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月の巫女と旅人  作者: 星取 久遠
第1章 風の里イセルタ
3/3

3 首尾と九年前

「夜分にすみません」


 宿屋内部は簡素だった。清掃が行き届いているようだ。


「いいんですよ。最近、お客さんが減ってしまって……今は親子連れの二名様だけがご利用しています」

「……そうですか」


 ──結局、今日中にこの宿屋に辿()()()()()()()()()


 アルフにとって、一時は野宿すら考えていただけに、予想外の事だった。

 セネカには感謝しないとな、と心の内で呟く。

 その晩、アルフは宿の食事にもありつくことができた。

 宿屋は夫婦で切り盛りしているようで、おかみさんが食事を用意してくれたのだ。

 温め直したシチューとパンは、瞬く間にアルフの胃に収まった。

 風呂で長旅の汚れと疲れを落とし、二階の客室でベッドに横たわる。


 やがて、夜も更けていった頃、アルフはむくりと起き上がった。

 階下の夫婦が寝静まったのを確認し、それから『親子連れの客』が泊まっている部屋を訪ねた。

 軽くノックをし、「アルフレッドだ」と告げる。

 部屋の鍵が空き、音もなくアルフは中に入った。


 部屋にいたのは、大人の男と少女だった。

 男は四十代前半、上背があり、身体も引き締まっている。

 銀の髪、少したれた目元と無精髭から、精悍さと少し気の抜けた雰囲気を纏わせていた。


 少女の方は小柄で、ともすれば十代前半と思われるような出で立ちだった。

 小さく整った目鼻立ちが、年齢はもう少し上だと主張している。

 黒髪黒目で、セミロングの髪をポニーテールでまとめていた。


「アルフさま」

「アルフレッド、待っていたぞ」


 二人が口を揃えて言い、アルフが答える。


「真夜中だから、簡潔にいこう。首尾はどうだ?」


       ◆


 男が、リンディ、と言った。

 名を呼ばれた少女が首肯して話し出す。


「まず、私とマイルズ叔父様は万事滞りなく里に潜伏。親子っていう設定」

「姓はターナーにしてある。通行証は俺のツテで、偽造した」


 横からマイルズが補足する。


「ヘンな気分」

「オイ」

「ええと、次に、里の人間、怪しい者ナシ……訂正。里の者や旅の者に秘匿されている怪しい動きアリ。巫女様の周囲の神官、長老様以下、里の上位の者。状況から類推すると、およそ二週間後、《精霊祭》を開催するものと思われる」

「精霊祭は夏の間のある満月の夜に行われるはずだが、秘匿とは……何か重要なお告げでもあるのか?」

「調査中」


 また、マイルズが口を開く。


「あー……旅のモンにはヒミツっていうのも分かるんだが、里の殆どの人間にも知らせていないってのがどうもキナ臭い。その割には、上の人間以外に、一部の()()()()()()()()()()()()()が、何かに勘づいているような雰囲気がある」

