5. ドラゴンストーン(3)
――ドラゴン・ストーン――
他の国々では天上の石とも賢者の石とも呼ばれていた。
エンドルフ国ではドラゴンの魂の結晶だと言い伝えられている。
滅び去りし種族の残した魂の欠片。
それが時折深い土の中から掘り起こされる。
現在までに国内で確認されているドラゴン・ストーンは154――――
その多くは国によって管理され、役目を果たした石はその三分の二を占めている。
―――――人は石を飲み込み、石は魂を飲み込む
「まさか!! 生き物!? こいつが!?」
キーファが耳の後ろに埋め込まれた〈シルフの得難き口づけ〉に手をやる。
まぎれもない鉱物の冷たさが指先に伝わった。
「ドラゴンラインはご存じですよね?」
「ああ。首から上の事だろ? 由来はドラゴンストーンなんだよな? ドラゴンラインより上に着けなけりゃストーンは無駄になる」
「そうです。首から上に装着する理由は唯一つです。彼らが脳に作用する限界領域だからです」
ドラゴン・ストーンを『彼ら』と表現したアリューシャにキーファはぎくりとする。
無意識に自分の手の中で馴染んでいたその石から手を離した。
「彼らは自分の生存本能で人に寄生します。そして宿主の生存率を向上させるために、脳に作用し身体能力を向上させ、特殊な能力を与えるのです」
「それを……どうやって取り除くんだ?」
「簡単に言えば電気ショックを与えます」
「それだけか!?」
「いいえ。一時的に麻痺させるだけで彼らの触手を取り除かなければいけません。これは神経を傷つけずに行わなければならないため、かなりの外科的処置技術が必要です」
「だから医者の親父さんとアリューシャが…………? いや、それなら医者は国にもたくさんいるだろ? そんな方法があるのならとっくにメジャーになってるはずだ」
「……はい。他にもう一つ、ドラゴンストーンの切除で必要不可欠な条件が出てくるんです」
「条件?」
「私はメスを手に取ると指先を傷つけ、手術で取り除いたブルーストーンに一滴かけました」
「まさか血透選別法か!?」
「いいえ。イェーガーの選別で用いるのはドラゴンストーンの原石ですよね? その状態で反応を探る為にはある程度の血液量と長い時間が必要です。でも私の場合は簡単でした。まだ覚醒している石がそこにあったからです。すぐに反応がわかります」
「石は……一切何の反応も見せませんでした」
キーファが確信を得たようにアリューシャを見た。
「……ブラックアウトか?」
「そうです。私はブラックアウトでした。父もそうです」
ブラックアウトとはドラゴンストーンが全く反応しない人間の事である。ドラゴンストーンは通常大なり小なりほとんど全ての人間に反応を見せる。
全くの無反応者は珍しく、〈ブラックアウト〉と呼ばれていた。
「ブラックアウトが条件なのか?」キーファが頭を捻る。
「触手を取り除く際に彼らは軽いパニックを起こすんです。防衛本能から、危険のより少ない宿主を探します。もしも手術者がブラックアウトでなければ――――」
「手術者に寄生するってことか?」
アリューシャがこくりと頷いた。
「ドラゴンラインではない、この場合は指や手に触手を伸ばしてきます。父の師であるアンブロス先生はそれで小指を落としたとか」
燃え上がるたき火の炎のように、話し続けるアリューシャも熱を帯びていた。
「……父は手紙に書いていました。私への贖罪を。それでも医師であり研究者だった父は師のあみ出したこの秘法を伝えずにはいられなかったと。この技が滅び去る事に耐えられなかったのです。愛する娘の人生を犠牲にしても……なんて」
そこでアリューシャは目を伏せた。
悲しんでいるのか、絶望しているのか暗闇に堕ちるような瞳。
「でも違うんです。そんなこと一切私は思いませんでした。私こそがあきらめきれなかったんです。父は病に冒され手が震えるようになりました。その時にこの手術を止めてしまうことはできたんです」
アリューシャが何かを確認するように自分の手の平を見つめる。
「私こそが望んだんです。受け継いで行くことを。でも、でも思わずにはいられなくて、だって、あの時止めていれば父は……」
アリューシャはまるで泣いているように笑った。
「だから奴らはお前を追っているんだな。命を失わず石が朽ちることなく取れるんなら、いろんな選択肢が広がる。ポゼサーの可能性が広がるという事だ……」
部屋には沈黙が広がる。まだアリューシャの瞳は沈んだままだ。
「疲れただろ? 今日はもう休もう」
そう言うとキーファがごろんと荷を枕にして横になった。
「火の番は気にするなよ。俺が見るから」
人外の力はこの世界のパワーバランスに大きく関わってくる。
聖書では禁忌とされた石の占有も、人の欲望を抑える事はできなかった。
為政者はその力を公然の秘匿として国力維持や利権の為に行使したのだ。
そして闇で流れる『ドラゴンストーン』も多かった。それを制御する事も必要不可欠だったのだ。
ゼーゲン騎士団の第五騎士団、通称イェーガーはその為の特別な力を持った集団だった。毒を制する為に、自ら毒を飲んだのだ。
石とともに滅び去るまで――――
団長は知っていた
そんな秘法があれば更に上の者が知らないはずは無い。政府の奥深くでは暗黙の了解だったのではないだろうか?
今まで田舎の村で静かに暮らせたアリューシャとアリューシャの親父さんは守られていた。その均衡が何かをきっかけに崩れ去った。
内部からの情報漏れか……?
キーファが顔を曇らせる。
だがイェーガーにそんな人間はいるはずが無い。どこかに、伝達のどこかの段階で綻びがあったはずだ。
キーファはクラウゼンを心から敬愛していた。
本当の父親の様に思っていたのだ。そしてその振る舞いからクラウゼンも同じように自分の事を息子の様にかわいがってくれていると確信していた。
キーファは幼い頃、家族を失っていた。
小さな田舎の集落で静かに慎ましく暮らしていた。
そんな生活がある日突然音を立てて崩れた。
夜盗に襲われた集落は女も子どもも皆殺しにされたのだ。
寸前キーファを救ってくれたのがクラウゼンだった。
習慣のように左耳にはめられたイヤーカフから繋がる石を触る。
アリューシャは『アンブロスの秘法』と言った。
父親の師が作り上げた手術法なので彼の名前を取ったのだそうだ。
アンブロスの秘法はアンブロスから父親のヨルク、そしてアリューシャに伝わっている。
黒幕はわからないが、占有者がいるとすればそれなりの集団だろう。
やはりクラウゼン団長の元に無事に送り届ける事がアリューシャの安全を守る道だとキーファは考えた。
たき火の向こう側で小さくうずくまるアリューシャに目をやった。
父親が死に、自分も狙われている身。
学生だった彼女は二度と学校に戻る事はできないだろう。
ある日を境に生活の全てが一変する
それは自分の幼い頃と重なるような気がした。