青年の悩み
図書館の喫茶室のテーブルに向かい合って座り、私は看護師をしている青年の話を聞き続けた。
「彼女の最後には会えたんですか?」
「彼女のお母さんから電話があって駆け付けましたが、意識はありませんでした。もう、一月位前から意識が朦朧として、お母さんのことも分からなかったんです」
「そうでしたか」
「彼女の手を握って、声を掛けたけど反応はなくて。そのまま息を引き取りました」
「苦しまれなかったんですね」
「はい。それだけが救いです。すみません。こんな話で」
私は「よく話してくださいました」と彼に微笑み掛けた。「有り難うございます。僕は彼女を亡くしてから、生きる力が無くなってしまって。何とか仕事は続けていますが、それが彼女の希望だったので。でも、一人になると無性に彼女に会いたくて。そんな時、思い出トリップの事を知りました。元気だった彼女との楽しい時間に一時でも戻るのが生きる支えなんです。でも、もう5回使ったのであと残りは1回だけです。何とか回数を増やして貰えないかと今日相談に来ましたが断られました。どうしたら良いのか分からなくて。思い出トリップをされた方ならどう思われるかお聞きしたかったんです」青年は困り果てた様子だ。
私はこれまでの思い出トリップのことを話した。彼の思い出とはレベルが違う気がしたが、ちゃんと私も明かさないといけないと思ったのだ。
「そうですか。良いお話だと思います」少し気を取り直したのか落ち着いてそう言った。
私は「部外者の私が言って良いか分かりませんが」「何でも遠慮なく言ってください」との彼の言葉に後押しされて話し始める。
「彼女の姿はもう、見えないけれどあなたの心の中に今もこれからもずっと生きておられると思います。それはあなたが一番お分かりでしょう」青年は頷く。
「思い出の中に帰るより、今心に住む彼女を大事にされてはどうかしら。どんな時も彼女はあなたを見守っているだろうし、支えてくれるのではないかと思います。ましてや、こうして元気を無くしているあなたを見るのは一番悲しいのでは。彼女の知っている、大好きだったあなたに戻ってあげてください。そのためにはあなたは健康で長生きしなければいけない」
「どうしてですか?」
「あなたが生きている限り、彼女はあなたの心の中で生きられるから、生き続けられるからです」
しばらくの沈黙のあと「よく分かりました」と彼は言った。「偉そうな事を言ったことお詫びします。あなたより長く生きている者の考えです」
「有り難うございます。彼女の為にも僕の為にも気持ちを切り替えます」そう言うと頭を下げて、レシートを手に彼は席を立つ。「割り勘にしましょう」と言ったけれど「僕がお願いしたのですから」と言う。
図書館を出た所で私たちは別れた。
もう、会うことはないだろう。
彼に幸多かれと願いながら見送った。