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地獄、改革、私利私欲

作者: 針山さん



「引退する」

 

 

 威厳の篭った、けれど力のない一言だったので、獄卒は最初、空耳かと思った。それ程までに、かの者から放たれたとは思えぬほど、空虚な言葉であったのだ。

 

 

 かの者はもう一度繰り返した。

 

 

「儂、引退する」

 

 

「いきなり何を仰るのですか」

 

 

「常々考えていたことだ。既に儂の時代は終わった」

 

 

 かの者が大きく溜息を吐く。獄卒は周りを見回した。珍しく、死者の魂の来訪が途切れていた。滅多にない束の間の休息の時だった。

 

 

「もうすぐ任期が終了する。私は他所に移ることなく去るつもりだ」

 

 

「なんですって?」

 

 

「儂とて辛いとも。まだやり残したこと、やりきりたいことはたくさんある」

 

 

 獄卒の言葉は、地獄の裁判官という仕事に任期があったことへの驚きだったが、かの者はそう捉えなかった。長く本心を直接覗き見ていると、言葉そのものが持つ感情や真意を測ることが出来なくなるらしい。

 

 

 かの者は獄卒に、一つの資料を渡す。開いてみると、ここ数ヶ月の間に裁いた亡者の一覧であった。


 

 「百三番目の亡者を見よ。此奴は己を偽り、友人を、親を長年に渡り騙し続けた。これはまごう事なき妄語であり、大叫喚地獄行きを明白とするものだ。我々にとってはそうだった」

 

 

「私はこの者の裁きには立ち会っていませんので存じ上げかねますが……違ったのですか?」

 

 

 かの者は力無く頷く。

 

 

「其奴は自らが男性でありながら、女性であると主張した。だがそれは、今の世では珍しいことではないらしい。なんでも人の性別は、男女の他、男性の心を持つ女性、女性の心を持つ男性、他にも組み合わせが多数あるのだとか。しかし我らは過去に幾度も、同じ主張をしたものを地獄送りにした。わかるか、獄卒よ。もう地獄が提示する罪は、罪ではないのだ。それでなくても、該当する者のいない地獄は増えている。鉢頭摩処など、最後に魂を堕としたのはいつのことやら……」

 

 

 女性と夢の中で関係を持った僧が堕ちる地獄。なるほど言われてみれば、あそこの様子を見に行かなくなって久しい。そもそも数えるほどしか行っていない気もするが。

 

 

「地獄は変わらねばならぬ。現世の在り方に合わせねばならぬ。いつまでも時代遅れの罪で裁いていては、やがて遠からず、我らの手に余る輩が現れかねん。いや、既に出つつあるのだ。だから儂は引退する。儂の価値観のままではいかん。一新せねばならん。そして現世に合わせた、新たな地獄を作ってもらわねばならぬ。他ならぬ、次代たるお前達にだ。任せたぞ」

 

 

   ×××



「偉そうに上から目線で講釈を垂れていたが、なんのことはない。結局の所、やりづらくなったから辞める、というだけの話ではないか」

 

 

 後日。かの者のいなくなった裁判所に集まった獄卒達は、そのように愚痴をこぼした。苦笑いするだけで誰も止めない。珍しくも無いのだ。上司の悪口を言う部下などは。

 

 

「とはいえ、かの者に代わる裁判官が必要なのは事実だし、過去の判例を当てはめるのに限度があるのもまた事実。いい機会だ。ここは一つ古臭いやり方を捨てて、かの者の望み通り、新たな地獄を、新たな大王の元で作り上げようではないか」

 

 

 そうだそうだ。そうしよう。獄卒達が意を決してからは、話は早かった。

 

 

 古臭い慣習など馬鹿馬鹿しい。そもそも裁判所を十カ所も経由する必要などない。浄瑠璃の鏡さえあれば、魂の罪の有無などは分かるではないか。その言葉をきっかけに、地獄のシステムの抜本的な見直しが図られた。

 

 

 無駄をなくし、経費をなくし、人件費を浮かせ、浮いた分を地獄の予算として組み込む。かの者が長年一人で運営してきただけあり、声に出さなかっただけで、それはどうかと思う者達は大勢いた。幸先はいい。

 

 

 だがやはり、それら以上に真っ先に決めるべきものがあった。かの者に代わる、新たな大王……すなわち地獄の次期代表である。

 

