哀の魔法、ラブラブハリケーン
とある高校の放課後の教室。
窓際の一番後ろの席で、紺のブレザーを着た男子生徒と女子生徒が言い争いをしている。
ケンカの理由は大体いつもと同じ。どうでもいいような事だった。
その一つ前の席では別の男子生徒が漫画を読んでいる。
この三人は小学生からの幼馴染で、いつも一緒に遊んでいた。
小中高一貫校だった為、腐れ縁が切れることなく今も一緒にいる。
そして廊下側の席では後ろ向きに座り、楽しそうに話す金髪褐色肌のギャルと、その話を面倒くさそうに聞いている不真面目そうな茶髪の男子生徒。
三年C組の教室には、現在五人の生徒がいた。
「いーや、確かに貸しました!」
「借りてねえっつってんだろ」
窓際では二人のケンカがますますヒートアップしていた。
男の名前は一恵一。女の名前は桜田桜と言った。
そして漫画を読んでいるのは平洋平。
「百円ぽっち、借りてようが借りてなかろうが、どっちでもいいだろ」
「「よくない!」」
呆れ顔で洋平が言うと、恵一と桜が声を揃える。
「あたしずっと待ってたのよ!? だのにケイったら、一向に返そうとしないんだから!」
「だから借りてねえっつうの! いつ、どこで借りたのか言ってみろよ!」
「そんなの覚えてないわよ! でも、あんたに百円貸したっていう記憶は確かに残ってるんだから!」
「ちゃんと思い出してから言えよ、このバカ!」
「なによ、このアホ!」
やれやれ、またか……といった様子で漫画を閉じ、カバンにしまうと洋平が席を立つ。
「ま、その話はまたにして帰ろうぜ」
「いーや帰らないわよ!」
「いいぜ、こうなりゃとことんやってやろうじゃねえか」
「あーあ……」
洋平は天を仰ぎ、再び椅子に腰を落とす。
一方、廊下側の席ではギャルの希早希とその彼氏、大和大が放課後の打ち合わせをしていた。
「ねーダイ、今日どーする?」
ニコニコ笑顔で早希が問いかけると、だるそうに大が答える。
「……帰る」
「ちょっとー、ノリ悪すぎじゃん? どっかいこーよ」
「じゃあお前ん家」
「ウチは今日ママがいるからダメだしぃ。そーだ、カラオケは?」
「……金ねえよ」
「最悪ぅ。……えっ? ねえ、ダイ。ちょっと、なに、これ」
大と問答をしていた早希が何かに気づく。その視線は教室の床に向けられていた。
「光の……輪に、星? なんかこれ、アレ? 魔法陣ってやつ?」
早希の言う通り、教室の床全体に白く発光した魔法陣が出現していた。
陣の中心には六芒星が描かれ、その周囲には見慣れない文字が星を囲んでいる。
「……誰かのいたずら? チョーすごくね?」
窓際の三人も魔法陣に気づき、驚きと不安に満ちた表情へと変わっていく。
「えっ……ちょっ、まぶしっ……!」
魔法陣の放つ光がひと際大きくなり、教室にいる五人の視界を白く染めて行く。
「なになに、怖いんだけど!! いゃーーーーーっ!!」
早希の金切り声が消えると同時に、五人の姿も教室から消えていた。
♢ ♢ ♢ ♢
五人が魔法陣と共に姿を現すと、そこはどこかのお城の中だった。
玉座には王冠を被り、立派なヒゲを蓄えた王様らしき人が座っており、その前の広間には杖を持ち、黒いローブを着た四人の術士が取り囲んでいる。
五人はその術士たちの中心で、何が起こったのかと辺りをきょりきょろと見渡している。
「ちょちょちょ、ちょっとなに!? なにがおこったん!? どこ、ここ!?」
早希の大きなキンキン声が謁見の間に響き渡る。
「ちょっとダイ! どうなってんの!? ねえ!?」
早希が大の胸倉をつかみ、強く揺さぶる。
「……うるせえな。俺にもわかんねえよ」
だるそうに早希の手を振り払うと、大は玉座に座っている王を睨みつける。
その視線に応えるように、王のヒゲに覆われた口が静かに開く。
「ようこそ、異世界の戦士たちよ。突然の招待、さぞや驚いた事だろう。私はヨーコッソ・オイデクダサッターネ12世。この国、ウェルカームを治める者だ。ここは君たちの住む世界とは別の次元の世界だと思ってくれ」
