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月の巫女と旅人  作者: 星取 久遠
第1章 風の里イセルタ
2/2

2 セネカ

 少女は名をセネカといった。

 セネカは、おもむろに石を片手で拾い上げ、もう片方の手をあてがい、

「《精霊よ、影を払い、命を照らせ》」と言った。

 すると掌の石はゆっくりと光り始めた。


「精霊術。初めて見たよ。光だけを石に宿したのか」

 試しに石に触らせてもらうが、熱は全くない。不思議だ。


「……アルフレッドさんは、灯りはありますか?」

「あ、ああ。少し待ってくれ」


 アルフはロウソクを取り出すと、自身の体内に流れるマナを練り上げながら火のイメージを固めていった。

 起こすのは小さな火種だけで良いのだが、だからこそ加減が難しい。

 アルフは火の出力の加減をコントロールするのが苦手だったので、慎重に手順を踏んでいった。

 マナを集中させた右手をロウソクに掲げ、


「……《灯火よ(イグニス)》」


 と唱えると、手の先から細い火が走り、ロウソクに明かりを灯した。セネカは一連の動作を静かに見ていた。


「あ、火だ」


 何やら反応が薄い。


「どう?君も魔術は初めてなんじゃないか?」

「エエ、マアソウデスケド」

「何で棒読み?」


 するとセネカは光る石をもう一個、握っていた片方の手から出した。


「いつの間に!?」


「アルフレッドさんが遅いんですよ……ロウソクを取り出して『少し待ってくれ』って言ってから五十は数えたのにずっと目を瞑ったままだったんですよ!?こっちは魔術が失敗したのかと思ってもう一人分、光石を用意してスタンバイしてましたよ」


(……しまった)


 アルフには魔術の才能がない。

 壊滅的と言ってよい。

 だが、闘いにおいては、一つの小さな魔術の発動の成否で勝敗が逆転することもある。

 アルフは師匠に当たる人物の助言もあって、来たるその時に備えて毎日、魔術のトレーニングをしていた。

 小さな魔術ほど、丁寧に。確実に。

 今回も何度も繰り返した手順を、なぞればいいと集中したのだが……


(起こす火が小さすぎて『加減が難しい』と思ったあたりから火の調節のための深い瞑想に入ってしまった……!)


「……は、はは。やっちまった。ごめんなさい」


 顔からも火が出るくらい火照っているのが分かる。反省しきりでいると、ふ、と声がした。


「ふふっ。あはは。まあ、いいんです」


 セネカは心底愉快そうにお腹を押さえて笑いだした。

 そして持っている光る石の片方を無造作に地面に投げた。

 その石はやがて光を失っていった。


「何だか悩んでいたことを忘れてしまいました。アルフレッドさん、散々またしておいて『魔術は初めてなんじゃないかい?』って得意気に訊いてくるし」

「いたって真面目だったから、もう許してくれ……」

「真面目に考えると、この時間に一人で外に出かけて踊っていたのも、そのために《精霊術》を使っちゃったのも、良くないんですよね。偉い人にバレたら二人揃って説教コースかもなぁ?」

「何で嬉しそうなんだよ」


 ふふ、とセネカが笑みを向ける。最初の方の固さがとれた、屈託のない笑みだった。


「本当に秘密ですからね?」

「分かったよ……」


 アルフは頭を掻きながら答えた。


 ◆


「さて、いきますか」


 セネカはそう告げると、丘の下りを歩き始めた。

 数歩下がってアルフが続く。

 彼女は林立する白く細い幹の間を縫うように歩いた。

 後ろのアルフのペースに合わせ、たびたび後方を見やり、足下に注意するように伝える。

 ふと、セネカから声がした。


「アルフレッドさん」

「アルフでいいよ」

「それじゃあ、私のこともセネカで。……アルフはイセルタに興味があるの?」

「それはもう。世界でも五指に入る精霊の本流地(グランド・エレメンツ)であり、王国の庇護する特別自治区でもある。俺のように古代からの人と自然のあり方や神の存在、精霊について興味がある人間にはまたとない好機だ。今回の滞在許可は二週間だが、その、世話になるよ」


 セネカは頷くと、少し間を置いて、


「私も……興味がある。外の世界から見た、このイセルタについて。せっかくの機会だし、もう少し教えてもらってもいい?」


 セネカは自分の世界の外に興味があるようだ。


「真面目に話すと長くなるよ?」

「いいよ。真面目にお願いします」


 アルフは頷くと、話し出した。


「月の神と風の精霊神が司るという場所だからな。精霊は、常に世界を巡り、流れ、大地や自然、動植物から人にいたるまで、この世のあらゆるものに流れているエネルギーとされるだろう?魔術方面のマナとの対立はあるが……その摂理(システム)は世間に広く浸透している。その精霊の発祥の地であり、還る地でもあるのが、|精霊の本流地(グランド・エレメンツ)であるイセルタ。この地の安寧こそが大地の豊穣につながる、と言われるのが定説だ」