 

「かの者は、新しい価値観を作らねばならぬと仰られた。であればただ年功序列で選べばいい、というものではあるまい」

 

 

「そもそもかの者が大王足り得たのは、あれが最初の死者であったからだ。そこの基準を考えるなら、死者共を無視するわけにはいくまい。同じ人であった者ですら理解できなかった現代の価値観。そもそも現世と縁遠い我ら獄卒のみが把握できる道理もなし。大王に据えるなら、死者の中からも選ぶべきだ。我々獄卒だけではなく」

 

 

 というわけで、鬼達は地獄と天国の死者全員に通達をした。「大王になりたい者よ集え」と。

 

 

 数刻後、天国から数名、地獄からはほぼ全員が立候補した。地獄からの立候補者は、大王になれば、日々の責め苦から逃れることができるに違いないと打算を働かせてのことで、「人に正しき裁きを」と意気込む者は、天国からの一握りに限られた。とはいえ、それも一つの価値観、軽視は出来ぬ。

 

 

 次に求められたのは、如何にしてこれらの候補から選出するか、であった。

 

 

「ここは成績の優秀な者を採用すべきだ。生前優秀な結果を残した者を候補として……」

 

 

「いや、それは良くない。それでは学校にも行けず若くして亡くなった子供の亡者に機会が与えられない。やるなら各世代ごとに分けた上で、更に身体能力に秀でた者、思考能力に秀でた者の二種を選別してだな……」

 

 

「まてまて、そんなことをしたら女性にとって不利だ。身体能力など、そもそも男性の方が女性より秀でているのだ。女性が躍進できる入り口をみすみす減らすことになるぞ」

 

 

「全員に平等に機会を設けるのなら、まず全世代、全性別に手を伸ばさねばならない。だから思考能力に秀でた者と、身体能力に秀でた者を、各世代の各性別から二名ずつ選出して……」

 

 

「そもそも全世代、とはどこからどこまでのことだ。現世で言うところの団塊の世代など、令和世代とは比べ物にならぬ数だぞ。候補の選択肢自体が少なくなってしまうのは、これも一つの差別なのではないか」

 

 

「第一能力の面で言い出したら、我々獄卒に死者が敵う道理がないではないか」

 

 

 とまぁ万事この調子で、何一つ纏まらない。

 

 

 せっかく集めたのだから、と死者一同にも意見を募ったが、結果は変わらず。誰もが自分にとって有利なルールを欲しがるのだ。

 

 

 獄卒と亡者の、議論という名の大声の出し合いが一区切りついた頃、数少ない、天国から降りてきた亡者が手を挙げた。

 

 

「皆して自分が勝ち上がることばかりを考えては埒があかない。大王が一人でないといけない道理も無し。ここは一つどうだろう、候補者持ち回りで大王を務めてみるというのは。無論、人数が人数だ。各性別、各獄卒らで班分けをして、数人で同時に審判を下すのだ……」

 

 

 かくして、数人からなる議論制の大王が誕生した。死者の罪がどの地獄に落とすのが相応しいか、新たな価値観でもって話し合う。価値観の一新、暴走の歯止め、それらを同時にこなせる、素晴らしい思いつきだった。その筈だった。そして、裁判が再開される。

 

 

 

 一人目。

 

 七十歳、男性。病死。

 

 幼少期から少年期にかけて、断続的に万引きの前歴あり。いずれも両親と共に各店舗へ謝罪と弁償をしており、現世における前科は無し。

 

 

「たとえ現世で裁かれずとも、ここは地獄。言うまでもなく盗みは大罪であり、故に黒縄地獄行きを提言しよう」

 

 

「いや待て、この者の盗みは店側に対して謝罪と弁償も行っているし、当の店側が許している。それを我々が改めて裁くのは、なんだか蒸し返しているようで……」

 

 

「何を言う、それこそが地獄の本来の役割だろう。第一この男は成人後、さして大きな善行を成しているわけでもない。天国に行けるような魂ではあるまい」

 

 

「ちょっと、これは地獄行きに該当するかどうかの裁判でしょう? 天国に行く資格があるかとはまた別の話です」

 

 

「そもそもこの浄瑠璃の鏡というものはいまいち気に食わん。人間ならば秘匿したい過去の一つや二つあるもの。それをこうも大勢の前で詳にするなど、人権侵害というものではなかろうか」