「えっ……それって、異世界転移、ってこと?」
そう答えたのは桜だった。桜は異世界モノの小説をよく読んでおり、そういった展開に密かにあこがれを抱いているところがあった。
「知っているのならば話は早い。実は、お主たちを呼び出したのにはある目的が……」
「おいおい、勘弁してくれよ」
言いながら恵一が肩をすくめる。
「まさか、強力なスキルを与えるから俺達に魔王を倒せ、なんて言うんじゃないだろうな?」
実は恵一も桜から勧められ、転生モノの漫画や小説をいくつか呼んでいた。
故にすんなりとこの状況を受け入れることができたのである。
「その通りだ。しかし、スキルは与えるまでもなく、すでに使える状態となっているはずだ」
「……なんだって?」
訝し気な表情で恵一が手のひらを見つめ、一言つぶやく。
「ステータスオープン」
しばらく間を置くが、何も出てこない。
「……ステータスオープン? 何だねそれは」
「……なんでもない」
恥ずかしかったのか、恵一の顔は少し赤らんでいた。
「君たちが使える能力。それは……」
王が能力の説明をしようとしたその時、玉座の反対側の大きな扉が勢いよく開き、鎧を着た兵士が飛び込んできた。
「たっ、大変です! 魔王軍が攻めてきました!!」
「な、なんだと!? やつらめ、一体どこから……!」
「転移魔法陣を使ったようです! ここより北の方角より、数百……いや、数千の魔物たちが真っすぐにこの城に向かっております!」
「なんということだ……」
焦った様子でしばらく思案に暮れた王様だったが、兵士の入ってきた扉へと歩を進める。
「説明している暇はないようだ。皆さん、ただちに我々と共に三階のテラスまでご同行願いたい」
そう言うと、王は兵士と術士たちを連れて謁見の間を出て行ってしまった。
「……なんなんマジで。意味わかんないんだけど」
大の右腕に自分の腕を絡ませながら早希がつぶやく。
「……どうする? 行ってみるか?」
恵一がそう言うと、早希がすかさず反応をする。
「魔王軍とかやばくね? 何千とか言ってたしさぁ……逃げたほうが良くない?」
「逃げるっつってもなぁ……」
どこに? といった様子で恵一が周囲を見回す。
「さっき王様、スキルはもう使えるって言ってたわよね。あたしたち、きっと、すごい能力があるはずよ」
「スキルってなんなん?」
早希の問いかけに、桜は胸を張って答える。
「そうね、超能力みたいなものかしら。異世界転移した人は、大体スキルをもらって大活躍するもんなのよ」
「スキル、ねぇ……。そんな力、使えるような感じしないけどな」
恵一が自分の両手を眺めた後、ため息混じりに肩をすくめる。
「そういうもんなのよ、異世界って。ねえ、ちょっと行ってみない? 王様にスキルの事聞いてみたいし」
「……ここにいてもしょうがないしな」
率先して扉に向かう桜に続き、四人共渋々移動を始めた。
♢ ♢ ♢ ♢
五人を待っていた兵士の案内で、テラスへと向かう。
分厚い木製の扉を開けると、周囲は闇に包まれ、城下には広大な森林が広がっていた。
「皆さん、あれが見えるだろうか」
王が遠くの空を指さす。その先には何か小さく蠢くものが空一杯に広がっていた。
よく見ると、地上の木々の隙間もぎっしりと魔物達の影で埋め尽くされている。
「あ、あ、あれが、魔軍……!?」
テラスの手すりに手を置いていた早希が恐怖に引きつった表情で後ずさる。
「やばいって、絶対。絶対やばいよ、あれ」
「壮観だな……」
洋平がはるか遠くに見える魔物の群れを見てつぶやく。
「前線の兵たちはすでに撤退させた。やつらは間もなくここまでやってくるだろう。異世界の戦士たちよ、どうか力を貸してくれまいか」
五人が顔を見合わせる。その中から一歩踏み出したのは桜だった。
「あの……あたしたちが使えるスキルってなんなんですか?」
