青年の思い出
図書館の「思い出コーナー」で貰った「思い出カード」を2列使って私は、母の若き日の思い出と私の幼き日の思い出に会った。どちらも楽しく懐かしかった。笑ったりジーンと来たりして、古い名画を見た感慨に似ている。
気分を変えようと、再び母の遺品の新刊本を3冊持って図書館に向かった。寄贈したあとあの「思い出コーナー」を見ると、あの時の眼鏡を掛けた50才位の女性が座っている。「今日は」声を掛けると彼女は私を見ると笑顔になり「今日は。おかわりありませんでしたか?」と尋ねる。「はい。元気にしています」彼女は頷くと「思い出トリップはいかがですか?」「2回してみましたが、懐かしく楽しいものでした」「それは嬉しいです。ご案内させて頂いた甲斐がございました。どうぞこれからもご活用くださいね。くれぐれも6回までをお忘れなきよう」「はい。忘れないようにします」
また、念押しするくらいだから余程大事な禁止事項なんだなと思いながら、玄関まで行った時だ。
「すみません。ちょっと良いですか?」後ろから男性の声がする。振り向くと20代半とおぼしき青年が立っている。フード付きのパーカーにジーンズ、リュックを背負っている。容姿は十人並み。会ったことはない人だし、65才の女に若い男性が何の用なんだろう。「先、思い出コーナーに居られましたよね。僕もあなたの前にあそこにいました」「そうですか。それで私にどんなご用ですか?」「怪しい者ではありません」彼はそう言うとリュックを下ろし中の名刺入れから一枚取り出す。近くの総合病院で看護師をしていると言う。身分証明書も見せてくれる。「よく分かりました」私が言うとほっとした様子で「少しお伺いしたいことがあります。宜しいですか?」
立ち話もなんなので、図書館内にある喫茶室に入る。
「僕も今まで5回思い出トリップを経験しました。あと一回しか出来ない訳です。それがどうしても辛くてどうしたら良いかと悩んでいます」青年は悲しそうな眼をしている。「思い出コーナーのあの女性にご相談されましたか?」「はい。でも、何か要領を得ないんです。余計に迷う感じで」「でも、私でお役に立つでしょうか」「ただ、僕の話を聞いてくださるだけで良いんです。駄目ですか?」すがるような可愛い瞳でそう言われると放って置けない気がして私は承諾した。悪い人のようにも思えないし思い出トリップをした人と会えるか分からないし、若い彼の大事な思い出に興味が湧いたのも事実だった。
「僕の恋人が去年の今頃病気で亡くなりました……」
青年の話に依ると、恋人は突然不治の病に冒され、入院した。まだ治療法のない珍しい、しかも、急速に悪化する病だと言う。「僕は看護師ですから、病気の人たちを助けるのが仕事です。それなのに彼女を救えない。何とか治す方法はないかといろいろ調べたり医師に聞いたりしたけれど結局、何も出来ない。時間があれば、毎日、一分でも長く彼女の側に行き励ますしか出来なかった。彼女も僕に会うことだけを支えに頑張っていました。でも、駄目だったんです。まだ、25才なのに呆気なく逝ってしまった。僕を一人残して」青年は泣きたいのを堪えている。私は何を言えば良いのか言葉が見つからず黙って頷くしかない。
「入院して3か月程経つ頃から、僕は見舞いに行かなくなったんです」「どうして?」「どんどん弱って行く彼女を見るのが辛くて、看護師なのに何も出来ない自分の無力さが情けなくて。一番辛いのは彼女なのに。駄目な男なんです」青年は俯き自分の両手を見ている。
注文したホットコーヒーがもう、すっかり冷たくなっていた。