 

 

 ……………………

 

 ……………

 

 ……


 結論、保留。尚、精神的苦痛、及び人権の侵害にあたるとして、以後、浄瑠璃の鏡の使用を禁ずる。

 

 

 

 二人目。

 

 二十八歳、女性。事故死。

 

 学校や職場、両親などに対して、自分は病である、と幾度も偽りを述べる。無自覚。

 

 

「詐称は立派な悪である。周囲を惑わすなど言語道断、此奴には大叫喚地獄行きを……」

 

 

「いえ、お待ちなさい。聞けばこの者、嘘をついている自覚がないと言うではありませんか。これは悪意によるものではなく、ただ単に勘違いをしてしまっただけなのでは」

 

 

「うむ、それに聞いたことがある。世の中には、そういった実益にもならぬ嘘をついてしまう体質の者もいると。虚偽性障害だったか……この女がそうでないとは言い切れない。まずはそこの審議をせねば」

 

 

「第一嘘に関わる地獄は多岐に渡るが、病を偽る者を落とす地獄は存在しない。これは、この女に罪は無しと見るのが最適では」

 

 

「いやいや、その嘘によって、この女の役割だった仕事を押し付けられた者もいる。被害者がいる以上はお咎めなしとはいかんだろう」

 

 

「では吼吼処にでも……あぁいえ、いけませんね。アレは信頼してくれる友人を騙した者が堕ちる地獄。この女を信頼している友人は一人もいません」

 

 ………………

 

 …………

 

 ……


 結論、保留。尚、大叫喚地獄の内訳が細かすぎるとの指摘が入り、区分を撤廃、以後大叫喚地獄は嘘の種類を区別せず、内訳で行っていた全ての責め苦を嘘吐きに与える地獄とするという提案が出され、現在審議中。

 

 

 

 三人目。

 

 十五歳、女性。自殺。

 

 いじめに耐えかねて、自宅で首を吊る。なお、いじめのきっかけは、同者が小学校から卒業にかけて、幼馴染へ行っていたいじめが発覚したため。

 

 

「親より先に死んだ子供は賽の河原で石積みを行うのが慣例となっていますね」

 

 

「私はその制度に反対だ。親より先に死ぬなど、どうしようもないことだし、それをもって罪とするのは、いくらなんでも横暴というものだ」

 

 

「けれど彼女の場合、いじめの主犯、というのがありますからね。親より先に死んだことを抜きにしても地獄行きは免れないでしょう」

 

 

「いや待て、いじめを行ったものを罰する地獄は無い。そこを論点とするのは無理がないか」

 

 

「無いなら作ればいいのです。人を追い詰めておいてお咎めなしなどと、それこそ横暴というものでしょう」

 

 ………………

 

 …………

 

 ……


 結論、ふさわしい地獄が新たに作られるまで保留。

 

 

 四人目。

 

 八十八歳、男性。事故死。

 

 遺産を全て、とある貧困支援団体に寄付するよう遺書を残す。結果、遺産を貰えなかった息子が借金を返せず自棄になり、周辺にいた市民数名を殺害した末に自殺している。

 

 

「……これは、何か罪に問われるのか?」

 

 

「何を言いますか。この者は血の通った息子の貧困を救わなかったのです。結果、無辜の民の命が多く失われた。これは立派な罪に他なりません」

 

 

「そうとも。財産を山ほど持っていながらそれを全て自分の思うままに使い込むなど、許されざることだ」

 

 

「いや、使い込むと言っても弱者の寄付であるし……」



「これはとても許されません。即刻これを落とすにふさわしい地獄を作り上げなくては」

 

 

「異議なし」

 

 

「……」

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 結論、保留。大王一名から、私怨を絡めるべきでない、と意見が出るが、他二名は私怨ではないとした上で反対。反対多数で却下。

 

 

 五人目。

 

 五十五歳、男性。殺害。

 

 自宅にいたところを父親によって殺される。

 

 前科無し。職歴無し。最終学歴、中学校中退。以降、昼間の外出も無し。

 

「あー」

 

 

「んー」

 

 

「むー……」

 

 

「……怠け者を堕とす地獄ってあったかな……」

 

 

「ない、ですね……」

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……


 結論、保留。満場一致。四人目と同じ大王達が担当。

 

 

