4. 追跡者(4)
針葉樹の林の中をアリューシャを抱えたままキーファは走った。その歩幅は広く、走るというよりも大きなストロークで跳んでいるように体重を感じさせない。
奴ら何者だ……?
キーファは背後を振り返ったが追って来る者はいない。丘の上を走っていた列車の陰影が見えなくなるまで跳び続けると、大きな倒木の上に着地した。
「もう大丈夫だ」
その声を聞いてアリューシャはおっかなびっくり目を開いた。
「立てるか?」
「は……はい」
キーファはゆっくりとその大木の上へとアリューシャを下した。
アリューシャの胸はまだドクドクと激しい音を立てていた。
どうしてまたあの人たちに見つかったったんだろう?
崖から落ちた時に死を装えたと考えていた。でもそれはアリューシャの楽観的な思い込みだったのだ。
「奴らは何者だ?」
アリューシャがギクリとしてキーファの顔を見上げた。眉間に皺を寄せてキーファは険しい顔をしている。
「知らないんです」
そのアリューシャの答えを聞いて、キーファがあからさまにムッとした。
「知らないはずは無いだろ? 奴らはお前を探していた。それに男の顔を見て青ざめただろ?」
「それは……」
シュイイイイイン
強烈な一陣の風が吹き咄嗟にキーファがアリューシャを抱えて跳びあがった。
二人の背後にあった大木がギギギと嫌な音を立てて倒れた。中心から真っ二つに抉れている。
「わお! 危なかった。お兄さんナイス」
その声に二人は頭上を見上げた。木のてっぺんに人影が見える。
「ポゼサーか!?」
キーファが唖然とする。
「お嬢ちゃんに当たってたら、どやされるとこだったわ」
アリューシャがその言葉に驚いた。
「女だとバレてるな……」キーファもチッと舌打ちする。
樹上からふわりと人影が舞い降りてくる。
手に握られていたはダガーが投げ落とされキーファの立っていた地面に突き刺さった。
「速いのね」
ダガーが空振りに終わると顔を上げ二人を見た。対峙する人間は長い赤毛をなびかせた大柄の男だった。端正な顔立ちが怪しく笑みを浮かべ手には刃が握られる。
「男か……」
アリューシャを抱き上げたままキーファが呟いた。
「残念ながらお兄さんには用は無いの。そのお嬢ちゃん置いてどっか行ってくれないかしら」
女性のような言葉使いのよく響くバリトンボイスだ。
「生憎だがそれはできない相談だな」
キーファも笑みを浮かべると思いっきり後方へと跳び上がった。アリューシャを抱えたままくるりと一回転する。
「きゃっ」
思わず声が漏れアリューシャはキャスケットを抑えつけた。跳び上がりながら眺めた林の中には列車の中にいた三人の男たちも追いついて来ていた。
「四対一じゃどう考えても不利でしょ? そんな足枷までつけちゃって」
『足枷』とはアリューシャの事を差しているようだ。黒いコートを羽織った三人組の手には銃が握られている。
それを確認したアリューシャは背筋を冷たい物が這うのを感じた。
絶対絶命――――
「不利ね……」
呟いたキーファの顔を見上げるとその顔には追い詰められたような焦りは無い。その状況すら愉しんでいるようにアリューシャには見えた。
フワリと地面に着地すると男達が一斉に銃を構えた。
「いつでもどうぞ」
笑顔で答えたキーファに一番苛立ったのはスキンヘッドの大男だ。キーファに狙いを定めると何の躊躇も無く引き金をひいた。
ガーーーン
林の中に大きな音が響き渡り、周囲にいた鳥たちが鳴き声を上げて飛び立った。
弾丸はキーファに当たってはいない。横にいた二人の男も次々に銃を撃つが大きく逸れて遠くの樹皮が弾けるのが見えた。
それを苦々しく見ていた赤毛の男が、両手を構えると掌の前にぐるぐると風の球体が現れた。腕を振りかぶるとキーファに向けて投げつけた。
アリューシャは目を瞑りキーファにしがみついた。
しかし風の球体はキーファに届く寸前でほどけそよ風に変わった。キーファの真っ直ぐな黒髪をサラサラと撫でつけただけだ。
男が嬉々とした顔をする。
「イェーガーのエースは噂通りってわけね。ドラゴンの寵児か」
「じゃあ、今度はこっちからいいか?」
キーファがそう言うと、背後の木々がさざめいた。
木の隙間をうねるように風が吹き寄せられキーファの眼前に集中する。ギリギリと風によって巻き上げられた小枝が擦られ嫌な音を立てた。
キーファが蝋燭の火でも消すようにフッと息を吐き手を振ると、濁流のように唸りをあげた突風が、男達を飲み込んだ。
「うわあぁぁぁぁぁ!!!」
彼らは叫びを上げ枝葉にぶつかりながら、まるで木の葉のように上空へ舞い上げられ吹き飛ばされてしまった。
「行くぞ」
キーファはそう言うとまたアリューシャを抱え上げ林の木々を跳び越えた。