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2. country road(2)

 外は村人たちの声でさざめいていていつの間にか太陽も地平の彼方に帰ろうとしている。


 商店の店主が馬に跨りアリューシャの家の少し手前まで走り込むとそこで慌てて馬の手綱を引いた。がちりと固まった地面に蹄がとられる。

 

 店主の後ろから現れたのは黒い小さな車だった。

 濃い排煙が円筒から飛び出すと車はギシギシと音をたてて止まった。ドアからグレーの制服姿の男が二人下りてきた。

 町役人だ。

 

 役人二人が傾いた大樹と家と大地に驚くと、誰かが大波のようにまくれ上がった大地を震えながら指さした。

 



「アリューシャ。みんなの注意が逸れとる間にここを出よう。連中もおらんくなったようだ。今からわしの家に行こう」

 遠くからグラードの声がしている事にアリューシャは気づいた。

 実際それはアリューシャの耳元で囁かれたものだったが、アリューシャにはそう感じられた。


「でも父さんが……」

 

 アリューシャは古い板壁の隙間から、リアリティの無いその光景を眺めた。 

 

「アリューシャ。酷だがお父さんは諦めろ」

 そう言うと壁に付いていたアリューシャの手を皺の深い手が優しく包み込んだ。


「聞きなさい。お父さんはもう助からん。お前さんを助ける事だけをわしは頼まれとるんだよ。おいでアリューシャ」


 長く伸びた白い眉毛はがっくりと垂れ下がり、苦渋に満ちた眉間の皺はいつもよりその溝を深くしている。


「ヨルクは何も話とらんのだな。いや……話せなんだか……」 


 グラートは目元に手をやり沈黙した。

 ズルッと片手で顔を拭うとグラートは再びアリューシャの顔を見た。


「わしが聞いてることだけは教えてやろう。だから行くぞ」

 

 アリューシャはそのままグラートの後を付いて歩いた。足だけが機械仕掛けのように前に出る。


 アリューシャはもう振り返れなかった。

 

 背後にあるのはこの世のものではない。アリューシャを現実の世界に引きずり込む地獄そのものだった。




 アリューシャは連れて来られたグラートの家の椅子に座っていた。居室に飾られたたくさんの家族写真をただ呆然と眺めている。

 若き日のグラートが彼の息子と二人並んで写真に映っている。


 父さん……


 奥のクローゼットを開け閉めして、しきりに何かを探すグラートの背中に向って、アリューシャは涙声で話し掛けた。


「助けを待ってるかも……」

 アリューシャは小さな希望を手放すことができない。



 ため息を飲み込みグラートがアリューシャを振り返った。

「ヨルクはもう……土に飲まれたのをお前さんも見ただろう? 今すぐには無理だが嫌でも現実を受け入れてもらわんと」


「……でも」

 アリューシャの目からまた涙が溢れてきた。

 グラートが目をそらし、またクローゼットの混沌の中へと上半身を潜らせた。

 

 ホロホロと流れ落ちる涙を、アリューシャはかえした手首で拭った。それでも次々と零れ、肘を伝いグリーンのスカートに濃い色の染みを付けていく。


「あった、あった。これに着替えるんだ」

 グラートが差し出したのはブラウンのツイードのハーフパンツだった。白いシャツとサスペンダーに紐の革靴まである。同じツイードの上着も奥から引っ張り出す。


「……どういうこと?」

 アリューシャはグラートの顔を揺れる瞳で見つめた。


「逃げるんだ。とにかくここから逃げるんだ。奴らがお前さんに気付く前にとっととここから消えるんだ」


『奴ら』


 この言葉で悲しみに暮れていたアリューシャの心に何かが点った。



「父さんと言い合ってた女の子がいたわ。『奴ら』ってあの子の事? あの子が父さんを……?」


 グラートがアリューシャの細い肩に手を置いた。

「アリューシャ。学校にも戻るな。ここにも二度と帰ってきちゃいかん」

 グラートがなぜこんな事をいうのかアリューシャには理解できない。


「どうして……? グラートは何か知ってるの? どうして私が逃げるの? どうして父さんがあんな目にあったの? 教えてよグラート。みんなの相談役だもの、何か知ってるんでしょ!? でなきゃここから動くことなんてできないよ!」

 

「……これを」

 グラートの手には白い封筒が握られていた。


「万が一何か起こればアリューシャに渡して欲しいとたのまれとったんだよ。ヨルクは……自分に何かあれば急いでアリューシャを逃がして欲しいと言っとった。わしゃあ、あれは冗談だと思っとったよ。今の今までは。でもありゃ本気のヨルクの言葉だったんだ……」


 そう言うとグラートはヨルクの手紙をアリューシャに握らせた。


「わしはもう何も知らん。これ以上は何も聞いておらん。とにかく逃げよう。荷は用意した。とりあえず隣町まで送ってやる。逃げた方がいいんだ」

 グラートは先刻目の前で起こった惨状を思い出して泡立つ腕をさすった。

「ありゃ悪魔の所行だ」



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