「うむ。時間がないので簡単に説明すると、愛の力を魔法として出力するスキル……『ラブラブハリケーン』だ」
「ラッ……?」
王の口から飛び出した珍妙なワードに、桜が思わず眉をひそめる。
「ラブラブハリケーン。愛し合う男女が力を合わせる事で発動する、異世界の戦士のみが使える強力な魔法である」
何を言ってるんだこのおじさん、と言った雰囲気で再び五人が顔を見合わせる。
「この度諸君らを召喚したのは、すさまじい愛の力を感知したからなのだ。君たちの中に、愛し合う者がいるはずなのだが……?」
王が探るような視線を五人に向ける。
「あ、それならウチらじゃね?」
早希が右手を上げ、大の体に身を寄せる。
「あたしたち、まだ付き合ってそんな経ってないけど? ラブラブ度なら誰にも負けない、みたいな? ね? ダイ」
早希の問いかけに、大は答えない。
「そうか、君たちか。ならば早速頼みたい。今から私の言う通りにしてくれ」
「うぃーす」
「まず、二人で向かい合い、魔軍の方向へ手をかざす。次に、余った方の手を合わせ、指と指をしっかりと絡み合わせてくれ」
「はいはーい。ね、ダイ。やってみよ?」
「……チッ。だりーな」
ノリノリの早希に手を引かれ、大が渋々言われたとおりの体勢を取る。
「にひひ、なにが起こるんだろね」
「そして、二人で声を合わせて『ラブラブハリケーン!』と叫んでくれ」
「嘘だろ……」
そんな恥ずかしいことできるか、と言わんばかりに大がそっぽをむく。
「やってみようよダイ。あたしらの愛の力、みんなに見せつけてやろ?」
「……」
やる気に満ちた早希のテンションに流され、渋々大も魔物たちへ顔を向ける。
「いい? いっせーの、ラブラブハリケーン! ね?」
「……くだらねえ」
続いて早希が魔物を見据えると、小声でつぶやく。
「いくよ。いっせーの……」
「ラブラブハリケーン!!」
「……ラブラブハリケーン」
早希の大声と大の無気力な声が辺りに響き渡る。ところが、何も起こらない。
「……あれれ? どゆこと? もしかして、大の声が小さかったとか?」
頭上に疑問符を浮かべた早希が王を見る。
「いや、呪文に関しては問題なかった。恐らく……愛の力が足りなかったのだろう」
「はぁ!? そんなわけないし! あたし、ダイの事チョー好きだし!」
愛を確かめるように、早希が大の体を抱きしめる。
「愛の力は掛け算のようなもの。例えお主の愛が100だとしても、パートナーの愛が1や2ではラブラブハリケーンは発動しないのだ」
「そんな……うそでしょ? それってダイがあたしを好きじゃないってこと? ……ね、ダイ。 うそだよね?」
「……チッ。だから嫌だったんだよ」
すがる早希の体を引きはがすと、大は城内へ戻る扉に寄りかかり、そのまま黙り込んでしまった。
「そんな……ダイ……うそだよ……そんなの」
絶望の表情を浮かべた早希が、力なく地面にへたり込む。
「しかし、確かに強い愛を持つ者を呼び寄せたはずなのだが……」
「それなら、こいつらだと思うぜ」
そう言うと、洋平が桜と恵一の背中に手をあて、王様の前へと押し出す。
「ちょっとヨウ、なに言ってんの!?」
「ああ。意味がわかんねえぜ」
やれやれ、といった様子で洋平がため息をつく。
「……ま、とりあえず試してみな。だまされたと思ってさ」
洋平に言われ、桜と恵一が顔を見合わせる。
二人とも、少し顔が紅潮しているように見えた。
「やってくれるか」
王に促され、頷き合うと桜と恵一は手をつなぎ、魔物達へと手をかざす。
「なんかドキドキしてきた」
「……俺も」
二人は合図することなく、力強く呪文を唱える。
「「ラブラブハリケーン!!」」
示し合わせたかのように綺麗にハモった二人の声が、遠くまで響き渡る。
しかし、何も起こらない。
「……あれ?」
「おいおい、なんも出ねえぞ」
「いや、成功だ」
王がそうつぶやくと、テラスの少し先の空中にぐるぐるとピンク色の渦が現れ、みるみる大きくなっていく。
