その6
王妃は強い絶望感に襲われながらもフル回転で考えた。
____毒を飲み込んでから何分経った!?
一分? 二分? いや三分は経っただろう!
あと七分で私は死ぬ、私の作った毒は完璧だ!
こんな所で死ぬのか? こんな老婆の格好で?
白雪姫を殺しにきて、こんな馬鹿な出来事に振り回されて無駄死にするのか!?
嫌だ嫌だ嫌だ、まだ死にたくない!
どうしよう! いや、落ち着け!
後七分ある、そうだ吐こう!
毒林檎を吐き出すんだ!
王妃は四つん這いになると口に手を突っ込んだ。
奥へ奥へと手指が入れば激しい吐き気がこみ上げる。
だがしかし、こんなに苦しく辛いのに、吐き出されるのは黄色く濁った胃液だけ。
王妃はダクダク涙を流し何度も指を突っ込んだ。
「だ、大丈夫?」
いつの間にか白雪姫が王妃の背中をさすっていた。
「気持ち悪いの? もしかして吐きたいのに吐けないの?」
王妃は涙と鼻水と涎でグチャグチャになりながら、姫の問いに何度も何度も頷いた。
____もう声を出す力も無い。
白雪姫は背中をさすり続けてくれるが、それで吐けるとは思えない。
毒が回りだすまでに、あと何分残っているだろう。
解毒剤は城の地下室、ここには無い。
もうだめだ、きっと吐けない、私は死ぬんだ……!
どうにもならない、手詰まりだ。
王妃は死を覚悟して目を閉じた。
…………と、その刹那。
「ふんぬっ!!」
白雪姫の気合いの声がした。
素手で林檎を割った時とまったく同じ野太い声だ。
その声に、え!? と思った次の瞬間、王妃の身体は宙を浮いていた。
____な、何事!?
王妃はキョロキョロと顔を動かし状況を探ろうとした。
すると王妃の胸の下、ちょうど胃のあたりに白雪姫の両腕が回り、ガッシリと固定されているのが見える。
どうやら後ろから抱えあげられているようだ。
何をするのか不振に思って眉を寄せると、耳元で白雪姫が大声を張り上げた。
「お婆さん、苦しいのね? 吐きたいのね? 分かった、私がなんとかしてあげる! 少し痛いかもしれないけど我慢してね! じゃあ、いくよっ!」
王妃は意味が分からなかった。
____一体何をする気なの? 私にはもう時間がないの、
疑問と不安と諦めと、三つが混ざり陰鬱な気持ちになるはずだった、が、それどころではなくなった。
何故なら、
「グハァァッ! ウゲェェェッ! ゴホッ! ガハッ!」
白雪姫は回した腕を強く締め上げ「ふんぬっ! ふんぬっ!」の掛け声に合わせ王妃の腹を休む事無く圧迫したからだ。
圧迫するたび宙に浮いた王妃の足が前後する。
老婆に扮した顔が苦痛に大きく歪む。
だが先程とは比べ物にならない激しい吐き気が込み上げてきた。
苦しいけれど気持ちが少し持ち上がる。
もしかしたら間に合うかもしれないと、希望の光が見えたその時。
王妃は淑女らしからぬ「ウゲェェェェェェ!!」と獣の断末魔のような叫びと共に胃の中の物をすべて吐き出した。
白雪姫は大量の吐瀉物に躊躇も無く、そのまま王妃を肩に担ぐと全速力で走りだす。
着いた先は湖で、そこの草場に気を失った王妃を寝かせ、その胸に自身の耳を押し当てた。
白雪姫は神経を耳に全振り。
トクントクンと王妃の胸から聞こえてくる力強い鼓動のリズムに息を吐く。
そして、ポケットから布を取り出し水で濡らすと、吐瀉物で汚れた顔を丁寧に拭いた。
拭っては布を洗い、洗っては顔を拭う。
そんな作業を繰り返すうちにすっかりと汚れが取れて綺麗になった。
……が、何かがおかしい。
そう、綺麗すぎるのだ。
白雪姫はもう一度丹念に顔全体を拭い、吐瀉物と共に化粧まで落ちてしまったその顔を見て息を呑んだ。
「え……!? どうして……? お婆さんじゃない……このお方は……お継母様だわ!」
……
…………
優しい風が王妃の頬をふわりと撫ぜた。
ひたいには硬く絞った布がのせられ、ひんやりとして心地が良い。
春の日差しが降り注ぐ中、王妃は意識を取り戻しゆっくりと目を開けた。
「私……生きてる?」
「あっ、お継母様! 気が付かれたのですね? お加減はいかがですか?」
目を覚ました王妃の顔を嬉しそうに覗き込む白雪姫。
王妃は軽く頭を振ってお礼を言った。
「ああ、姫、あなたのおかげで助かりました。ありがとう、」
言った直後、かすかな疑問が湧き上がる。
「……って、ん? お継母様?」
白雪姫は確かに今、王妃を ”お婆さん” ではなく ”お継母様” と呼んだ。
それに気づくや否や、身体の痛みも忘れて飛び起き両手で顔を何度もさわった。
____し、しまった!
老婆の化粧が落ちている!
林檎売りの正体が王妃だとばれてしまった!
となれば、白雪姫を殺そうとした事もばれたかもしれない!
あーーーーっ!
焦った王妃が口をパクパクさせていると、白雪姫は静かに言った。
「お継母様……ありがとうございます」
「え……? な、何が?」
お礼の意味が分からなかった。
王妃は姫を殺しにきたけどしくじって、挙句、当の暗殺相手に助けてもらった。
この流れで感謝の意味が理解できない、それは当然の事だろう。
白雪姫は訝し気な王妃に向かってこう続けた。
「お継母様は……家出した私を心配してくださったのでしょう? それで、わざわざ林檎売りのお婆さんに変装して様子を見にきてくださったのですね。普段素っ気ない振りをなさっていても、こうして心配してくださる……私は……私はとっても幸せ者です」
二度ある事は三度あるとは言ったもので、白雪姫は三度目の勘違いをしたようだ。
だがそれに王妃はちゃっかり乗っかった。
「え!? えぇぇ!? えっと……ま、まあ、そうなのよ! わ、私はね、姫が森でどんな暮らしをしているか心配だったの! で、でも、あはは、あはははは、ばれちゃったみたいねぇ、」
泳ぐ目には白雪姫の泣き出しそうな笑顔が映る。
姫は頬を赤らめて、
「お継母様、大好きです!」
心の底から幸せそうに王妃に抱きついたのだ。




