寝過ごした森の美女
カホ視点
揺らぎ音と
どっちかというと某うつくし姫のパロディ
昔々、とある王様と王妃様の間に、娘が生まれた。その姫君は美の神の祝福をたっぷり受けており、輝くような美しい少女に育った。姫の美しさは相対する者に己の持つ最も価値あるものを躊躇いなく差し出させるほどのもので、日々色々な"価値あるもの"が姫に献上された。
そしてそれは姫が成長し美しさが増すにつれて過熱していった。詩人が言葉では姫の美しさを表せないと己の舌を抜いた。絵描きが利き腕を差し出した。音楽家が指を切り落とした。人々が己の命を差し出した。
姫君はそれを憂い、魔術師に相談した。魔術師は知恵を絞り、姫に一つの提案をした。
「…で、魔法の眠りについた姫君がこの茨の塔の奥に今もいる、と」
「わくわくする話だろ?」
「要するに顔合わせると自殺したくなるような美女なんだろ?私は別に会いたくないね」
私は自殺志願者ではない。執着になるほどの何かは見つけられていないにせよ、好んで死にたくはない。
「蒼は本当にノリが悪いな…そんな美女なら一度会ってみたいだろ、冒険者として」
「揺らぎ音殿の思う冒険者と、私の思う冒険者は別物のようだね?」
そもそも私は冒険者ではないのだが。私はあくまでも商人、迷宮商人である。一緒にしないでほしい。
「近頃は物欲に偏った冒険者が多いからなあ。冒険に必要なのは謎と情熱だろう?宝物はあくまでおまけだ」
「それじゃ生活が立ち行かなくなるから即物的にならざるをえないんだろう。私も己に益のないことをするつもりはないぞ」
「此処まで来て帰るとかないだろ?な?」
「撤退時を見極めるのも商人の目利きの内でな」
「なー、たーのーむーよー蒼ーひとりで行くとかさびしーじゃんかよー」
「他のやつを誘ってくれよ…」
「蒼はどんな美女がいても恋敵にはならないだろ」
真面目な顔で何を言っているんだこの男は。確かに私は今のところ女性愛者ではないが。無性愛者だが。間違っても無性性愛ではない。何を言ってるんだこの男は。
「俺はこんなにも女性が好きなのに、何故かモテない。だから間違っても恋敵は増やしたくないんだよ」
「君は一度客観的に己を見た方がいいと思うぞ」
私が思うに、揺らぎ音殿がモテないというならそれは彼の気の短さが主な原因である。せっかちで結論を急ぐし早とちりしてキレるしすぐ怒るし。ざっくり言うと暴力的な男は女にモテない。男から搾取したいタイプとか逆に搾取されることに慣れきっているタイプならまた別かもしれないが。
揺らぎ音殿は悪い男ではないのだが、いかんせん問題(特に恋愛関係の)を起こすことが多すぎる。悪い奴ではないのだが。
なんだかんだ言って付き合ってしまう私も相当にお人好しだが、気の短いわりに全然諦めなかったこの男もこの男だ。
「どんな美人なんだろうなー。楽しみだなー」
「…もう300年ほど前の裸人族の伝承だろう?君の好みとは限らないと思うが」
勿論好みの可能性もあるが。…というか、よく考えるとこいつの趣味が分からないな。知ってる限りでも色々なタイプの美女に突撃しては騒動になってた気がするし…女性なら何でもいいというほどではないはずだが。
「数多の人間が命を捧げても後悔しない美人だろ?他の時代でも通用する美だと俺は思うな」
確かにそれはそう…なのかもしれない。ただの美人ならそうはならないだろうし…。とはいえ、種族ごとにやはり好みに幅が出る傾向はある…んー、いや、揺らぎ音殿は裸人族もイケる方だったか。
あれだけ惚れっぽいと一周回って私も感心する。基本的に私は恋に生きる人間は理解できないし、嫉妬とか抜きで非合理だと思うのだが。まあ、何事も突き抜ければ天晴というやつである。
「っと、蒼、魔術頼む!」
「へいよー。…眠れや眠れ、渦巻く茨よ。我らをこの先へ通しておくれ」
道を塞ごうとする茨に魔術をかけて動きを止めさせる。ちょっとした障害なら揺らぎ音殿が短槍で斬り払ってくれていたが、あまり切断能力のない彼の短槍ではやはり限界がある。私の細剣もどちらかというと突く武器だし。
しかし、植物魔術ではその内限界が来るだろう。なにしろ相手は過去の魔術師の仕掛けた魔法の茨だ。通常の植物より魔術抵抗力は高い。かといって、焼いたりするのも悪手な気がするから…魔術の核を潰すのが一番確実な対処法になるだろう。核が見つけられるかも問題だが。
