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時刻は夜中の2時を過ぎていた。広徳寺の管理事務所の玄関が臨時の取調室に様変わり。現行犯逮捕された丸出為夫は後ろ手に手錠をかけられ、玄関の靴脱ぎ場で床にあぐらをかきながら、ふてくされた表情。脱げたベレー帽を再びかぶり、パイプを口にくわえている。その両脇には海老名と三橋が。そして玄関の踊り場では、佐藤節夫がパジャマに厚手のガウンを着込み、両腕を組んで丸出を見下ろしている。その両脇に宮原健と大熊勇介が、佐藤を護衛するように仁王立ちしていた。
「どういうことだか説明してもらおうか、丸出のおっさん」海老名が冷たく言い放った。
「あの禁煙マークの付いた頭巾だけでは、決定的な証拠にならないそうですから」丸出がパイプを口にくわえたまま不機嫌に、だが堂々と胸を張りながら言う。「それなら今度こそ決定的な証拠を手に入れようと思ったんですよ」
「それで今度は住職の袈裟を盗んだってか?」
丸出が盗もうとしていたのは、大きな禁煙マークが至る所に縫い付けてある佐藤の袈裟。当然のことだが普段着としてはおろか、宗教儀式の時にも着用しない、禁煙の講習会の時にだけ着用する「衣装」である。
「盗んだなんて人聞きの悪い!」丸出が大声で言った。その拍子に、口にくわえていたパイプが床に落ちる。「私は証拠を手に入れたんですぞ!」
「あのなぁ、こんな禁煙マークを張り付けた変な衣装を、仮に合法的に手に入れたって、この住職が竹屋の親父を殺害したことにはならないって、何度言ったらわかるわけ?」
「私はあの爺さんを殺してはいませんよ」佐藤が憮然とした表情で言った。
「いいや、あの爺さんを殺したのは、あんただ! 私に恥をかかせやがって!」丸出が吠えた。「こうして私の目の前に出てきたからには、大人しく罪を認めるんですな!」
「ふん、泥棒なんかに言われたくはないですな。ましてや証拠とやらを手に入れるために泥棒するなんて、言語道断だ」
「ということはおっさん、あの頭巾も盗んだんだな?」海老名が聞いた。
「だから盗んだんじゃありません。証拠を手に入れただけですよ」と丸出。「相手は殺人鬼ですぞ。殺人鬼から物を盗んだって、盗みにはなりません!」
「だ、か、ら! あんたには法律の基礎すらわからんのか? 仮に相手に殺人罪の容疑がかかってても、その相手から窃盗をしていいなどと言う法律は、世界中のどこにもないんだよ、この大バカ野郎。一度その腐った脳味噌を頭から出して、天日に干しやがれ!」
「ところで佐藤さん、あなたが講演会で着用する頭巾も盗まれたんですよね?」三橋が質問した。「そのことをなぜ警察に届け出ないんです?」
「届け出るも何も、警察が信用できないからですよ」佐藤が不満を口にする。「警察と話し合うことはもう何もない、と連絡しましたよね? いい迷惑ですよ。誰が好き好んで、自分の寺の境内で人を殺すんですか? 名誉棄損もいいところです。もし私の身の潔白が証明された暁には、お宅の署長に土下座して謝ってもらうつもりですからね」
「わかりました。署長にそう伝えておきます。ところで佐藤さん、あともう一つだけ教えていただけませんか? この建物は普段から、ちゃんと戸締りはしてるんでしょうか?」
「もちろんですよ。いつも厳重に鍵を掛けてるはずです。なあ、大熊」
佐藤は隣にいる見習い僧侶に聞いた。
「その点に抜かりはありません」大熊勇介が淡々と説明する。「毎晩、蟻の這い出る隙もなく戸締りしてますよ。絶対に外部からは侵入できないはずです」
「おっさん、どこからこの建物に入った?」
海老名が丸出に聞いた。
「裏玄関からですよ」丸出が悪びれずに言う。「私はピッキングを知ってますから、あんなちゃちな鍵をこじ開けるのは実に簡単ですな」
「何? ピッキングを知ってるだ? あんた、プロの泥棒かよ」
「泥棒呼ばわりされるのは心外ですな。私は名探偵ですぞ。名探偵ならピッキングぐらいできたって、おかしくはないでしょ」
「おかしいわ! 充分におかしい! いずれにしても丸出、今度こそおまえもこれまでだ。二度と娑婆に出れないようにしてやるから、覚悟しろ! さあ、留置所が腹を空かせて、おまえを待ってるぞ。立て!」
「あ、あのう、エビちゃん、その前に私のパイプがこの汚い泥だらけの床に落ちてるんですが、拾ってくれませんかね?」
「やかましい! パイプの吸い口より自分の罪の重さをよく嚙み締めろ! おまえはもう終わりなんだ! 名探偵を気取るのも今夜で最後なんだぞ!」