 黙って聞いていたセネカが、


「うん、里の教えと同じね。でも、定説っていうのが気になる」

「外の世界の人達にとっては、精霊が大いなる流れであり万物のもとっていうところまでが一般的な知識だ。でも、精霊の本流地(グランド・エレメンツ)とか、イセルタの重要性は、言い伝えレベルというか、信憑性もその土地や人それぞれってとこだな。なんとなく特別なありがたい場所って認識の人が多いんじゃないか」

「ええ、どうして?」


 セネカは少し不服そうだ。


「精霊信仰が宗教としてあまり根付いていない。月の女神と精霊神を祭る精霊教会は大陸各地にあるけどね。ローナキアではアメリウス教というメジャーな宗教がある。実際に精霊を理解する精霊術士が稀少なのもある」


 アルフはセネカの掌の上で輝く石を指し、「俺も今日初めて見たしね」


「なるほど……」

「でも、一番の理由は、最高権力者の不在だ」

「ああ、《巫女様》のことね……」

「そう。イセルタにいる《巫女様》が精霊信仰のトップの一人なんだよ。彼女は、基本的にイセルタを離れないからね。それは、イセルタが外の世界とは違う、特別な地だから。だから、考え方の違いもあるよ。精霊信仰を理解するだけというのと、摂理として納得しそれに準じて生きるのでは、全然違う」


 セネカはアルフの言葉を咀嚼するように頷きながら聞いていた。


「そこのところを正しく理解する各国のお偉方は、世界の平穏を守るために、世界の精霊の流れの要であるこの地を不可侵とする不文律を守り……民にとっては『遠くに思えども寄らずの地』だった。それは、外界の影響をあまり受けておらず、貴重な文化が残っているということ。まあ、だからこそ俺みたいな奴が興味を惹かれてくるんだけど」


 アルフは話の締めとして自嘲気味に笑った。


「はえー……」


 セネカは放心したように息を吐いた。

 しばらく呆けたようにしていたが、やがて大きな青い瞳を輝かせて言った。


「何だか想像してた外の世界が少し見えたみたい。アルフは本当にイセルタが好きなのね」

「……ああ」

「ありがと。里にいる間に、もっと気に入ってくれたら、私も嬉しい」


 チクン、と胸に刺すような痛みが走った。

 アルフの微細な変化に気づかず、セネカは何か思案しているようだった。

 話すかどうか迷っているらしい。

 やがて、「あのね」と口を開いた。


「イセルタは変わりつつあるの」


 歩く速度が落ちる。続けて、


「関所近くの領主の館は見た?」

「遠巻きにはね」

「あの屋敷の主人のスタンダール卿は知ってる?」

「……ああ」


 クライヴ・スタンダール。

 現在の特別自治区イセルタを含むタルケスト領主で、辺境伯の爵位をもつ。


「彼の父クリストフ様がこの地に来るまで、イセルタは先祖代々受け継いだ土地と独自の文明を厳しい戒律で守ってきた。外界に頼らず、一定の距離をとってね。それは、国や有力貴族から保護の名目で迫害や搾取されるこがしばしばあった、長い歴史の中での教訓だった」


 セネカの言わんとしたことを思い、アルフは苦汁を飲んだ気持ちになった。

 歴史に埋もれた強者から少数側への一方的な蹂躙。虐殺。強奪。

 それらはイセルタでもあったことだ。


「あまりに非道な行いもあったと聞く」

「あ、アルフを責めているわけじゃないよ。悲しい過去はある。だけど強い国と少数民族の間には軋轢が生まれやすいのも事実だから」


 アルフは内心目を見張った。セネカの話しぶりがあまりに第三者のように冷静だったからだ。

 アルフの視線にセネカは少しはにかむ。


「今のは、受け売り。森を抜けるね」


 夜の森を出ると見晴らしの良い草原が広がっていた。

 三日月が東の空に淡く浮かんでいる。

 遠くに灯りが集まっている場所を、宿屋はあそこよ、とセネカが指さす。


「今があるのは、先代様と当代様のおかげね。始まりは、先代様の時の、ストルハンによるイセルタ侵攻だった」


 半世紀前からローナキアを始め大国同士の緊張感が高まり、各地で武力衝突が断続的に起き始めた。

 ローナキアは西の大国ストルハンと衝突。

 不可侵の不文律も破られ、イセルタを含むタルケスト地方も戦場となった。


「タルケスト領主のクリストフ・スタンダール様は千に及ぶ軍隊を率い、獅子奮迅の活躍でストルハン勢力を撃退したの。本物の英雄だね。そして、契機となった友好条約が結ばれた」


