9. 慟哭(2)
奥の書室からガチャガシャドン! と何かが崩れ落ちる音がする。
「アリューシャ!?」
声だけが先行して聞こえると眼帯をはめ、髭を生やした男が顔を覗かせた。オールバックの髪が乱れている。
キーファが敬礼する。
「アリューシャ!!」
万年筆を持ったままのクラウゼンが躓きながらアリューシャの元へと駆け寄った。
「無事だったか!!」
抱きしめようとしたクラウゼンに「団長! ペン、ペン!」とシルヴィオが声を掛ける。
それを渡すと改めてクラウゼンがアリューシャを抱きしめた。
アリューシャもしっかとクラウゼンに抱きつく。
「クラウゼンさん……!」
今まで我慢していたものが不思議なくらい溢れだした。
涙が次から次へと流れ出す。
「クラウゼンさん…………父さんが」
「アリューシャ……」アリューシャの顔をのぞき込んだクラウゼンの瞳にも涙が浮かんでいる。
「すまなかった。助けられなくて」
「うっ……」
ふえーんとまるで子どものようにアリューシャは泣き出した。
とっくにわかっていた。
それなのに、アリューシャの胸にまだ微かに残っていた希望がここで潰えた。
胸のつかえを押し流すように涙が溢れる。
震えるアリューシャの背中をさすりながらすぐ側の長椅子に腰掛けた。クラウゼンがアリューシャにハンカチを握らせる。
「父さんに……会える? それとも……」
あれから半月以上が経っている。冬とはいえ、遺体の状態を考えるともう埋葬されていてもおかしくはない。
「実は……いや、もう少し落ち着いてからにしよう。それからだ」
「ううん、クラウゼンさん。私はずっとずっと知りたかったの。だからちゃんと教えて。お願い!」
「お父さんは……お父さんの体を探す事はできなかったんだよ」
土砂の海と化した自分の生家の状況を思い出す。そこにあっという間にのまれてしまった父親の姿も。
「一部を除いて……」
「一部?」
クラウゼンが言葉を詰まらせた。
「クラウゼンさん!」
アリューシャがその先を促すように強く名前を呼んだ。
「……左腕だけが見つかったんだ」
アリューシャの息が止まる。
大波を受けて最後に白く浮いて見えた父の腕が脳裏を過ぎる。
「左腕だけ…………?」
開いたままの口から息を吸ったらいいのか吐き出したらいいのかわからない。
視線を空中で彷徨わせてからようやくアリューシャが息を飲み込んだ。
「体は……?」
「うちのイエロードラゴンを捜索に当たらせたんだが、見つけられなくてね」
「もしかして助かった可能性が? 連れ去られたとか」
静かにクラウゼンが首を横に振った。
「残された腕を調べたがそれは無いだろう。おそらく体は土砂の勢いに耐えられず地中深くに沈んでしまったのだと思う。固められた左手を残して」
「……そうですか」
放心状態のアリューシャにキーファが声をかける。
「アリューシャ……少し休憩しよう」
「それがいい」クラウゼンもいたわるように声をかける。
「ちょっと……だけ一人にしてもらえますか?」
アリューシャは団長室のすぐ隣の応接室に通された。
自分の足でどうやってその部屋に歩いたのかわからない。
ぐわんぐわんと床が揺れている。
旅をする中で少しずつ受け入れていた。
覚悟していたと言っていい。
父は助からなかったと。
でも、それでもどこかで期待していたのだ。
この船にたどり着いた時、クラウゼンのすぐ隣には父のヨルクがいて、『アリューシャ心配したんだぞ!』と叱るように泣くように父が抱きしめてくれるのではないかと。
「バカみたい……」
両手で顔を覆い、ソファに崩れ落ちた。
声をあげて泣いた。
わかってた
とっくにわかってた
だけど
もう二度と会えない
声も聞けない
抱きしめてももらえない
笑っても、叱っても、泣いてももらえない
失ってしまった――――母と同じように
アリューシャは慟哭する。
あの家には誰もいない
崩れて沈んで、全て飲まれたまま
何も無い
何一つ残っていない
あの光景が頭の中にこびりつく。
濁流となった大地に落ちていく父の凍り付いた顔。
年を取って皺クチャになった父親を、いつかベッドで看取るのだと思っていた。
あの日母を見送ったように。
でも待ち受けていたのは壮絶な死――――
そんな残酷な世界は自分たちからは遠い場所にあって、関わる事など無いと思っていた。
腕だけ?
腕だけを残して?
どんな痛みと苦しみが父親を襲ったのだろう
アリューシャは悲鳴をあげる。
グラートの手の平で押さえ込まれた、叫びをもう一度繰り返す。