18. 守れない約束(1)
寝間着に着替えて明日の準備をするアリューシャの横で、カサンドラはまだランプの下、机に向かっていた。
「あたしは気にしないで寝ておくれね。ちょっと明るいかもしれないけどさ」
カリカリとペンを進めながらカサンドラがアリューシャに声をかける。
「それと明日は一日中忙しいから、本部の宿直室に泊まるよ」
「お仕事大変ですね」
「今が年度の切り替えで忙しいんだよ」
ふとカサンドラがペンを止め、アリューシャを振り返った。
「一人で大丈夫かい?」
「大丈夫ですよ。子どもじゃ無いんだから」
「ああ、そうだキーファを泊まりに呼んだらどうだい?」
アリューシャがパサッと手にしていた洋服を落とした。
「そ、そんな事しません」
「遠慮しないでいいのにさ」
「遠慮じゃないです」
「じゃあ、アリューシャが泊まっておいで」
「カサンドラさん!!」
カーッとアリューシャが顔を赤くする。
「かわいいねえ。あたしは構わないからね」
否定したものの、アリューシャはちょっと本気でそのことについて考えていた。
一日中一緒にいられたら幸せだろうな……
旅の間一緒に眠った事を思い出す。
あの時とは全然違う感情がアリューシャの中に芽生えていた。
アリューシャが一日の仕事を終え医務室から戻ると、自分の赤いベッドカバーの上に白い封筒が置かれていた。
「カサンドラさんから……? 戻ってこられたのかな?」
まさか昨夜の話を更に手紙でも勧められるんじゃないかと苦笑交じりに持ち上げた。
「あれ?」
便箋だけが入っているとは思えない重量と、その厚みにアリューシャが首をかしげる。
封筒を開けると中からシャランと何かが滑り落ちた。
ドグンッ――――
それを見てアリューシャの心臓が突き上げられる。
翠の石が一粒埋め込まれた銀色の小さなリング。その見慣れた指輪が金色の鎖に通されている。
「母さんの指輪……?」
この指輪を持っていたのは唯一人。母さんが亡くなったあの日から父さんが肌身離さず首にかけていた。
「まさか!」
父さんは生きてる!!
もしも体が土中深くに沈んでしまったのならこれが今ここにあるはずが無い。
生きている可能性は無いとクラウゼンは言ったが、それは見当違いだったのだ。
その指輪をギュッと握りしめた。アリューシャの胸が歓喜で膨らむ。
早く知らせなきゃ!
部屋を飛びだそうとしたアリューシャの胸に一抹の不安が過ぎった。
でもどうしてここに……?
指輪に気を取られて忘れ去っていた封筒に目を向ける。
一体誰がこれを私のベッドに?
何も告げられず、ただ置かれた封筒――――
何か重大なことに気づいてしまったようにアリューシャの肌がピリピリとなる。
唯の白い紙の封筒が異質の物体のようだ。
それに恐る恐る手を伸ばすと同じ紙の便箋が一枚入っていることに気づいた。
ゆっくりと二つ折りの手紙を開く。
――――新月の夜に船から下りろ
沈黙だけが大切な人を守るだろう――――
アリューシャが愕然とする。
これは脅迫文だ。
大切な人とは――――『父さん』
(大切な人を守りたいでしょ?)
白い日傘の少女が愉しそうに笑う。
父さんはあの人に捕まってる!
あの時あの少女はこれを言いたかったんだ!
手紙を持つ手から力が抜けアリューシャがガクリとうなだれる。
逃れられない現実に打ちのめされた。
それでも――――
どういうカタチであれ父親が生きているという事実にアリューシャの心に火がついた。
私が必ず父さんを助ける
父さんにもう一度会えるなら何だってやる
アリューシャが顔を上げる。
『沈黙』を守り新月の晩に船からおりる
誰にも言わずに……
アリューシャがはたと気づいた。
誰にも言わずに……?
キーファさんにも言わずに……?
キーファの前から何も告げずに消えなければならない。
そんなことなど今のアリューシャは想像すらしたくない。
アリューシャが苦悶の表情を滲ませた。
もしもキーファさんに全て話したら……?
手紙に従って黙ってアリューシャだけを船から降ろしてくれるはずは無い。
少女を追いかけようとしたキーファを自分だって必死に引き留めた。他の方法を考えようとすれば、それはきっと……父さんを危険な目に遭わせてしまう。