「……そうか。兵は」

「西の詰め所に約十五、東に約三十」

「クライヴ・スタンダールは?」

「鉱山都市ダキラムに滞在中。十日後にイセルタに戻る予定」

「他は」

「……クライヴ様と巫女様……ミラ・フロワーズ様の接近が九年程前から……二人だけでよく会っているとのこと。その理由は一切不明。……アルフさまの読み通り」

「……やはりな、とうとうここまで来たぞ、親父ッ……!」


 アルフは口の端をつり上げて笑った。


「アルフさま……」


 報告を終えたリンディが心配そうにアルフの名を呼ぶが、アルフは気づかなかった。

 長かった。あの日から本当に長い月日が流れた。

 だが、寄る辺を無くしたあの日から、俺の心の苦しみが消えたことはない。

 何よりも……居場所を奪われた母さんとまだ幼いエレナの悲しみは想像を絶する。

 二人の想いに触れるたびに、胸が焼けるような思いに駆られてきた。 

 誓ったのだ。

 俺は俺自身に。あの男……クライヴ・スタンダール。

 必ずや、父に、あの日から今日までの行いを問い質し、報いを受けさせると。


         ◆


 ───十年前。


 タルケスト地方港湾都市タルクスの領主クライヴ・スタンダールの屋敷にて。


「ここにいるのでございましょう……?」


 若い使用人のメイナードは、わざと猟奇的な演技をしながら、屋敷の二階の物置部屋の扉を開けた。

 使っていない寝台、文机、食器棚がところ狭しと並んでいる。

 その間を一列ずつ確かめていくと、締め切っているはずのカーテンが少し揺れた。

 風が入ってきている。メイナードは窓近くのカーテンを勢いよく開きベランダを覗いた。

 誰もいない。


「かかったな、メイナード!」


 後ろに並んでいた食器棚の下の扉が開き、一人の男の子が駆け出した。

 彼は廊下に出るや、東階段を目指した。

 その途中の廊下に並ぶ一室を走りざまに一回だけノックする。

 その合図で、部屋から一人の女の子が飛び出すと、男の子に目配せして、西の階段に向けて走り出した。

 二人による両側の階段からの挟撃。

 どちらかは大広間に辿り着くはずだ。

 こっちは一階の使用人用の食堂を通れば大広間は目と鼻の先。

 階段を降り、その食堂に入った途端テーブルの下からもう一人の使用人が現われた。


「アルフレッド様、残念でしたね」


 大柄な使用人は迅速にアルフの逃げ場を塞ぎ、その体にタッチした。


「クソッ、ランドルはこっちにいたか」

「二人同時の突撃は良い作戦でした」

「そうだ、西側からマリーが大広間に着いている頃のハズだ」

「ほう、では確かめてみましょう」


 ランドルに連れられてアルフは大広間に出る。

 大広間は、数十人の大人達が食事や音楽を楽しむためのスペースだ。

 今はがらんとしているが、タルクスの名士や、貴族を招待しての酒宴が何度も催されている。

 整然と並んだテーブルと椅子、豪華な装飾が施された証明。

 壁の中央には月の女神オーフェリアの彫像。

 彫像の足元には膝を抱えて座っている男の子がいた。


「アルフも捕まったか。この女神像に誰かがタッチさえすれば、俺たちの勝ちなのに」


 アルフレッド達が使用人二人と遊んでいるのは、広く世界に知られている『鬼ごっこ』を改良したものだ。

 ルールは、鬼側は逃げる側を全員タッチして捕まれば勝ち、逃げる側はそれまでに誰か一人でも一階の女神像にタッチできれば勝ちという、簡単なものである。


「レナードが真っ先に捕まったのが痛かったなー」

「アルフ達を逃がすためにはやむを得なかったさ」


 しばらくすると、アルフ達が来たのと反対側の扉から、見るからに気落ちした女の子とその両肩に手を置いて捕まえたアピールをしているメイナードが入ってきた。


「アルフ様、ごめーん……」

「あちゃあ、マリーも捕まったか」

「足の速さじゃメイナードには敵わないよ」

「来賓室に逃げ込んだ時点で勝負ありましたね、マリー」


 メイナードが捕まえた子ども達を数える。


「レナード、アルフレッド様、マリー……あとはリンディだけですか」

「あの子なら……普段ボーッとしてるけど、こういうとき、何とかしてくれそうな気がする」


 マリーがぎゅっと手を組んだその時、大広間のテーブルの影から黒い何かが飛び出した。

 メイナードは捕らえた子ども達に注意を払っていたためにその影を視認できなかった。


「おい!リンディがいるぞ!」


 ランドルの声に反応したメイナードの振り向きざまに合わせ、一瞬で彼を抜いた黒い何か──少女は女神像に向け突進する。

 だがランドルがその前に立ちふさがった。


「リンディ、お前で最後だ!」


 リンディとランドルの距離が詰まる中、


「上に飛べ、リンディ!」


 アルフが叫ぶ。

 ランドルは目の前の少女の身のこなしを思い出す。

 彼女が長身の自分を飛び越える姿を想像し、やや仰け反った。

 瞬間、リンディは身をかがめ、スライディングの形でランドルの股の下をくぐり抜けていた。

 そのまま女神像の前まで進むと、像の頭部を軽くタッチした。


「よし。せいこう」


 少女が言った瞬間、


「うおおおおおおおお!」

「しゃああああああ!」

「やったあああ!」


 アルフ、レナード、マリーの歓声が屋敷に響き渡った。

 小柄な黒髪の少女は三人にもみくちゃにされながらも、すまし顔をキープしている。


「いつの間にこの大広間に侵入したんだよコンチクショウ!」

「アルフさまのうしろをつけた。しんにゅうはマリーたちがはんたいからきたタイミング」

「最後の二人抜きもすごいよ!アルフ様との連携、どうやったの?」

「アルフさまのしじは、フェイクにつかえるとおもった」

「いや、そこは指示通りにいけよ」

「テキをだしぬくにはミカタからって、じーちゃんがいってた」

「……ひょっとして俺をつけてたのも」

