1 赤髪の少年
緑が茂る丘の森をゆるやかに登る道を、一人の旅人が歩いていた。
彼の名はアルフレッド、縮めてアルフといった。
赤い髪に意志の強そうな茶の瞳をもつ若者であった。
ときどき風が吹き、新緑の葉のざわめきがあたりを包む。
木々の幹から覗く西日がまぶしく、アルフは目を細めた。
日が傾いてきたな、と胸中つぶやく。
アルフはキイチゴの茂みやコケの筵に足を取られないよう注意しながら、歩を速めた。
ここはローナキア王国の辺境にある特別自治区イセルタ。
首都ローナキアの北のタルケスト地方に位置し、肥沃な丘陵と谷の連なりから成る。
北西に広がる峻険なガンナフ山脈から注ぐコモ川がいくつもの支流に分かれ大地を潤し、良質な麦がとれる。
この土地に古くから独自の戒律をもって住んできた者達を人々は「イセルタの民」と呼んだ。
アルフは、先ほど一ヶ月近くの長旅を経て目的地であるイセルタについたばかりだった。
今晩の宿を求めて里の入り口付近の四、五軒の民家を尋ねた。
あわよくば泊めてもらおうと聞き込みをしたが、どの家人にも丁重に、あるいは気まずそうに断られた。
代わりに今歩く丘を越えた先には家が集まった盆地があり、そこに宿屋を営んでいる家があることを教えてもらったのでる。
慣れない山森の道に時間を取られ、夕暮れとなった。
知らない土地では、日没後下手に移動できない。
せっかく里に着いたというのに、今晩も野宿しなければならないのか、とアルフは大きく溜息を吐いた。
体は長旅でくたくただったが、仕方が無いか。
幸い、このイセルタの地は大気中の《精霊》の濃度のおかげで魔物も殆ど出ない。
季節は初夏、この丘のふもとの湖の側なら問題ないだろう。
来た道を戻ろうと決意を固める前に、景色が開けた。
丘の頂上に出たらしい。
頂上には大きな木はなく、円形状の広場のようになっている。
その真ん中に夕日に照らされた一人の少女がいた。
里の者らしく、この里に特有の刺繍がある衣装をしていた。
彼女は、西の空を見ながら真剣な表情で手を胸に組んでいた。
年齢はアルフと同じの十七くらいといったところか。
亜麻色の長い髪に血色のよい白い肌、大きな青い瞳が印象的だった。
声をかけるのを躊躇っていると、彼女は空から視線を切り、足で地面に弧を描きながら、くるくると回り出した。
どうやら踊っているようだ。
気がつくと、アルフは近くの茂みに身を隠していた。
彼は自分の行動に戸惑いを覚えつつも、少女から目が離せないでいた。
彼女が回るたびに亜麻色の髪が彼女自身を中心に渦を形作った。
足でステップをとりながら一定の間隔で腕をめいっぱい広げ、気持ちよさそうに体を風に預ける。
体を反らせ空を見上げたかと思うと、次の瞬間思いきり跳躍する。
動きが緩やかになると彼女の白い肌が夜の花のように艶めき、また激しくなると猫のようにしなった。
彼女の踊りには、吸い寄せられる何かがあった。
見かけの年齢に比べても余りにも無防備な笑顔。
踊りに陶然としたかと思うと、ほんの一瞬する寂しい目。
それらはアルフに束の間、時や疲労を忘れさせた。
気づくと薄暮の空に星が輝き始めていた。
アルフは当初の目的を思い出し我に返ると、盗み見ている自分を恥じて姿を晒した。
少女はすぐにアルフに気づき、「誰!?」と身構えた。
「旅の者だ。風の里イセルタに用あって来た。君は……その、踊りが綺麗で見入ってしまった。すまない」
上気した少女の顔にありありと警戒の色が浮かんだ。
二、三歩後ずさりをしつつ、険しい目をこちらに向ける。
重い沈黙が下りた。
「敵対の意志はない。今晩の宿を探していただけなんだ」
アルフは背中に固定していた剣を鞘ごと外し、彼の後方の茂みに荷物と一緒に投げた。
害意があると思われてはたまらない。
それから、イセルタの里に着いてからのいきさつを話した。
少女は考える素振りをし、
「……東の関所の通行許可証はありますか」
と固い声で告げた。
「それか通り手形。何かあなたを証し立てるものです」
「あ、ああ。ちょっと待って……これだろう」
アルフは茂みの荷物の中を漁ると手帳型のものを取り出した。
渡そうとするが近づく分、少女が後ずさる。
仕方がなく「投げるよ」と前置きして放った。
少女がそれを手に取り、中身を確認する。
第二都市発効の通り手形で、彼がこれまで訪れた主要な都市・町の滞在歴と犯罪歴の有無が記録されている。
東の関所の認可証もあった。もっとも、王国の行政が行き届いている範囲の記録である。
「アルフレッド・フォスター……。」
「俺の名だ。まだ学生だが民俗学の研究生をしている。所属はローナキア王国第二都市エックベル王立学校。主な活動は各地域に根ざしている人々の暮らしや文化、歴史、土着の信仰等の調査・研究。今回イセルタに訪れたのも研究の一環だが、小さい頃からの夢でもあるんだ」
しばらくすると、少女はアルフに歩み寄り手帳を返した。
「とりあえず、大丈夫です。それで、宿屋を探してここまで来た、と」
「里に着いたのが遅くてね。丘を歩いていたら君がいた」
少女は思い出したのか頬を赤らめた。
「その、声をかけてくれれば」
見惚れていた、とは言えなかった。
さっきは何やら口走ってしまったが、出会い頭にあまり言い寄るような真似はしたくない。
それからアルフは頭を下げた。
「盗み見してすまなかった。そんな俺が頼むのも虫のいい話だとわかっている。それでも、頼む、いいや……お願いします。どうか宿まで案内してもらえないでしょうか」
アルフの下げた頭を少女は思案する顔になって見ていた。
アルフにとっては長い間だった。
少女は何やら呟き、それから、顔をあげてください、と告げた。
「わかりました。けれど、一つだけ……私が踊っていたこと、里の皆には秘密にしていてください」
『月の巫女と旅人』の作者・星取久遠と申します。
このたびは、拙作を読んでいただき、大変ありがとうございます。
小説家になろうを使うのは初めてで、当然初投稿となります。
まだまだ物語も文章も未熟ですが、ひとときでも読んでくださった皆様の楽しみになれたら、光栄です。
少しずつ頑張っていきますので、応援よろしくおねがいします!