年若い少女は大体夢見がちだ
三人称視点
雛菊と
迷宮都市・福音の階にある宿屋、再会を契る宿に併設された食堂で、蒼は食事をとっていた。この時間は宿屋の宿泊客以外の客の姿はほとんどなく、客足が落ち着いているため看板娘の雛菊も手空きらしかった。
雛菊は宿屋の主人の一人娘であり、妖精族・フェアリーの少女だ。男手一つで彼女を育て、店を切り盛りしている父を助け、店を手伝っているがまだ成人前のお転婆娘らしく、冒険者に憧れ志している。宿屋という職業上、冒険者と接する機会が多いのも原因だろう。父には反対されているが、本人は成人が認められればすぐに冒険者になるつもりでいる。
「蒼様、ちょっとお時間いいですか?」
蒼が食事を終えたところを見計らって雛菊が話しかける。蒼は優雅に手巾で口元を拭って微笑を浮かべた。
「ああ。私から何の話を聞きたいのかな、雛菊お嬢さん」
蒼がこの再会を契る宿を福音の階に滞在する時の常宿にするようになってから十年以上経っている。常連と呼んで差し支えない付き合いだけあって、対応も慣れたものだった。雛菊は幼いころから、客の冒険譚などを聞くことを楽しみにしている。そのため、宿の主人はより一層義娘に危害を加えそうな客をお断りしており、穏やかな気性の客が多いのだった。他の客も微笑ましそうに二人を見ている。
「蒼様は今回福音の階に来る前は、どちらにいらしたんですか?また蒼天の船足?それとも花束に至る橋ですか?」
「此処に来る前に立ち寄った街か。今回は石文穿つ涙かな。そこからここまでは食料品の補給程度しか滞在しなかったから」
「まあ、何かあったんですか?」
「特に何も。何となくそういう気分だっただけだよ。何となく留まる気分じゃなかったのさ」
蒼はそう言って肩をすくめてみせた。雛菊はキラキラと目を輝かせる。
「もしかして、蒼様を狙う追手の方がいたのかしら。それで、危険を感じとって移動を?」
「…私は別に追われている身だから旅商人をしているわけではないんだが」
蒼は少し困った顔でぼやく。何故だか(と蒼は思っているが恐らく蒼の優雅な所作が一番の原因である)、雛菊は蒼を故国を追われ商人に身をやつしている亡国の王子様か何かだと思っているようなのである。ちなみに彼を追っている人間の有無だけに関して言えば、絶対に存在しないとは言い切れない。なかなかに面倒な身の上ではあるのである。
「それで、石文穿つ涙では、蒼様はどのような方と会ったんですか?」
「そうだね…まず、石文穿つ涙は多雨地帯にある石造りの遺跡に作られた街なんだけど…」
個人の特定ができない程度にぼかして、蒼はかの地で店を訪れた客のことを話す。仲間への贈り物を探していた亜人族の冒険者。迷宮遺物探求を生業とする獣人族の冒険者。工具の手入れに使うモンスター油を買い求めにきた精霊族の職人。教材になるものを探していた有翼族の教師。虫刺されの薬を集めていた魔族。
「やっぱり、蒼様は奇妙な方との縁があるんですね」
「はっはっは」
やっぱりって何なんだろうと遠い目をして、蒼は乾いた笑みを浮かべた。
「関わってはならない人間を察知して避けるのも我々には必要なことだよ、お嬢さん。妖精族はどうしても肉体的な筋力は他種族より低くならざるをえないからね」
小人族もそうだが、体格に劣るというのはそれだけで直接戦闘になった時に不利になる。勿論それを技術やら道具やら魔術やらで覆せるものもいるが、それは事前準備が必要となるということである。ならば、そういう事態はそもそも避けるべきだ。
「戦闘能力を磨くのではいけないんですか?蒼様だって、細剣を持っているでしょう?」
「戦闘能力を磨いてどうにかなるのは格下の相手だけだ。護身的に身に付けるのは基本だけれどね」
蒼は肩をすくめてみせる。
「それこそ、獣人族とか亜人族とかの体格の立派な相棒でも探す方が確実だよ?こちらも何かしら返せるものを身に付けなきゃだけどね」
「…冒険者が一人で旅しなきゃならない理由はありませんもんね…」
「いや、そこは商人も含めて複数人で組んで旅や迷宮攻略をする方が一般的だよ?数の不利は単純にして覆しがたいものだし」
「でも蒼様はいつも一人旅ですよね?」
「私はその方が性に合っているからね。それで困らないよう対策もしているし」
雛菊は蒼をじっと見る。蒼は涼しい顔で微笑した。雛菊はそれが正確にはどういう種類のものであれ、蒼に対して憧れの念を持っている。冒険者と商人では微妙に目指すところが違うのだが、それを差し引いても彼は彼女が憧れるに足る人物なのである。