが大切な人を守るだろう――――
覚えてしまった手紙の内容を心の中で諳んじた。
私にできることはこれだけだ
たとえキーファさんと離れることになっても、必ず父さんを守ってみせる。
「……キーファさん。今夜ずっと一緒にいられませんか?」
思いがけない言葉に、キーファがアリューシャの背中に回そうとした手をピタリと止めた。
「アリューシャ……それは何というか……」キーファが一度しっかりと息を吐いた。
「俺はアリューシャの事が好きなんだよ。だから……」
「私もキーファさんが大好きです。だから……」顔を上げたアリューシャが儚げに微笑んだ。
「だからもっと、一番近くにいさせて下さい」