17. 籠の鳥(2)
医務室から出たキーファは苛立ちを隠せなかった。
何なんだよ?
ジャンを優先するアリューシャに、キーファは胸に重しを乗っけられたような心地を味わっていた。
当たり前だよ
そりゃわかってるよ
あれだけの怪我を負ったジャンを、医者の卵のアリューシャが優先するのは当然のことである。
でも頭が理解することと心が納得することは別の話だ。
(私はジャンさんの側にいると決めたんです)
真っ直ぐにこっちを見て、本気でそう言うアリューシャの強い眼差しがキーファの胸を締め付ける。
部屋に乗り込んできたジャンが言っていたセリフが急に脳裏に蘇った。
『…………お前にアリューシャはやらん』
「お前のもんじゃ無いだろ!!」
キーファが苛立ち紛れに大声を上げて立ち上がった。
「な、急になんだよ? 俺のチョコだよ」
「あ」
隣にいたロックがチョコレートの包みを持って呆然としている。
「これ俺がもらったやつだからな? ちょっとだけわけてやるって言ったんだからな?」
「……………すんません」
「どんだけ甘いもん好きなんだよ」
ぶつくさと言いながらロックがぽんと書類を渡した。
「そんなに言うなら、ほれ、こっちの大きいヤツやるよ」
銀紙のチョコを書類の束に乗せる。
「……ありがとうございます」
◇ ◇ ◇ ◇
ジャンはみるみる回復し、一週間と経たずにたった5日で腕の傷すら無くなってしまった。
フィッシャーが包帯を取るとその腕には縫合の跡すら無い。
「うおっ! 完璧」
ジャンが右手を上げグーパーと手を動かしてみる。
「ポゼサーの回復力は驚異的じゃな」
フィッシャーもそれを見てうなり声をあげた。
横にいたアリューシャもジャンの腕の動きを驚きの目で見ていた。そしてホッと安堵した。
「ちょっと筋肉落ちたなあ」
「まあ、それもほとんど影響無いじゃろ? 筋肉の付き方も左右であまり変化は無いようだ」
力を入れるジャンの腕を触りながらフィッシャーが答えた。
「私も触っていいですか?」
「ああ、いいよ」
アリューシャの白い手がジャンの腕や手の平をなぞるように動くと、ジャンは赤面した。
「もう帰っていいぞ。今日は日常的に動かしてみて問題ないなら明日から仕事に戻れる」
「そっか。先生、アリューシャお世話になりました」
ジャンがぺこりと頭を下げた。
「最初はゆっくり動かすんじゃぞ?」
そう言うと先にフィッシャーが立ち上がる。
「今日の仕事は仕舞いだ。アリューシャお疲れさん」
「お疲れ様でした」
「…………先生、まだ朝だぞ?」
「知っとるわい」
手の代わりに杖を上げてフィッシャーが部屋へと戻っていく。
「なあ、アリューシャ」
「はい?」
「あのさ……なんかお礼したいんだ」
「え? そんなのいいですよ。ジャンさんが元気になってくれただけで嬉しいんです」
心からの笑顔を浮かべるアリューシャにジャンの胸が躍る。
「アリューシャ……腕はもう治ったけどさ……」
「はい」
いつも言葉が軽快に飛び出すジャンから次の言葉が出てこない。
アリューシャが待っていると深呼吸する。そしてアリューシャの両手をギュッと握った。
「俺が言った事はさ、治るまでとかじゃなくて、ずっと……その……アリューシャには俺の隣にいて欲しいんだ…………好きだから」
赤くなるジャンにアリューシャの顔もたちまち赤くなる。
「……ジャンさん……。私は――――」
◇ ◇ ◇ ◇
「……俺は今猛烈に落ち込んでいる」
忙しいと断ったのに押しかけてきたジャンがキーファのベッドを占領していた。
「…………」
「今お前の顔がいっちばん見たくない」
「これはあれか? 新手の嫌がらせか? デジャブじゃ無いよな?」
デスクに向かっていたキーファがベッドの上のジャンに顔を向ける。
「アリューシャには心に決めたヤツがいんだとさ!!」
その言葉にキーファの頬が心持ち赤く染まる。
「お前の事じゃ無いからな!?」
「え?」
眉をひそめて顔色の変わるキーファにジャンの顔がひきつる。
「その相手が自分だと思うお前の自信がマジでむかつくわ」
「それ言いにきたのかよ?」
はあーーーとジャンが体の奥の方から全部の息を吐く。
「俺の恋は花と散ったよ」
「ほら、これやるから元気出せ」
キーファがロックから貰ったチョコレートを差し出す。
「俺は甘いのは別に好きじゃねえ」
「じゃあやらん」
「いや貰う」
ジャンが包みを奪うと大きな一枚板のチョコを口の中に無理矢理押し込んだ。
「好きじゃ無いなら全部食うなよ」
「ほまえ(お前)が好きなやつだから食ってやる」
「嫌がらせか?」
「そうだよ!」
もしゃもしゃと食べながらジャンが銀紙をくしゃりと丸めた。
「アリューシャに惚れてんだろ?」
「…………」
何も答えないキーファにジャンの目元がヒクヒクと痙攣する。
「惚れてんだろが!?!?」
「ああ!! そうだよ!!」
キーファがドンと机に拳をぶつける。
思っていたより素直に自分の気持ちを吐露したキーファにジャンは驚いた。
「アリューシャの気持ちもお前の気持ちも最初っからわかってたさ! 近くで見てんだからよ」
たださ……とジャンが言葉をつなぐ。
「お前のその煮えきれない態度がマジむかついてたんだわ」
ジャンがまたどっかりとキーファのベッドに深く腰掛ける。
「ちゃんと言えよ、アリューシャに!」
「…………」
またキーファは何も答えない。
「聞いてんのか!?」
「聞いてるよ。いちいち怒鳴るなよ」
「お前が無視するからだろ?」
「無視してねえよ。ちょっと……いろいろ考えてんだよ」
「考えることがなんかあるか?」
はあと息をついてジャンがベッドから立ち上がった。
「俺はさ、爆発で一瞬目の前が真っ白になった時、あーこりゃヤバイな、ちゃんと『好きだ』って言っときゃよかったーって思ったよ」
憮然としてジャンが椅子に座るキーファを見下ろす。
「そういうことだ」
言いきるとジャンが静かにキーファの部屋を後にした。