「うまくアルフさまをだしぬけた。ほめて」

「こんにゃろう!」


 盛り上がっている四人に、メイナードとランドルが、


「完敗ですね」

「まったく、将来が楽しみな子ども達だ」


 微苦笑を浮かべる使用人二人がいた。

 やがて、食堂側から、一人の女性が現われた。

 濃紺のドレスを身に纏い、銀の髪を三つ編みにしている。

 穏やかな笑みを浮かべながら、


「よく遊んでくれているようですね」

「「ハッ、アイリス様」」

「お母様、聞いて!俺たち、メイナードとランドルに勝ったんだよ!」

「アルフレッド、それにみんなも。クッキーが焼けたので、いらっしゃい」

「「「「やったー!」」」」


 子ども達がバタバタと移動する。

 使用人用食堂には、お菓子の数々に、ティーポットと人数分のカップが準備されていた。

 五歳になったばかりの妹のエレナが、ちょうど焼きたてのクッキーを使用人と共に運んでくるところだった。


「お兄様、エレナ、お母様と一緒に焼いたクッキー、召し上がれ」

「エレナ、よく頑張ったじゃないか!偉いぞ」


 アルフ達が席に着く。

 アイリスが呼びかけて、屋敷の使用人と料理人全員が食堂に集まり、ティータイムを満喫していた。

 アルフも早速クッキーをほおばる。

 エレナが兄が食べる姿を凝視し、


「お味はどう?」

「うん!おいしいよ、エレナ」

「……よかったあ」

「動いた後は甘い物だな!」

「ちょっとレナード、一人で食べ過ぎよ!」

「マリーはダイエット中だろ?俺がお前の分まで食べてやるよ」

「結構です!あと今はダイエットはお休み」


レナードとマリーが騒いでいる横で、リンディはりすのようにクッキーで口をいっぱいにしている。


「アイリスさま、おかわりはない?」

「フルーツも召し上がりなさい」

「はい」

「ねえ」


 エレナが小さい顔を母のアイリスに向ける。


「今日できたクッキー、外の兵隊さんにも食べさせてあげたい」


 アイリスが目をしばたいた後、


「エレナ、ああ、なんて優しい子。そうね、今は兵隊さん達はお仕事中だからね。お仕事が終わったら渡すようにお母様が給仕長にお願いするわね」

「兵隊さんも食べられるの?」

「ええ」

「ありがとう、お母様」


 エレナが顔をほころばせた。

 テーブルに着いたみんなが、穏やかな表情をしていた。


「お母様、俺はこの後、庭でレナードと剣の特訓をするよ。必ずお父様の力になれるような強い剣士になってみせる」

「まあ、それはお父様も喜ぶと思うわ」

「アルフさま、わたしもまぜて」


 レナードは兵士団の副団長の息子だ。

 奉公人のような形で屋敷に住み込みをしていた。

 アルフの兄のような存在で、勉学・剣術を教えてくれていた。


 マリーは使用人夫婦の娘だ。

 二人は屋敷の古株で、夫は執事、妻は料理人だった。

 アイリスのはからいで、娘と共に屋敷でくらしている。

 今ではアルフ・エレナの姉のような存在になっている。


 リンディはアルフの祖父クリストフの懐刀と言われたロバート・ライルの孫娘だ。

 戦争で父を、その後流行病で母を亡くした。

 クライヴが屋敷で引き取って以来、アルフやエレナにとって家族のように、一緒に暮らしてきた。


──その夜。


「お父様、今日はレナードと剣の素振りを千回しました!型稽古も何十回も繰り返したら、レナードが先に疲れてまいっちゃったんだ」


 父は、優しかった。


「ははは、アルフレッドは我慢強いな。その調子で、努力を積み重ね、人と競い合いなさい。そうすれば、おまえは、やがてたくさんの人を導ける存在になれるよ」

「はい、お父様!」


 父に褒められるたび、胸が震えるほど嬉しかった。


「そして、私がいない間、お母さんとエレナ……それから屋敷の皆を守れるくらい強くなるんだよ」


 そうして穏やかな時が流れていった。


          ◆


「レナード、今日は兵士詰め所に一緒に行って、剣をみてもらうんだよな」

「ああ。最近はアルフの腕前が伸びてきたな。いつ追いつかれるんじゃないか、ひやひやするぜ」


「マリー、夕食後はエレナの人形遊びの相手を一緒にしてくれよ、俺だけだと恥ずかしいんだ」

「アルフ様、恥ずかしがっちゃダメ。こういうのは成りきらないと!」


「リンディは……時々ボーッとしてるな」

「……」


「なあ、レナード、マリー。次はどんな遊びをランドルやメイナードと一緒にしてもらおうか」


 気づくと、レナードはいない。


「レナード?」


 気づくと、マリーもいない。


「マリー?」


 二人だけでなく、使用人も、料理人も、屋敷からいなくなっていた。

 アルフは屋敷の中を必死に探し回った。

 どの部屋ももぬけの殻で、家具や調度品が置いてあるのみである。


 あの幸せな日から一年後、父クライヴ・スタンダールの様子は一変した。

 父に何があったのかは分からない。

 特別自治区イセルタにかかりきりになり、タルクスには戻らなくなった。

 そして、屋敷の使用人を次々に辞めさせていった。

 それはアイリスや部下達の反対を押し切る形でクライヴが独断で決めたことだった。

 メイナード、ランドル、使用人達。レナード、マリー。

 みんなが屋敷を去って行った。

 アルフにとって、家族同然と思っていた人々が、家を追い出されるのを見るのは、身を切り裂かれるように辛かった。


 殆ど人がいなくなった暗い屋敷で、アイリスとアルフとエレナは父の帰りを待ち続けた。

 そして、冬のある寒い日に、クライヴは帰ってきた。


 妻と幼い子ども二人に離縁を告げるために──


「この国とイセルタを守るために、お前たちは邪魔なのだ」


 ──今も、十年前のあの言葉が、アルフの脳裏に響いている。


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