第1話 布袋さん
『ぼくの家族 2年 大島 和雄
ぼくのおかあさんはしにました。おしごとのかえり道で車にはねられました。ぼくがびょういんについたときには、おかあさんのかおに白いぬのがかかっていました。
ぼくはおかあさんがだいすきでした。ときどきおかあさんがかおをたたいたり、ごはんをたべさせてくれなかったこともあったけど、おかあさんにおこられるのはぼくがわるい子だからです。おかあさんがしんで、なみだが出なかったのもきっとぼくがわるい子だからです。
ぼくは一人ぼっちになっちゃったとおもいました。そのとき、ぼくのすんでる町のおまわりさんがずっとぼくのそばにいてくれました。いつもあさ学校にいくとき、どうろに立って「おはよう!」っていってくれるおまわりさんです。
その日はおまわりさんのいえにとめてもらいました。 おまわりさんもこうつうじこでおくさんとこどもをなくしたといってました。 おまわりさんはとってもやさしくて、ごはんもとってもおいしかったです。
おかあさんのおそうしきがおわるまでおまわりさんのいえにとまりました。そのあと、ぼくはしらないしんせきのおばさんのいえにいきました。
でも、ぼくはわるい子だからすぐしせつにいれられました。しせつにきてしばらくして、おまわりさんがきました。
「むかえにきたんだ。おれといっしょにくらさないか?」
おまわりさんはいいました。ぼくはなみだがあふれてきました。おかあさんがしんだときなかなかったのにです。
「やっぱりいやかな?たにんとくらすのは」
ぼくはウウンといいました。
ぼくはいまそのおまわりさんといっしょにいます。ぼくはおとうさんがいないけど、おとうさんってこんなかんじなのかな、、、
ぼくはおまわりさんのことをおじちゃんってよんでます。ぼくはおじちゃんが大すきです。』
「おい、和雄〜。メシだぞ。」
大きな声に和雄は作文を書く手を止めた。学校の宿題で家族のことについて作文を書かなくてはいけない。教師は和雄に気を使ってテーマを自由にしていいと言ったが一年以上この警察官、大島文蔵と暮らしているわけだし、彼を父親のように思っていたため作文のテーマにするのは苦痛ではなかった。
「おい、聞こえんのか……」
文蔵がヒョイと顔を出した。
「なんだ、宿題してたのか。まずメシ食ってからやりな。冷めっちまうから」
「はぁ〜い、今終わったからすぐ行きま〜す、布袋さん!」
「和雄ッ!」
「エヘヘ……」
文蔵はニコニコと目を細めていた。和雄は文蔵の笑顔が好きだった。プックリとした腹、大福のような顔、短い足、身長は警察官にしては小柄なほうだろう。決してカッコいい中年男性とは言えない。
しかし文蔵の笑顔には、なんだかこちらまで笑顔になれるような不思議な雰囲気があった。そのため以前、駐在所のあるこの町の住民からその温和な性格と体型から布袋さんに似てると言われたことがあった。
「布袋さんか…」
そう……布袋さんのお陰で和雄が本当の笑顔を取り戻したのだ。
和雄は文蔵と暮らすようになって少しずつ明るくなっていったが、文蔵に遠慮している様子で笑顔も微笑する程度だった。だが文蔵が
「布袋さん」と呼ばれたことから布袋さんって何?と聞いた。文蔵はかたくなに答えようとしない。だがご親切に駐在所に来ていた老人が、自宅から布袋の置物を持ってきたのだ。文蔵と異なるのは髪があるかないかだけで、あまりに似たその姿に和雄は大笑いした。
「おれはここまで太ってないッ!」
文蔵は耳まで真っ赤にして言ったが、その様子に和雄の笑いはさらに増大した。
「まったく、和雄はひでぇなぁ……」
文蔵は和雄に背を向けた。
和雄は気付いていなかった。その時、文蔵の目に涙がうかんでいたのを……
それから1年たった今では和雄は冗談も言うようになり笑顔も増えた。和雄の食事の様子を文蔵は嬉しそうに見つめていた。
「何?」
和雄の言葉にふと我にもどった。
「い…いや…別に…」
その夜、和雄が熟睡したのを確認すると文蔵はタンスから一枚の写真を取り出した。そこには笑顔の女性と和雄と同じ位の少年が写っていた。文蔵は目を細めて見つめた。
「静枝…慎太…」
妻と息子を思い出して涙がうかんできた。ズズッと鼻水をすする。
「また泣いちまった、年とると涙もろくなっていけねぇや。」
鼻をチ〜ンとかんでゴロリと横になった。
「親…か…」
文蔵は独りごとを言った。
(静枝…おれ…少しは親らしくなったかな…)
それは和雄を引き取ってからいつも自問自答していることだった。父親としてなら慎太のときのようにすればなんとかなるだろう。だが文蔵は和雄にとって父親であり、母親の代わりにもならなければならない。文蔵は自分の境遇を恨んだ。