なんとか発見した塔にかけられた魔術の核を潰すと、茨は大人しくなるを通り越して見る見るうちに枯れていった。とはいえ、すべて枯れたわけでもない。魔術による植物だけでなく、本物の植物も混ざっていたのか、それ以外の理由からか。まあどちらにせよ私たちの鼓動は変わらない。向かう先は姫君の眠る場所…塔の最上層である。
「楽しみだな、蒼。…つぅか、寧ろ緊張してきた…!どんな美女が待ってるんだろう…」
「私はとっとと用事を済ませて帰りたいよ。きっと私好みじゃないし」
とはいえ、何の収穫もなかったわけではない。どのような作用か、魔法の茨の間に、特殊な毒草が紛れていて、それを採取できたのである。すぐに出番があるということはないだろうが、備えあるに越したことはない。
「そんなつれない…いや、そういうやつだから誘ったんだけど」
…まあ、私も噂の姫君に全く一欠片も興味がない、というほどでもないのだ。話の種ぐらいにはなるだろうし。死にたくはないが。
塔の最上層。魔法の茨に守られていただろう部屋の扉は、軋んだ嫌な音を立てながらもあっさりと開いた。意外と広いその部屋の中心には、紗幕に守られた天蓋付きの寝台がでんと鎮座している。女性のものらしい部屋には、鏡台や衣装箱なども置かれている。その中身を無遠慮に検めようとは思わないが、おそらく300年前当時の流行のものだろう。
揺らぎ音殿は、一度大きく深呼吸をしてから紗幕を開いた。
「失礼する」
寝台には、裸人族の女性が一人、穏やかに眠っていた。それは、確かに美しい人間だった。いや。美しい人間だったのだろうということが窺える老婦人だった。成程。ここに魔術をかけた魔術師は、そのような解決法を提案したのか。
「ふむ。確かに、かつての美人なのだろうね。どうする?揺らぎ音殿」
「そんなの、勿論決まっているだろう」
姫君を前にして少々呆けていたらしい揺らぎ音殿だが、私の呼びかけに我を取り戻し、姫君の手をとって恭しく口づけた。
「美しい方、どうかお目覚めになって俺と言葉を交わしてください」
…。あ、ありなのか。揺らぎ音殿的にこれはアリなのか。まあ、実年齢で言えば普通に年下な可能性もなくはないだろうが、種族換算で言えば明らかに年上では?いや…でも普通に年上もイケる口だったな。ここまで年齢差があってもいいとは知らなかったが。
揺らぎ音殿の何に反応してか、姫君はゆっくりと目を開け、ぱちりぱちりと瞬きをして不思議槍にこちらを見る。
「あら、まあ、まあ、まあ。あなたたちが妾を目覚めさせてくれたの?」
「ええ。俺は揺らぎ音。こっちは俺の友人の蒼。失礼だがお名前を伺っても?美しい人」
「ふふ。妾はいつも、美しい人だとか姫君だとか呼ばれていたので、他に名と呼べるものはないのよ。けれど、きっと、もう私には不釣り合いかしら」
「不釣り合いだなんて、とんでもない。種族が違えど、年を経れど、あなたは美しい姫君ですよ。お付き合いしたいなあ!」
本音を軽々に出しすぎでは。とはいえ、それを聞いて姫君はくすくすと笑った。…まあ、自殺しそうにないものな、揺らぎ音殿は。
「失礼ですが姫君、あなたは長い時を眠って過ごしたことに後悔はないのですか?」
私の問いに姫君はきょとんとした後、悪戯っぽく笑う。
「妾も、ただ眠っていたわけではないのよ。眠っている間、夢を見ていたの」
「夢、ですか」
「そう。蝶になって世界中を旅する夢。それで、たくさん色々なところを見たわ。だから良いの」
ほんの少し寂しそうに、それでもきっぱりと姫君は笑う。
「妾の美しさが誰も殺さなくなるのが、一番良いもの」
「…大変失礼なことを申し上げました。心より謝罪いたします」
この姫君の美しいものは、外見より何より、その心だったのだろう。だからその容貌が衰えても、その美しさの本質は損なわれていない。
「蒼玉の姫君、美しい人よ。どうか、あなたと時を過ごす栄誉を俺にいただけませんか?どうか、夢でない楽しい時間を俺と過ごしましょう」
姫君は鏡台をちらと見て首を傾げる。
「こんなおばあちゃんになった妾で良いのかしら」
「年齢など…俺の方がはるかに年上だ。なにしろ、先日500を超えている。一族としては若輩だが、寧ろこちらが問うべきだろう」
「揺らぎ音殿は惚れっぽいけど、それだけにお世辞で口説いたりはしないですからね。これは彼の本心ですよ」
「まあ。…では、妾の久しぶりの外出に付き合っていただけるかしら、騎士様?」
「もちろん、よろこんで!」