夏の日の恋
私と同じ「思い出トリップ」をしたことで悩み、その相談をしてくれた、看護師青年の恋物語を聞き、私も恋の思い出に出掛けたくなった。
カードの3段目に「昭和57年夏の恋」と記入する。
まだ、梅雨の明けない土曜日の朝、今日着て行く洋服をベッドの上に並べて迷っている。先日、母の学生時代からの親友宅に出掛けたとき、たまたま、そこに来ていた青年とお付き合いすることになったのだ。
母の親友の引っ越し祝いに、私も子供の頃から知っている人なので、久し振りに会いたくて、母にくっついて来た。彼は母の親友の会社の後輩。あと、3人男性がいたが、一番若くて格好良い人が彼だった。私のことも気に入ってくれたのか、初対面ながら話が弾んだので、母の親友に「また会ったら」と勧められた。
「初デートはやっぱりワンピースでしょう」と思い、真白のレース模様の半袖ワンピに決める。大学卒業後、大手のファッション商社に勤めて3年目。仕事柄、身につけるものには気を使う。就職と同時に背中まであった髪を切ってショートカットにして、今は少し伸ばしてストレートのセミロング。籐のショルダーバッグに白いサンダル。化粧は薄めに。色が白いのでピンク系の口紅を塗るだけで良いくらい。
兎に角、やるだけはやった感で、電車に乗り終点まで行き改札口を出た長いエスカレーター横にある、「紀伊国屋書店」の前が待ち合わせ場所。ここで待ち会わす人が多いのだ。大きく一息ついて、気合いを入れる。
キョロキョロしながら歩くと本屋さんの端の、人の邪魔にならない所にいる彼を見付ける。視力0.1の私に分かるようにか大きく右手を挙げている。私は微笑むと「今日は。お待たせしました」「時間にはまだ5分あります」と笑ってくれる。24才になっているが、私には好きな人との初めてのデートだ。学生時代に一人、就職してすぐに交際を申し込まれて、何回か会ったけれど二人とも好きなタイプではなく、会っていても全然楽しくないので私からお断りして別れた。
あのことがあるので、好きだと思わない人とはもう、二度と会わないと決めていた。女は好きになるより好かれた人と付き合ったり結婚するのが幸せとよく聞かされたが私はそうは思えない。確かにその方が楽だし簡単だし、わがままも通りそうだし、大事にもしてもらえるだろうが、ときめかない人と一緒にいても楽しいとは思わない。
電車に乗り海の見える公園まで行く。彼は車を持っているが、私が車酔いが激しいので、それを考慮して電車にしてくれている。そういうところにも好感を持っていた。
初夏の海は爽やかで良いお天気。公園内にあるレストランで食事する。二人ともハンバーグランチにして、レモンティーとアイスコーヒを食後にとオーダーする。
彼も私も嬉しそうにしていて、良い雰囲気だ。
帰りの電車を待つホーム。ベンチに腰掛ける私の前にしゃがみこんで、私を見上げながら、話す彼がたまらなく愛しいと思った。
そのあと、ショッピング街であれこれ見て回る。「今日の記念に何かお揃いの物を買いましょうか?」と言う彼に賛成してディズニーのキャラクターのマグカップを二つ買う。「贈り物なので」と言う彼に店員さんが、箱に入れ赤いリボンをつけてくれる。「僕はこのままで」と紙袋に入れて貰っている。
可愛い箱の中で、ミッキーちゃんが踊り、紙袋の中でダンボくんが眠っていた。
その後も野球観戦したり、映画を見たり、買い物に行ったり。遊園地に行ったとき、雨が降りだした。私が用意していたオレンジ色の折り畳み傘に二人で入った。彼が傘を持ち、私が濡れないようと差し掛けてくれる人。初めての相合傘だった。
思い出トリップは尽きない感じだ。忘れていたことも正確に映し出される。
8月も終わりの頃。私と彼は高層ビル屋上にあるビアガーデンにいる。アルコールはほぼ駄目だが、彼となら少し位飲んでみたくて、生ビールの小ジョッキを注文。彼も余り飲めないとかで同じもの。涼しい風が吹き通り、フライドポテトがすぐなくなる。お摘まみをあれこれ頼んで楽しい時間は瞬く間に過ぎる。
ビアガーデンを出て、御堂筋の横断歩道を渡ろうとした時、少し酔っていたのか、足元が覚束ない。咄嗟に私の左腕を掴んだ彼の「支えようか」の言葉に甘える。長い横断歩道を歩き掛けると、組んでいた私の腕がほどけて、手を繋ぐが、直ぐに指と指を組む形の、今で言う恋人繋ぎになっている。私には初めてのことで、どきどき、ワクワク。その瞬間「この人と結婚する」と直感した。
公園のベンチで酔いを醒ましてから、御堂筋を歩く。今度は車道側を歩く彼の右手が私の脇腹にある。どこをどう歩いているのか分からないくらい舞い上がっている。
やっと空車が捕まり私から乗り込む。走り出すタクシーの中でも、私たちは手を繋いでいるし、肩と肩が触れ合っている。普通なら肩を動かす筈なのに、それも嬉しくてじっとしている。
好きな人と居ることのときめき感を痛い程味わいつつ私の自宅近くまで来てしまう。
直感なんて当てにならないと思うことになるとは、この時の私はまだ考えもしなかった。