7. 風と火(1)
部屋には光沢のあるリボンの巻かれた色とりどりの箱が並ぶ。中には高級な靴やバッグや帽子が入っており、ベッドの上にもコートやワンピースが所狭しと置かれている。
「これ全部アリューシャのかよ!? どうやって持って行く気だ?」
呆れたようにキーファがその光景を眺める。
「わかってますよ。私もおばさまに言ったんですけど、持って行けないのは置いていたらいいって」
「そのかっこうは……それで行くんだよな?」
「変ですか?」
アリューシャは黒いハーフコートにふんわりとした赤いチェックのスカート、編み上げの焦げ茶色のブーツを履いていた。髪には赤いリボンの付いたカチューシャをはめている。
「どこのお嬢さんかと思いそうだな」キーファがしげしげと眺める。
「似合いませんよね!?」
恥ずかしいと言いたげにアリューシャは顔を覆った。
「いや! そうじゃなくて見慣れないだけだし。俺が女装でいいって言ったんだから」
「…………『女装』って」
呟いたアリューシャと目が合うと、キーファが吹き出した。
「確かに『女装』は無いよな」
アリューシャも笑い出す。
「そうですよ! こっちの方が自然体なんですから!」
とりあえず……とアリューシャが持っていたトランクを開いた。
「かさばらないものだけ詰めますから。女装用の服ですけど」
―――――カシャン
遠くの方で陶器の割れる音がした。
キーファがピクリとドアの方へと顔を向ける。
「お昼の準備で誰かお皿でも割ったんでしょうか?」
「いや、音が近すぎる」
扉の側の壁に背をつけると、キーファが動くなとアリューシャに手の平を向けた。真鍮のノブに手を置くと、音がしないようにそっと開く。
ひと筋空気が入る程度扉を開くと、その異変にすぐさまキーファが気づいた。
「焦げ臭いな」
誰も扉の側にいない事を確認するとキーファが指をクイクイと曲げ合図する。
急いでトランクを閉じようとするアリューシャにそれは置いておけと端的に言う。
開いたトランクをそのままに、いつものバッグを提げながらキーファの背後へと移動した。
キーファも自分の革袋を肩にやり扉を開く。
「アリューシャ、離れるなよ」
階段の方まで行くと、階下から黒い煙がもうもうと上がって来ているのが見えた。
「火事だ! ここは無理だな。部屋の窓から出よう」
「みんな避難したでしょうか? ルカもおばさまも……」
アリューシャが不安げにキーファを見上げる。
『キャーーー!!』
階下から女性の叫び声がした。
アリューシャがギクリとしてキーファのジャケットを掴んだ。
「おばさまの声です!!」
「ああ」
そう答えただけで、足を速めて部屋へ戻ろうとするキーファのジャケットを今度は思いきり握りしめた。
「キーファさん!?」
「わかってる! でもアリューシャの安全が優先だ」
「ダメです! そんな……」
「お前を外に出してから、俺が戻るから!」
「それは嫌です!!」
青い顔をしてアリューシャがキーファの顔を見る。手を離すとよろよろと後ろへ下がった。
「きっと、そんなの待ってなんかいられない……!」
大地に沈みゆく父親の姿と助けを呼ぶルイーザの姿が頭の中で重なり合う。
アリューシャが煙の上がる階段へ向かって一目散に走り出した。
「アリューシャ!!!」
手摺りを頼りに、アリューシャは転げ落ちる勢いで階段を下った。
すぐ下の踊り場の片隅に小さな火の塊があり壁紙を焼いている。そこから煙が3階に上っているようだ。火に近づかないようにして2階へ下りると、そこにはまだ火の気が無かった。
火事はさっきの火……?
数段階段を残したところでアリューシャの足が止まる。
2階のホールには一切煙は回っておらず、火の手も上がっていない。 フロアを見回しながら、用心深く階段を下りきった。
『…………!!』
どこかで扉を打つ音と誰かの叫ぶ声がしている。
音源を求めて、アリューシャは2階の廊下を走り出した。
角を曲がると正面の白い大扉がドンドンと中から打ち付けられている。
『…………けろよ!』
扉に駆け寄ったアリューシャも同じように扉を叩いた。
『誰!?』
「ルカ!? 私よ! アリューシャ!」
『アリューシャ!? 大丈夫!? そこに変な格好の男いない?』
「男……? いいえ誰も」
アリューシャが後ろを振り返るが人の気配は無い。
『そっちからドア開けられる? 部屋の下が燃えてるみたいなんだ! このままじゃみんなヤバい!』
「みんな? おばさまも?」
「そう! ママとじいやと他にも、全部で6人だ!」
アリューシャが一生懸命ドアノブを捻るが金属が溶けているようで全く動かない。
「だめね。固いわ!」
『くそっ! アリューシャ……あのキーファってヤツは!?』
「えーっとキーファさんは……」
アリューシャが振り向いた時大きな影がアリューシャを後ろから抱き上げた。
(キーファさん)
一瞬心の中でそう思ったが、鼻にキツイ香水の匂いがした。
「お嬢ちゃん」
長い赤毛をなびかせ、ベルベッドのドレスコートを羽織った長身の男が怪しく微笑んだ。
「……あなた、森で……」
「せいかい! オオカミさんでした。かわいい赤ずきんちゃん。お迎えに来たわ」
「離して下さい! キーファさん!!」
「あのお兄さんには別の担当がついてるのよ」フフっと男が笑む。
「担当?」
「あの役立たずどもじゃないわよ? ちょっとマシなの連れてきたからね」
「そんな……キーファさん!!!」
『アリューシャ!! どうした!?』
扉の外の異変に気づいたルカがこれでもかとガンガンとドアを蹴りつける。
「どうしてみんなをとじこめてるの?」
「だってあのお兄さん強いじゃない? こうやって人質でもとって有利にしようという作戦よ」
アリューシャの顔が青くなる。
「お願いです! みんなを解放してください!」
「もちろん。あなたが私の言うことをちゃんと聞いてくれたらお友達は出してあげる」
「急がないと火がついてるって」
「そうよ。だって私達がつけたんだもの。だからお利口さんにしていて。私と一緒に行きましょうね」