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1. 少年(1)

 天使の羽根からはぐれたように、真白な雪がふわふわと風に揺れながら空から舞い落ちる。

 

 その雪は針葉樹の林の鋭い様相を包みこむと、丸くほこほこと積み上がる。


 

 白くなった大地に小さな人影が仰向けに倒れていた。

 

 革のトランクの留め具が外れ、中に詰め込まれていた荷物が辺りに散乱している。ドサン──と枝から雪の塊が落ち、脱げた左足の革靴に覆い被さった。


 

 白い吐息が唇の隙間から細く漏れ、生きている証をたてる。

 小さな綿雪が微かな赤みを差した頬に落ちた。

 触れるとそこからじゅわりと滴へ変わり、まつ毛に絡んだ雪も涙のように目じりから流れる。



 町も村も森も川も人も全てが凍りつく。


 白く閉ざされた北方の町、ベラージュ────。




◇ ◇ ◇ ◇

「役人に届けた方がいいんじゃないのか? 人がいいぜ、全く……ビアラスの旦那は」


 山の麓に広がる小さな町は、夏のシーズンには猟師でごった返すが、冬の間は閑散とする。開いている酒場もこのビアラスの店一軒のみだ。 

 ジョッキの輪染みがあちらこちらについた古びたテーブルに肘を置き、頬杖をついたままキーファ=レイニンガーは後ろを振り返る。


 窓際に置かれた長椅子の上で少年が寝息をたてている。


「役人ならここにいるじゃねえかよ」


 頭頂部は少し寂しくなってきているが、もみあげまで癖の強いカールをしたビアンテが、湯気の立つマグを両手に持って勢いよくキーファの目の前に置いた。


「俺は苦いのは嫌いなんだよ」


 芳醇な香りのするコーヒーのマグを見て、キーファは顔をしかめた。


「山ほど砂糖入れてやったから飲め」


 ビアンテが言うと仕方なくキーファはカップに手をやった。一口飲むと言う通りそれは甘く、続けてもう一口飲みこむと結局口の中には苦みが残る。渋面を作ってカップをテーブルに置いた。


「俺は役人じゃ無いって。イェーガーだっていっつも言ってんだろ?」


 キーファが思い出したようにビアンテの発言を訂正した。一般人は役人も騎士団も『国』に属するだけで一緒くたにしてしまう。


「せめてゼーゲン騎士団って言えよ」


 ビアンテが顔をしかめてキーファの顔を見た。キーファがニッと口角を上げる。


「ねえ、目が開きそうだよ!」


 少年の側にいたビアンテの息子のルディが明るい声を上げた。


「う……ん」


 ピクリピクリと瞼が痙攣して少年が目を開いた。眩しさからか一瞬目を閉じたが、そろそろともう一度目を開く。


「お兄ちゃん気がついた?」

 横にいて顔を覗きこんでいたルディが心配そうに少年に声をかけた。


「……え……?」


「お兄ちゃん、雪道でひっくり返ってたんだよ。大丈夫?」

 ルディの言葉に少年が不思議そうな顔をする。


「覚えてないの?」


 少年がルディから目を逸らし顔に両手をやる。しばらく考え事をすると思い出したように口を開いた。


「……そうだった。ありがとう。君が助けてくれたの?」


「見つけたのはルディで俺がおぶってつれてきてやったんだぞ? 死んでんのかと思って、ビビっちまったよ」


 大声で笑いながらビアンテが口を出すと、少年は上半身を慌てて起こした。

 ビアンテともう一人、席に座っているキーファをチラリと見る。


「あの……ありがとうございました。それで……ここはどこなんでしょうか?」


 少年が怖々と口を開く。


「旦那の店だよ。おまえ名前は?」


 椅子に座っていたキーファが身をよじって少年に尋ねた。


「えーと……フィンといいます」


「お前どこから来たんだ? 山の中で何してたんだ? どうして雪の中に倒れてた?」


 見知らぬ若い男の矢継ぎ早の質問に、フィンは身を縮めて黙り込んだ。目には恐怖の色が浮かんでいる。


「ねえキーファ! 今、目が覚めたばっかりなのに、そんなに質問ばっかりしたらお兄ちゃん困ってるじゃん!」


 まだ八つのルディだが口は達者でよく気も効く。困惑しているフィンの弁護役を買って出るべくキーファに噛みついた。


「そうだな。確かに……悪い」キーファは素直に謝ると口を閉ざした。


「いいえ。あの、大丈夫です」


「これだから役人は!」


 父親のビアンテの口癖を真似るように、ルディが付け加えた。

 フィンがそのルディの言葉に慄いてテーブル席のキーファを見た。


 チェックのシャツにネイビーのパンツ、黒いブーツを履いていて特に役人には見えない。その服装は普通に町にいる若者のようにフィンには見えた。


「疑ってんだろ? わかるよ」


 ビアンテがうなずきながら隣の椅子に掛けてあったジャケットを広げて見せた。

 こげ茶色のブルゾンの内側はスモーキーブルーにシルバーのボタンの付いた立派な上着だ。役人の制服のようだが、見慣れたものとは少し色が違う。

 しかもボタンがシルバーだという事はそれなりの役の者の証だ。


 フィンはそれを見て更に目を大きく開いた。


「そう見えねぇから驚いただろ?」ビアンテが笑い声を上げた。


 確かに無造作な印象の黒髪とそのラフな出で立ちからは一見するとわからない。

 だが前髪からのぞく眼は鋭く、捲られたシャツから見える腕は鍛えられた筋骨が見える。

 少年っぽさを残した顔立ちには似合わないような逞しさがうかがえた。


「勝手に見せんなよ」


 ビアンテの手中からジャケットをひったくりながらキーファがぶつくさと文句を付けた。


「誰だって疑いたくならあ。お前なんてちっとも役人には見えねえ。しかも大事な制服に変な細工しやがって」


「こんなもん普段から着れるかよ! 先輩方から伝わる由緒正しい知恵だよ」


「じゃあ普通の上着を着ろよ」


「どこに招集があるかわかんねえだろ? いちいち制服なんぞ取りに帰ってられるかよ」


 二人のやり取りを黙って見ていたフィンがごくりと唾をのみ込み口を開いた。


「あの……キーファさんはどちらの所属なんですか?」

 フィンの発言に二人は言い合いをピタリと止めた。


「こいつはゼーゲン騎士団だよ」


 キーファの頭を左手でぐりぐりと撫でながらビアンテが答えた。その手を押しやりキーファはフィンの顔を見た。


「騎士団に何か用か?」



 食いつくようにキーファの顔を見ていたフィンが長椅子から立ち上がった。


「お願いします! 団長さんの元へ連れて行って下さい!」



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ルーセント・ムーンの獣」ルーセント・ムーンシリーズの第一作。現代と異世界の間で心が揺れ動く女子大生の冒険ラブファンタジーです。こちらもよければご覧ください。
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