情けは人の為ならず
毒の賢者視点
明らかに冒険者ではない、どころか、成人も迎えていないだろう少年が、迷宮に入ろうとしていた。否、別に子供が迷宮に入ることが禁じられているわけではない。己の意志で入る分にはそれは自由だ。ただし、その迷宮、悪夢の温室は戦いの心得のない子供が不用意に入れば無事に戻れない場所である。良識のある大人としては、やんわりと止めるべきところだろう。まあ、それなりに理由あってのことではあろうが。
「――坊ちゃん、そんな思いつめた顔してどうしたい。坊ちゃんみたいな貧弱な子供が一人で迷宮に入っても死ぬだけだぜ?」
蒼毛のケットシーが優雅に少年の前に立ち塞がった。
「冒険なら剣の一振でも振るえるようになってからにするんだな」
赤い羽根帽子の下から覗く瞳は皮肉気に細められている。しかし、その身から発せられる圧力は人造兵でも怯むかもしれないものだ。いかな小柄な妖精族のすることといっても無視できるものではない。子供ならば猶更であろう。
「でも、おれはお兄ちゃんだから、妹を助けなくちゃいけないんだ!おれがやらないと、妹は…」
「はん?何だい、病気?怪我?それとも迷子か誘拐か。頼れる大人はいないのかい」
「猫さんには関係ないだろう、早く通してよ。急がないといけないんだ」
「私は猫ではなくケットシーだ。そして商人でもある。物でどうにかなるものなら話してみろ」
「…薬が必要なんだ。でも、市場で売ってるのはみんな高くて、うちじゃとても買えなくって…お医者さまが言うには、薬さえあれば助かる病気なんだって。だからおれは…」
「ふん、薬。その病気ってのは?」
「…竜皮病」
「竜皮病。そりゃまた難儀な病にかかったもんだ。まあ、在庫はあるがね。坊ちゃんは幾らまで出せるんだい?」
「…300ギメル」
「300、300じゃあさすがに薬は売れないな」
「・・・」
「しかし、そうだな…こいつを売ってやろう。暗霧の勲、加工前、取りたての竜皮病の治療薬の材料だ。こいつを調合屋にもってけば、市場で探すよりは安く手に入るだろ」
「!」
「そうだな…まあ、120ギメルでいいだろ。ここらだとそうだな…蜂蜜通りの冬ごもりって偏屈婆のところに行くといい。私…蒼の紹介だって言ってな」
あくまでも金はとるのが彼らしい。まあ、市場で買おうとすればそんなはした金じゃ爪の先ほどしか買えないんだけど。
「…それで、本当に薬が手に入るの?」
「私は客には嘘はつかんさ」
「…。…わかった。買うよ。ちょうだい、猫さん」
「まいどあり。けど私は猫じゃないと言ってるだろう」
ケットシーは銅貨と引き換えに彼の屋号が捺された紙袋を少年に渡した。
「ありがとう。いってくる!」
「まっすぐ行ってまっすぐ帰るんだぞ、坊ちゃん。寄り道せずにな」
ゆったりと尾を振って少年を見送った彼に僕は歩み寄って声をかける。
「やあ、蒼、相変わらずお人好しだね」
「あン?…毒の賢者殿か。私の名は蒼だと言っているだろう」
「蒼と言う人もいるだろう。蒼でもいいじゃないか」
「匂袋はともかく、げっぷは駄目だ。優雅じゃない」
それを言ったら、僕の故郷では青なのだが。蒼もどちらかというと休憩所に近い。
「で、何処から見ていたって?今さっきここに来たってわけじゃないんだろう」
「ははは。まあ、あの少年が広場に入ってきたときには、僕もすでにいたね」
「私より先に見つけてるんじゃないか。というか、あんたが声をかけろよ、薬も持ってるだろ」
「まあ君がいなければそうしたさ。けど、君の方が適任だったろう?」
「私は面倒は嫌いなんだ。これ以上は勘弁ってもんさ」
「薬が手に入りましためでたしめでたし、とはいかないと?」
僕が尋ねると、彼はすっと目を細めた。
「あんたは竜皮病の感染経路は知ってるかい」
「ああ。確か主に保菌してる地獄蜂とかいうモンスターに刺されることで起きるんだっけ?」
「その通りだ。だが、大抵は発症しないで終わる」
「発症率の低い病原なんだっけ?」
「いや、大体発症する前に地獄蜂の毒で死ぬ。毒からはなんとか逃れられたが、結局竜皮病で死ぬってのが蜂経由でよくある結末だな」
「…となると、少年の妹は蜂に刺されたわけではない?」
「そもそも地獄蜂なんて大物が子供が平気で行けるような場所に出てきたら大事になってるだろ。群れをを作るモンスターだし。となると、だ。人為的もしくは人から人への感染だ。竜皮病の場合は、人から人の感染は保菌者との体液交換で起こると言われている」
「…うわあ」
「まあ自分が保菌者だとわかっててそういうことをするような奴は害悪とそう変わらないだろうがな」
「…まあ、悪意ある行動と取られても不思議はないよねえ。しかし…子供相手に、ねぇ?」
「人の好みは千差万別だ。何があったってありえないなんてことはねぇよ」
ルビのブレは固有名詞はその地の言葉をあてて、普通名詞は各々の故郷の言葉を当てている