彼自身、決して恵まれた子供時代を送ったわけでない。幼いころ、まだ生まれて間もない妹とともに親に捨てられ施設で育った。学校では親なしとイジメを受けた。それでも苦労して中学を卒業し、働きながら夜間高校で勉強して警察学校に入り警察官になった。妹も大学まで行かせた。
苦労に苦労を重ねた青春だった。もう今では親の顔さえ思い出すことができない。
妻の静枝も恵まれた人生を送ってはおらず自殺しようとしていた彼女を思い止まらせたことが二人の出会いのきっかけだった。その時に既に静枝のお腹には慎太が宿っており、文蔵はそれを全て引き受けた上で結婚した。
「産まれてくる子にはなんの罪もない。その子はおれ達の大切な子供だ。」
文蔵は静枝に言った。しかし親の愛情を知らないためどうやったらよい父親になれるか分からず
「父親とは」といった文献を読みあさったものだ。
悲しいことに、慎太は先天的な心臓の病気を抱えて産まれてくる。その上、静枝は二度と妊娠できない体になり、文蔵は大きなショックを受けた。静枝は慎太と自殺しようとまでした。
文蔵は妻を支え、慎太を精一杯最期の時まで楽しく生きさせてあげることが夫、父親の努めと考え、出来る限りの愛情を注いだ。時には厳しい父親としての顔を見せた。普通の子供と同じように接するように心掛けた。 文蔵と静枝の愛情で慎太は明るく優しい子に成長した、そんな時だった。静枝と慎太は急に飛び出したトラックに跳ねられて文蔵の元から旅立ってしまった。悲しみに暮れた3年の年月…
その中で和雄と出会った。和雄とは母親が死んだとき初めて会ったわけではない。それ以前に、母親が子供を虐待していると聞いて、何回か訪問していた。警察官が家を訪ねてきたことで、母親の身体への虐待は行われなくなった。子供の亡き叫ぶ声も聞こえなくなり、元気に学校に通っているのをみかけるようになった。そんな矢先、母親が事故で亡くなり和雄は独りぼっちになってしまった。そんな和雄を幼い自分に重ね合わせてしまい、自分のような人生を味あわせたくない…その想いで和雄を引き取ることに決めたのだった。
「ふぁぁ…」
文蔵は大きなあくびをして、重い体をノソノソ動かす。
「そろそろ寝るかぁ…」
和雄の布団の隣に敷いた自分の布団に入り、寝ようとしたとき突然和雄がうめき声をあげた。
「ごめんなさい…お願い…許して…」
文蔵は和雄の寝顔を見つめた。涙が流れている。
(まだ、母親から受けた心の傷は癒されていないんだな…8歳の子には酷な記憶だよな…)
和雄の涙を拭い頭をなでる。自分の無力さが情けない。
(この子の心の傷を癒すことはできんのか……おれはッ…!)
ギリッと唇を噛んだその時、和雄が目を覚ました。
「お…おじちゃん…」
「怖い夢をみたんだな…もう大丈夫だからな」
ニコッと笑った文蔵を見て和雄は安心したのだろう。文蔵に抱きつき大声で泣き出した。
「いいんだ…泣きたいならいくらでも泣いていいんだ。我慢しなくていいんだ。そうやって辛さを乗り越えて大きくなっていくんだから…」
和雄は赤ん坊のように泣きじゃくり、やがて泣き疲れたのだろう、文蔵の胸に寄りかかって寝ついてしまった。
文蔵は布団の中に和雄を寝かせ、自身も眠りについた。
…翌朝…
「こらぁ、和雄ぉ、朝だぞ!」
和雄は眠い目をこすりながら起きてきた。文蔵は既に警察官の制服を着ていたが、上着は脱いでYシャツ姿にエプロンをつけて朝食を作っていた。美味しそうなかおりが台所に漂っている。
「おはよ、おじちゃん」
「おはよう、さっさと顔洗って、歯を磨いて……」
「ハイハイ」
「ハイは1つ!」
朝からハイテンションな文蔵に和雄は半ばあきれていた。
歯磨きに向かう時、振り返り文蔵を見た。台所で料理を作っている背中があった。和雄はその背中を見て決心した。
「あ、あのさ…」
「ん?」
文蔵は振り返って和雄を見る。
「あの…お…お……」
『お父さん』の一言が言えない。
「お…お…」
文蔵は不思議そうな顔で見ていた。
「お…美味しそうだね。
今日の朝ごはん…」
「あったり前だろ、おれの料理は絶品だぞ!」
和雄は自慢げにアハハハと笑う文蔵を見て、ため息をついた。
「そんなことより、早く準備せんか!ボヤボヤしてると遅刻するぞ」
そう言うと目玉焼きを焼き始めた。
「お父さん…ありがとう…」
和雄は文蔵に聞こえない声で言った。そして急いで寝室に戻り、昨日書いていた作文をランドセルから取り出す。そして最後の一段落を付け足した。
『おじちゃんのことお父さんっていうのはなんだかはずかしいです。でも、いつかよびたいです。おじちゃんのことを「お父さん」って。』




