あさごはん
朝。
雀が鳴き交わす声。
カーテンを開ける乾いた音。
朝風の揺らす梢のざわめき。
朝を告げる響きに、慌しい登校前の一時を規則正しく刻む包丁の音が混じる。
台所でその包丁を鳴らすエプロン姿の主が、隣に住む腐れ縁とかいいながら、実は胸の内で最近急に成長してきた相手を意識してどぎまぎしたりしているお節介な異性の幼馴染みだったりするのは、年頃の男女にとってはある意味でちょっとしたイベントなのだと思うのだけれど……。
「はらへったー。まーだー?」
「味噌代わりにチョコ入れるよこの食い専め」
「くっ、冗談だってばさー。アッメーリカンなジョークっ」
けれど、少なくとも食卓で茶碗を鳴らしている、物理的には年頃と言えなくもないはずのこの欠食児童には、そんな情緒深い感覚はないらしい。
溜息一つ、味噌汁を小皿にとり、冷ましてから舌先で転がす。
うむ。今日もいい出来。悪くない。
火を止める間際に刻みネギを散らし、オーブンからシシャモを三尾ずつ皿に飾る。
その脇には昨日の秋刀魚であまった大根おろしを添えて。
「その曲、なんだっけ」
背後から投げかけられる声。
「テレビで何か流れてた?」
「ううん、君の鼻歌」
「気のせいでしょ」
朝から腐れ縁のためドレイの如く働かされている人間に、鼻歌の余裕などあるのかという話だ。
昨晩タイマーをセットしておいたジャーを開けると、甘い香りが台所中に広がる。
「む。絶対歌ってたってば」
「はいはい」
聞き流しながら、ご飯、味噌汁、ししゃも、お新香をいつものテーブルに並べていく。
夏休みが始まってから、すっかり身体に染み付いたルーチンワーク。
「うう~、貧困のシンボル、ししゃもかぁ…」
「さて問題です。派手な外食繰り返して、親から預かった食費を三日で使い果たしたのは、どこのだれでしょう?」
「ぅ」
「第一ヒントです。その人は、高校生にもなって破滅的なまでに料理ができないくせに、「門限なくなるからいいやっ♪」とかいう理由で両親の旅行中の留守番を安請け合いした向こう見ず大王です」
「ぅう」
「第二ヒントです。その人は今、隣に住む善意の幼馴染みを無償で強制的にこきつかい、安価な食事を朝晩作らせてる鬼です。悪魔です」
「ぅうぅ~」
小さくなってうめいている相手の向かいに座る。
「……ごめんっ、この通りっ! ほんとのほんとに感謝してるからっ」
その言葉に答える代わりに、箸を持ち、手を合わせる。
「いただきます」
子供の頃から「喧嘩は食事の前まで」が二人の暗黙の了解。
だからそれは、二人だけに通じる仲直りの言葉。
「へへっ、だから大好きですヨ、センセ」
彼女はえへら、と表情を崩して、
「んじゃっ、いっただっきますっ」
意外にも綺麗な箸使いで、味噌汁の豆腐を口に運ぶ。
「ん~。幸せ~」
きっとコイツは生まれたときに、「料理の才能」を、「料理を美味しそうに食べる才能」に吸い取られてしまったのだろう。
世の中に不幸なことなんて何も無いような笑顔。
その理由が自分が二十分で作った食事かと思うと……それはそれでまあ……騙されているとは思うのだが、大した手間でもないかもしれないなと不覚にもちらっと思ってしまうのだ。きっと明らかに錯覚なのだが。
だから。
「……ねえ」
「ん?」
「今晩、何食べたい?」
多分明日も、僕はここで料理をしているのだろう。
自分では気付かない鼻歌を鳴らしながら。