 かくして、議論制を取り入れてから数日が経った頃。保留となった亡者の魂が詰まった裁判所の片隅で、二匹の獄卒はため息をつく。

 

 

「全く、揃いも揃って保留、保留、保留……これでは円滑とは程遠い」

 

 

「浄瑠璃の鏡があるからこそ、裁判は一度で十分、という話だったのに、肝心の鏡の使用を禁じてしまった。そりゃあ時間もかかろうというものだ」

 

 

「いや、そこは重要ではあるまい。連中め、それらしい理屈を並べてはいるが、結局自分が気に食わぬ者をどうにか地獄に落とそうと躍起になっている。価値観の相違を考慮するというのは、結局の所、互いの我儘を押し通すということではないか。これならば、自分勝手な輩一人の方がまだ円滑だった」

 

 

「あぁ、その通りだな。かの者の方が、今よりずっとまともな裁判をしてくれたろうよ」

 

 

「なんだかんだ、あの方は仕事に対しては真面目だったのだなぁ」

 

 

 騒ぐ声がして、獄卒の片割れが門を見る。行列に嫌気がさした魂達が騒ぎ出したのではない。それらを裁く大王達が、またあーだこーだと言い合いを始めたのだ。どうせ結論は決まりきっているのに。


 

  ×××



 星空を地上にばら撒いたような煌びやかな世界。その一角から、地に響くような笑い声が、稲妻の如く轟いた。

 

 

「そこで儂は言ってやったわけだ。「お前のような悪人は、等活地獄の刀輪処送りだ! 溶けた鉄の雨に打たれて、今一度性根をたたき直せ!」とな!」


 

 ゲラゲラと笑う大柄な老人のそばで、艶やかな和服姿の女達も笑いながら手を叩く。その笑顔は、騒音に引き攣っていた。

 

 

「ねぇお客さん、その若い娘にパワハラをした上司が落ちた……とうりんしょ? というのは、どういう地獄なのかしら」

 

 

「うむ、刀輪処は、人を刀を使って殺めた者が落ちる地獄だ。目上のものが下に向ける厳しい言葉は刃も同然。それで幾度も刺されたとあれば、娘の心は死んだようなもの。であれば、刀輪処行きは当然の措置と言えよう。無論お前達をいじめるような悪漢にも、同様の処罰をくれてやるとも。はは、いい気分だ。どれ、一つ舞でも見せてくれないか」

 

 

「はい、ただいま……」

 

 

 気を良くしてさらに笑う老人の前に、女が数人並ぶ。そんな彼を冷ややかに見つめながら、隅に待機する和服の女は、そばに座っている同僚へ愚痴をこぼした。

 

 

「あぁ、嫌だねぇ。毎晩あたしらを呼び出しては、ああやって地獄の話ばかり。自分が閻魔様みたいな口ぶりで、おまけに図体もでかけりゃ声まででかいときた。耳も気も滅入るってもんだよ」

 

 

「毎晩?」

 

 

「そうとも。どこにそんな金があるんだか知らないが、こうやって適当な店を貸し切っては、芸者を何人も呼びつけるんだ」

 

 

「へぇ、成金みたいなことするんですね。社長さんですか?」

 

 

「言っただろう? 閻魔様だってさ。全く、あんなのが本当に閻魔様だったら世も末だよ。あんな自分勝手な理屈で地獄の行き先を決められたらたまらない。覚えときな、ああいうのをワンマン社長、っていうのさ。仕事は引退したって話だが、あれの部下はさぞせいせいしてることだろうね。うちだって金払いが良くなけりゃ断っている」

 

 

 女達の視線にも気付かず、老人はガハハと手を叩いて笑う。目の前の女性達が、扇子を片手に舞を懸命に踊るのを、愉快そうに眺めている。

 

 

「いやいや、素晴らしい、素晴らしいぞ。最近の女ときたらヒラヒラとした洋装ばかり。貞淑のての字もありはしない。そんな女の心の内など覗き見て何が楽しいものか。やはり女性は、たおやかに和服を着こなすに限る……」

 

 

 かの者は目を細める。ここに鏡が有れば、これらの秘するあれやこれやを全て詳にしてやれるのに、と、少しだけ残念に思いながら。

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― 新着の感想 ―
着眼点、アイディア、文体、面白かったです。 磨きをかけましたね。 結局なにがよいもわるいも定まりきらないところがまた面白い。 これからも頑張ってくださいね。
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