14. 冷たい雨(4)
夕食も食べずにアリューシャはひたすらキーファの帰りを待っていた。大粒の雨が降り、傘を差したアリューシャが甲板の隅っこで立ち尽くす。
「アリューシャ……中で待とう。風邪を引いてしまうよ」
報告をしているジャンに代わって側に居たのはシルヴィオだった。
「シルヴィオさんは中にいて下さい」
「アリューシャ……」
「お願いします」
小さな明かりが灯された甲板に冷たい濃紺の雨が降り注ぐ。
どうしよう
もし、キーファさんに何かあったら
父に起こったあの惨劇が脳裏にこびりつく。
自分の手をすり抜けて行ってしまったキーファを、冷たい雨を含んだ土砂の大波が飲み込む――――
「キーファ!」
シルヴィオの声でアリューシャがハッと顔を上げた。
「キーファさん!!!」
傘を投げ出したアリューシャが雨の中走り出す。
タラップを上ってきたキーファに駆け寄り思わず抱きついた。
「アリューシャ!?」
「キーファさん! 無事で良かった」
「犯人は?」その後ろからシルヴィオが声をかける。
「……いいえ。すみません、見つかりませんでした」
「そうか。とにかく無事で良かった。休憩したら報告を入れてくれ」
そう言うとシルヴィオが踵を返す。
落ちていた傘を拾い上げアリューシャに渡そうかと考えたが、思いとどまり手の平で雨粒を受け空を見上げた。
シルヴィオが目を瞑る。
サーーーー……と船の周囲だけ雨が止んだ。
「アリューシャ……濡れるぞ?」
「いいんです」
キーファがそっとアリューシャの肩に手をやった。
「あの時どうして一人でポゼサーを追いかけたんだ!? 危険なのはわかってただろ?」
珍しくキーファが厳しい表情を向ける。
「キーファさんだって、私が止めたのに……」
「俺とアリューシャじゃ全然話が違う! 逃げるどころか追いかけるなんて無謀にもほどがある!」
キーファの言葉に熱が入る。
「だって……あの人……」
「あの女が犯人なんだな? あのイエロードラゴンが」
アリューシャは目線だけを下げた。
キーファがそれを答えだと受け取る。
「だから……」
「だから追いかけたんだな」
「だから、行ってほしくなかったんです。キーファさんに……怖くて」
「ジャンがいただろ? あいつが護衛する」
「そうじゃなくて! キーファさんにまで何かあったら私……!」
ずぶ濡れになり冷たくなったキーファのブルゾンを掴むアリューシャの手に力が入る。
「私……キーファさんが大切で……」
青ざめた唇から白い息が途切れ途切れに吐き出される。
「好きなんです……」
二人に降りかからない、遠くの雨音だけが微かに聞こえてくる。
アリューシャの手にぽたぽたとキーファの髪から雫が落ちていた。
「アリューシャ、俺は……」
キーファがどんな顔をして自分を見下ろしているのか……
怖くてアリューシャは顔を逸らした。
「俺はアリューシャの気持ちにはこたえられない」
アリューシャはベッドに仰向けに転がっていた。
ウォークインクローゼットの中のベニヤ板の天井をぼんやりと見つめる。
キーファへ届かなかった自分の思いがあまりに軽すぎて笑えてくる。
単純な自分が愚かしくて涙も出ない。ギュッとそのまま横をむくと丸くなった。
今日は疲れた……
白い日傘の少女が耳元でエンドレスに囁く。
アリューシャが両手で耳を塞いだ。
ずぶ濡れのキーファの瞳が憂いを浮かべて見つめてくる。
アリューシャはぎゅっと瞳を閉じた。
ガチャリと扉が開く音がした。カサンドラが本部から戻ってきたようだ。
「アリューシャ……寝てるのかい?」
そっと声をかけてくるカサンドラにアリューシャは何も答えず、目を閉じていた。
近づいたカサンドラがアリューシャの肩の上までブランケットをかける。
眠ることもできずに、アリューシャはその姿勢のまま目を瞑り続けた。