 イセルタの民は、先祖代々から受け継いできた土地と自分達を命がけで守ってくれたクリストフに大変な恩義を感じ、クリストフを通しての間接的なイセルタ統治をローナキアに認めた。

 その後も各地で続いた戦争。

 地理的にイセルタは西の砂漠を越えた先にストルハン、北のガンナフ山脈を越えた先にグラドニアがある。

 いつまた大国に脅かされるか分からない。

 戦争では魔術・精霊術が使われることも多く、精霊力の要衝であるイセルタは、そちらの方面でも狙われる可能性がある。

 友好条約は、軍事的にローナキアの弱点になりうるイセルタを大国から守る目的があった。


「きっかけはどうあれ、それまで閉じた環境だったイセルタは、外の文化に触れていった。本当に少しずつ、イセルタの民はローナキアの文化や考え方を受け入れていったの。その間ずっと、二代にわたりスタンダール卿が見守ってくださっていた」


 ローナキアはイセルタが自国の領土に準じる地域であることを知らしめるために、イセルタの防衛力の強化とともに、文明を推し進めることを奨励した。

 その政策を一手に任されたのがスタンダール卿だった。

 セネカ曰く、イセルタが条約締結後、約五十年で変化したものは多岐にわたる。

 産業、交易、建築、教育。

 スタンダール卿はその一つ一つに細心の注意を払いながら、施策を進めていった。

 「豊かさ」と「伝統」。

 卿は二つのバランスを取ることに心を砕いた。

 外界の者との摩擦や紛争が生じると卿はすぐに駆けつけてきてその解決に尽力したという……

 結果、イセルタの生活水準は飛躍的に上昇した。

 そしてイセルタとローナキア王国の結びつきは昔よりはるかに強くなった。


「とは言っても、イセルタの変化の最盛期は私の祖父母の世代から両親の世代にかけてなんだけどね。全部聞いた話よ。おばあちゃん達の話は『昔は大変でね』から始まって『全部スタンダール様のおかげじゃ』で終わるの。喋りすぎたかな」

「いいや。すごく助かる」


 やや興奮したセネカの口ぶりからは、それでもやはりスタンダール卿への感謝が滲んでいた。

 実際に二人が家の並ぶ地域に入ると、どの家屋も木造りで新しい。


「セネカにとっても、いいことずくめだったのかい?」

「ええ。だって、おばあちゃんの頃とは違って、行商人から本が手に入るし、音楽や絵の基本は学校で学べるし。中央大陸の新聞だって四週間遅れで届くんだから」


 胸をはって答えたセネカの「四週間」。思わず笑ってしまった。


「あ、今笑ったでしょう、どうせ田舎ですよーぅ」


 と拗ねた調子で言うが、セネカの声は明るい。

 悪い悪い、と返すと、冗談よ、と気にした様子もなく彼女は続ける。


「中にはもちろん、変化を好まない人達もいる。変化にも良いことばかりじゃないしね。守らなくちゃいけないしきたりもある……」


 心なしかセネカの声が沈んだように聞こえた。

 アルフが顔を見やると彼女は毅然と前を見て言った。


「でも私は今の、イセルタの里が好き」


 そこで宿屋の前に着いた。セネカが真鍮のドアノックを叩く。


「こんばんは。セネカです。お客さんを連れてきたよ」


 やや間があって、中年の恰幅のいい男性が出てきた。


「おや、セネカじゃないか……それと、こちらは?」

「エックベルから参りました、アルフといいます。今晩泊めていただけないでしょうか」


 宿屋の主人の顔がぱっと明るくなった

「それは遠路はるばるよくお越しくださいました!粗末な宿ですが、どうぞ」


 アルフは家に入ろうとして、慌ててセネカの方に振り返る。


「案内してくれて本当にありがとう。イセルタのことも教えてくれて」

「どういたしまして。里のこと、ゆっくり見ていってね。……それと」


 セネカはアルフに身を寄せ顔を近づけた、彼女の綺麗な顔が間近に迫り、アルフの心臓が一瞬跳ねる。セネカは声のトーンを抑えて、


「初めの方でアルフが泊まるのを断った人達のこと、悪く思わないであげてね。昔はどの家も外からお客が来るとこぞって歓迎したんだけど、今は家の生業が専業化しつつあって、みんなここの宿屋に気兼ねしたのよ」


 アルフは驚くと共に、先の里の人たちとの受け答えと、宿の主人の喜びようを思い出し、合点した。しかし、会ってからというものの、この少女の物言いに感じるものは何だろう……


「みんな根は親切だから、頼ってね。おやすみなさい」


 セネカは踵を返すと、夜の集落を駆けていった。風が一陣吹いて彼女の髪を揺らしたかと思うと、もう次にはその姿は闇に溶けて見えなくなっていた。



2025年6月23日一部文章を修正。

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