7. 風と火(4)
2階の他の部屋や窓の外を調べに行っていたキーファが戻る。
「階段は使えないし、バルコニーのあるこの部屋からが一番逃げやすい」
「でも外のすぐ真下に火がついてるんだよ?」ルカが頭を抱える。
閉じ込められたルカ達はカーテンを引きはがし、つなげてロープを作っていたのだ。だが結局下が火の海でそれを使うことができなかった。
「全員バルコニーに出て下さい」落胆する人々に冷静にキーファが声をかける。
「煙でいぶされるぞ!?」
「大丈夫だ。俺が火から距離をとって全員を飛ばすから」
「飛ばす??」ルカが眉を寄せた。
バルコニーに出た人達を手摺りの上に座らせる。
「怖いわ……」涙目でメイドが呟く。キーファが彼女の両手を取って微笑みかける。
「大丈夫ですよ。このまま目を瞑っていて下さい」
丁寧に語りかけるキーファに少し安心したのかメイドは頷くと、言われるままに目を閉じた。
キーファの前髪が下からの風になびくと、火事で起こっている上昇気流を利用してメイドの体がふわりと浮いた。
火の海の向こう側にある芝生の上にストンと下り立つ。
キーファは手摺りの上に人を乗せては、いとも簡単に風を使って芝生の上に着地させていく。
最後に残ったのはルカとルイーザと執事のシュミットだ。
「奥様は私がお連れします」
「じいやには無理だよ! 僕が抱えるから!」
「いいえ、坊ちゃんには無理です」
二人がごちゃごちゃと言いながらルイーザを両脇から抱える。
「それでいい。三人いっぺんに行くから。それより怪我してるから着地が心配だ。足をぶつけないように二人でしっかりとルイーザさんを抱えろよ。離れるな」
二人が頷くとキーファが手を三人に向けてかざした。今までよりも強い風が三人を包み込むと庭の茂みにファサッと下り立った。
ルカが成功だと腕を大きく丸くして合図を出す。
それを見てほっとしたアリューシャは急激に力が抜けるのを感じた。
パリン!!
上の階のガラスが高温にさらされ外に割れ落ちた。
屋敷の1階からも轟々と黒い煙が昇り始める。
熱気に顔を歪ませながら手摺りから下を覗くと、ルイーザが大切に育てていたゴブリンローズが炎の中で黒い炭になる。
幼い頃からルカとよく遊んだ、あの夕日の見えるベンチも業火の中で黒い塊に変わる。
炎の向こう側で人々が身を寄せ合いこちらを見上げていた。
煙と熱に顔を歪ませている者
恐ろしさに泣いている者
あまりのことに呆然としている者
アリューシャが胸元を握りしめる。
――――息が苦しい
その苦しさは吸い込んだ煙のせいだけでは無かった。胸の奥のもっと深いところから暗い煙が立ちこめる。
バルコニーの手摺りに手をついたまま、その場にアリューシャがへたりこんだ。
張り詰めていた糸が音を立てて切れてしまった。
「アリューシャ!? 大丈夫か?」
「…………」
キーファへ返す言葉が見つからない。
全部私のせいだ
私がここへ来たから
私が
私が――――
「アリューシャ! こっちを向け!」
キーファがアリューシャの隣に膝をつき、両肩に手をやると上半身を起こさせた。
「まだ我慢しろ! 急いでこの町から離れる」
「町から離れる……?」
「聞け。まだ奴らの仲間がいるかもしれない。だから俺たちはここを離れよう」
「まだ……?」
まだまだ逃げ続けなければならない自分の窮状に、アリューシャの心がグラグラと揺れ、崩れ落ちそうになる。
「だから、別れを言うなら早くしろ」
アリューシャはキーファの黒い瞳を力無く見つめた。そしてぐっと目を瞑るともう一度残された力を振り絞って立ち上がった。
「ほら! アリューシャも早く!!」下で待っていたルカが大声を上げた。
「……ごめんなさい……」涙が溢れてアリューシャは避難する人々に向かって頭を下げた。
「アリューシャ? ……何やってるの? お願いだからこっちへいらっしゃい!!」
ルイーザの悲痛な声が飛んでくる。
キーファがアリューシャの肩に手をやる。顔を上げたアリューシャをそっと足から抱き上げた。
「俺とアリューシャは行く! すまないが俺達の事は口外しないでくれ! ゼーゲンの支部にも連絡して、占有者に襲われたとだけ話すんだ」
ルイーザが全てを受け入れ静かに頷いた。それを見てキーファも頷く。 そしてバルコニーの端の方へとアリューシャを抱えたまま歩き出す。
「待ってよ! アリューシャ!!」ルカが喉が涸れるくらいに声を振り絞る。
「アリューシャ!! アリューシャァァ!!」
だがいくら叫んでもアリューシャはルカを見ず、キーファにしがみついている。
「キーファ!!」ルカが今度はキーファの名前を叫んだ。キーファが立ち止まりルカに目をやった。
「アリューシャを……絶対に守ってくれよ!!」
「ああ!」
キーファは答えるとバルコニーの手摺りに飛び乗った。そして大きくジャンプすると、庭園の端の納屋の屋根に飛び移る。
その光景を地上からルカとルイーザが見守った。