17. 籠の鳥(1)
アリューシャは医務室のベッドで横たわるジャンの側に貼り付いていた。彼の額の汗を拭いて、呼吸や脈に注意を払っていた。
明け方、眠っていたジャンの眉がぴくりと動く。
「ジャンさん、聞こえますか?」
「…………」
「ジャンさん」
「……リューシャ……?」
ジャンが目映そうに目を開いた。
「気がつきました?」
「……俺……」
「工場の爆発に巻き込まれたんです。覚えていますか?」
「えーっと……」
「すみません。大丈夫です。ゆっくりで。先生呼んできますから」
立ち上がるアリューシャの姿をジャンがぼんやりと眺めた。
「あー……待って」
その声に扉へ向かっていたアリューシャが立ち止まった。
「……まだそこにいて」
再びアリューシャがジャンのベッドサイドの椅子に腰掛けた。
「ここにいます」
ジャンがふらりと上げた左手をアリューシャがそっと握る。
「まだ寝ていて下さい」
その声を聞いて安心したのかジャンがまたとろとろと眠りについた。
フィッシャーから3日は絶対安静を言い渡されたジャンをアリューシャはつきっきりで看病していた。
意識を取り戻したジャンは驚異の回復力を見せていた。
「ジャンさん、はいあーん」
「あーん」
利き腕を怪我したジャンに代わってアリューシャがオートミールを口に運ぶ。
「熱くないですか?」
「ちょっと熱いかも」
その言葉にアリューシャがスプーンにふーふーと息を吹きかける。
「これでどうですか?」
口に運んでもらったジャンが「だいじょうぶ」とにんまりとする。
「なんだか悪いね」
「いえ、気にしないで下さい。私これくらいしかまだできなくて」
「そんなのもう気にするなよ。アリューシャだってがんばってくれてんじゃん。……まさか責任感じてるんじゃ無いよな?」
「そんなんじゃ無いんですけど」
「アリューシャ。俺はみんなにすげえ感謝してる。アリューシャにだって感謝してるよ。だから役に立たなかったとか言うなよ」
「ジャンさん……」
アリューシャが蒼い瞳を潤ませる。
「……でもまあ、こうやってアリューシャがずっと一緒にいてくれると、俺も元気が出るっつーかさ」
ジャンの顔がカーッと赤くなる。
「だからさ、その……ずっとこうやって側にいてくれる?」
「もちろんです」
「それって……ちょっと期待してもいいのかな?」
ジャンがゆっくりとアリューシャの手に左手を伸ばす。
「ジャン! 調子どうだ?」
突然扉が開きキーファが顔を覗かせた。
ジャンの左手が大きく空振りする。
「キーファ!!! 何の用だよ!?」
「何の用って見舞いに来てやったんだろ?」
「別に来なくていいって!!」
「それがわざわざ出向いた人間に言うセリフかよ?」
ふとアリューシャの手元を見ると、器とスプーンが握られている。
「飯食わしてもらってんのか?」
「ジャンさんはまだ右手が使えないんです」
「そうだぞ! 不便だからアリューシャが手伝ってくれてんだよ」
「仕方ねえな」
キーファがスツールをジャンのベッドのすぐ側に寄せた。アリューシャの手元からそれをとりあげるとジャンの口元にスプーンをやる。
「ほらよ」
ジャンの口元がひくつく。
「何やってんだよ?」
「何って飯だろ?」
「なんで野郎からこんな事してもらわにゃいかんのじゃ!?」
「別に男も女も関係無いだろ?」
「関係あるわ! 気持ちわりいこと止めろ!」
キーファの手からジャンがスプーンをひったくって口に入れる。
「……できんじゃないかよ」
「うるせぇ」
「アリューシャだってやることいろいろあるんだから、迷惑かけんな」
キーファの言葉にジャンもカチンとする。
「喧嘩売ってんのかよ? ……上等だ」
ベッドから出ようとジャンが布団をまくった。
慌てて二人の間にアリューシャが割り込む。
「ジャンさん。お願いですからまだベッドにいて下さい」
なだめるようにアリューシャがそっとジャンの肩に手をやる。
まだジャンがキーファを睨みつけている。
「ジャンさん」
アリューシャの悲しそうな顔を見て毒気を抜かれたようにジャンがベッドに戻った。
それを見て息をついたアリューシャが勢いよくキーファの方を向いた。
「キーファさん!」
「……心配なら俺が代わってやるから、アリューシャは部屋で少し休めよ」
「いいえ! それはできません! 私はジャンさんの側にいると決めたんです!」
そのアリューシャの言葉に二人が同じように目をまん丸にさせる。
そして次にはジャンの顔は緩み、キーファの顔はひきつる。
「アリューシャもう一回言って」
笑みが零れるジャンがアリューシャの後ろから声をかける。
「黙れよ!」
キーファが苛立つ。
「んだと!?」その言葉にまたジャンがいきり立つ。
「もう止めて下さい」
アリューシャはキーファに向かって言い放った。
「……俺はただアリューシャを心配しただけだよ」
「ありがとうございます。でも本当に大丈夫です」
真っ直ぐなアリューシャの瞳に思わずキーファが目を逸らした。
「それならもういいよ」
キーファがそのまま医務室を出て行った。
アリューシャの胸がチクンとなる。しかし思い直してジャンを振り返った。
「ごはん冷めちゃいましたね。温めてきますから」
「大丈夫だよ、それ食うよ」
ジャンが左手を伸ばしてくる。
「悪い。左手でほんとは食えるんだよ」
少し気まずそうな顔をする。
「でも食べづらいですよね? 甘えて下さい」
アリューシャが笑顔を向ける。
「じゃあ……甘えるわ」
ジャンが照れくさそうに笑った。