「あ、あれってあたしたちが出したの?」
「うむ、そうだ。純粋で美しく……輝きに満ちた素晴らしい愛のエネルギーだ」
やがて城を飲み込むほどに巨大化したピンクの渦は、その口を魔物達の方向へと向け、ものすごい速さで飛び去って行った。
「すげえな」
「ああ……」
口を大きく開けた龍の如く、愛の渦が魔物達に襲い掛かり、蹂躙する。
魔物達はどこかへと吹き飛ばされ、地面に叩きつけられ、渦が消える頃には空と地上を覆っていた影も消失していた。
「……危機は去った。礼を言うぞ、異世界の戦士たちよ」
王様が冠を小脇に抱え、五人に頭を下げる。
「今宵は我が城でささやな宴を開く。君たちにも是非参加してもらいたい」
「いや、俺達もう帰りたいんだけど」
そう言ったのは洋平だった。
「む……そうか。残念だが仕方あるまい。では、再び謁見の間までご足労願えるだろうか。そこで返送の儀を執り行うとしよう」
こうして迫りくる脅威を払った一行は、謁見の間へと向かった。
戻る途中、誰も一言も発することはなかった。
「それでは、術士達の真ん中へ立ってくれ」
王に促され、四人が言われた通りに移動する中、洋平だけが玉座の前に立つ王に近寄り、周囲に聞こえない声で話しかける。
「なあ、王様。何か隠してることあるだろ?」
洋平がそう詰め寄ると、一瞬目を閉じた後、観念したように王が口を開く。
「気づいたか……。ならば説明せねばなるまい」
玉座に腰掛け、アゴ髭を撫でる。
「ラブラブハリケーンは愛のエネルギーを放出する魔法。すなわち、放出された愛は元に戻らず、空となってしまうのだ」
「……ってことは、あいつらはもう……」
「そうだな。すでに互いを想い合う気持ちは消えてしまったことだろう」
悪びれる様子もなく答える王を、洋平は睨みつける。
「あんた、最低だな」
洋平に言われると、王は自嘲じみた笑みを浮かべる。
「……そうだな。国を守るためとはいえ、好き合う若者の尊い愛情を犠牲にしてしまった。しかし、手段を選んでいる暇はなかったのだ」
「……わかった、もういい。さっさと俺たちを元の世界に返してくれ」
「うむ。……あの二人にはすまなかった、と伝えておいてくれ」
「自分で言えっつーの」
そう言い残し、洋平も四人の輪に加わった。
「これより、返送の儀を執り行う! 術士たちよ、詠唱を開始せよ!」
王の合図で、五人を四方から囲んだ術士たちが呪文を唱え始める。
「セマイ・サダク・シコオタ・マヒゼ……タシマイザ・ゴウトガ・リアキダ・タイン・テイラゴ・ハツ・ジンホ」
長い詠唱を終えると、床に白く発光する魔法陣が現れ、そのまま五人を強い光が飲み込んでいく。
再び目を開けると、そこは夕日が差し込む三年C組の教室だった。
「……帰ってこれた、みたいだな」
洋平がつぶやくと、目に涙を浮かべた早希が足早に教室を出て行く。
「……チッ。なんだったんだよ、一体」
続いて大も、かかとを踏み潰した上履きを引きずりながら出ていく。
「……」
二人に続いて無言で桜が自分のカバンを手に取ると、そのまま出て行こうとする。
「……おい、百円はもういいのか?」
恵一がそう言うと、感情のない表情を恵一に向け、桜が答える。
「あれ、ケイの気を引くための嘘だから。ごめんね。……なんかもう、どうでもよくなっちゃって。それじゃあ、先帰るね」
そのまま振り返ることなく、桜も教室を出て行ってしまった。
「……なんなんだ一体」
そんな二人の様子を見て、洋平がつぶやく。
「……俺にも、チャンスが回ってきたってことかな」
「ヨウ、なんか言ったか?」
「いや、別に」
言いながら、洋平は恵一の肩に手を回し、肩を組む。
「……いきなりなんだよ」
「ふっ、別にいいじゃないか。さ、俺達も帰ろうぜ」
「近いって。離れろよ」
「カタいこと言うなって」
そして、肩を組んだまま洋平と恵一も教室を出て行った。
この時の洋平は、とても幸せそうな顔をしていたという。
完
お読みいただきありがとうございました。