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 その日の夕方の捜査会議。捜査は進展するどころか、後退する予感が会議室に漂っている。昼間の告知どおり、丸出為夫が会議に参加していたからだ。河北署長の隣で、相変わらずのトレンチコートにベレー帽姿。そしてパイプ煙草を口にくわえながら。

 まず広徳寺の僧侶たちであるが、警察に対してあらゆる協力の要請を拒否し始めた。いかにも我々を犯人と決めつけているようで、非常に不愉快だ、今後は寺の境内に一切足を踏み入れないでほしい、1歩でも踏み入ったら名誉棄損(きそん)で逆に警察を訴える、たとえ警察を敵に回そうとも、マスコミや世間一般が我々の味方だ……とか何とか。広徳寺に対する疑念はさらにもう1メートル深まった。後はいかにして決定的な証拠を探し出して目の前に突き出し、僧侶たちを逮捕するかという線で捜査方針はまとまりつつある。

 そこへ丸出が興奮しながら席を立ち、自称名探偵がまるでテレビドラマの名探偵をそのまま演じているかのように、大げさな身振りで自分の席の周りをうろうろしながら、偉そうに演説を始めた。誰もそのようなことは頼んでもいないのに。その姿は人間を真似る猿よりも滑稽で、たこがまな板の上で阿波あわ踊りをする姿にも似ている。

 「犯人は広徳寺の住職で間違いないですぞ。世にも憎むべきあの禁煙運動家が新潟へ行ったと見せかけて、夜中にこっそりと東京へ戻り、小竹清とかいうジジイを殺害したのは間違いないですな。あのむかつく住職は、誰よりもあのジジイを嫌っていた。だからあのようなむごい殺し方をしたのです。その証拠を私は朝方、あの寺の境内で発見してきましたぞ。これです!」

 そう言いながら丸出は自分のコートのポケットに手を突っ込むと、中からある布製のものを素手でつかみながら、テーブルに叩きつけた。

 それは禁煙マークを刺繍して貼り付けた僧侶の頭巾ずきん

 刑事たちが集まる大会議室が騒然となった。

 「こ、これは……住職の佐藤節夫が、禁煙の講演会などでよくかぶる頭巾じゃないですか」隣にいた河北署長が目を見張りながら驚いている。「ネットの画像で見たことがあります。丸出先生、どこにそんなものがあったんですか?」

 「寺の境内に落ちてました」丸出が突っ立ったまま、相変わらず名探偵気取りで得意になりながら言った。「これであの嫌な住職が犯人であることが、確実になりましたな」

 「丸出さん、境内のどこにそんなもんが落ちてたんですか?」鑑識係員の大原が、眼鏡の奥で血走った目をしながら質問する。「僕たちが調べた結果、事件直後に現場の本堂入口付近には、そんなもんはありませんでしたよ。境内と言っても、あの住職の住居ならどこに落ちててもおかしくありません。どこにあったんです?」

 「イチョウの木の下ですよ。葉っぱに埋もれてました」

 「あの木は現場から離れてるはずです。仮に本当にその木の下に落ちてたとしても、それだけであの住職が竹屋の主人を殺害したという証拠にはなりませんね」

 「そうだよ、おっさん」海老名が口を挟んだ。「だいたいさ、おっさん、そんなに重要なもんを素手でつかんで、ゴミと一緒にポケットに入れるな、って何度言ったらわかるんだ? 軍手はめろよ。ニワトリじゃあるまいし、いい加減に学習しないか」

 「エビちゃんも眼鏡クン(大原のこと)も、私が重要な証拠をつかんだことに嫉妬してるみたいですな」丸出が自身満々に言う。「いずれにしても、これで犯人は確定です。私に大恥をかかせた、あのクソ坊主を今すぐ逮捕しましょう」

 「確かに重要な証拠かもしれませんが……」署長が戸惑いながら言う。「これだけじゃまだ不十分ですよ。相手は中央省庁やマスコミとも太いつながりのある人物ですからね。こちらが下手に動くと、返り血を浴びる可能性もあります。もう少し様子を見ましょう。逃亡の恐れはないと思います。それよりも事件当日、佐藤節夫が東京に戻って小竹清を殺害したのなら、街中で他に目撃者がいるかもしれません。タクシーを使った可能性も高い。新潟県警と協力して、タクシー会社に対しても聞き込みを強化しましょう」


 「今回ばかりは、あのおっさんを見直しましたよ」大森が自分の席で悔しそうに言った。「あいつ、捜査の妨害ばかりしてきたくせに、今回の事件に関しては妙にやる気があるじゃないですか」

 「ふん、昨日の夜、俺と一緒にあの寺へ聞き込みに行った時、あのクソ坊主に出て行けなんて言われたのが、よっぽどしゃくさわったんだろうよ」海老名が冷笑しながら言う。

 「それより、あの頭巾、イチョウの葉っぱに埋もれてたんですって? よく見つけましたよね」

 「それはどうかな? 盗んできたんじゃねぇの? 俺がさっき見てきたところでは、イチョウの落ち葉が引っ掻き回されてた形跡はなかった。ふっかふかの黄色い絨毯の上に木が生えてるようだったよ。それにもし葉っぱに埋もれてたんなら、禁煙マークのおまけとして、葉っぱが1枚ぐらいくっ付いててもよかったじゃん。それにしては土埃つちぼこり1つ付いてない。だいたい禁煙マークの付いた頭巾なんて、あんな恥ずかしい恰好のまま新幹線やタクシーには乗らないだろ。講演会の時だけだよ。あいつ、普段はありきたりの洋服姿だぜ」

 「でもどちらにしても犯人は、あのお坊さんたちで決定ね」と新田が言った。「問題は具体的な証拠だけど、もう話し合いにも応じないんなら、段々捜査が難しくなってくるわね。どうやって証拠を挙げていけばいいんだろう」

 「何だか俺、あの住職が犯人じゃないように思えてきたよ」

 「エビちゃん、それはまたどういうこと?」

 「丸出の言ってることと違うことが正しい。ただそれだけ。今のところ、それ以外に根拠はないけどな。あの住職もむかつく奴だけど、丸出の方がもっとむかつく。あの丸出のバカが犯人だと力説してるんなら、残念だけどあの禁煙ファシストは犯人じゃないよ。仮にあの住職が本当に犯人だとしても、誰もがあの住職が一番怪しいと思ってるわけだからさ、正直言って何だかやる気がなくなってきた。せっかくあの禁煙ファシストを逮捕して、煙草を吸いづらい世の中にしたことに対する復讐をしたかったのに、残念だな」

 「エビ、おまえの言ってることは、ただの感情論でしかないぞ」藤沢係長が厳しい声で叱責した。「だいたいやる気がなくなってきたとは何だ? 仮にあの住職が犯人じゃないにしても、刑事ならもっと理論的に考えて証拠を挙げていかないと……」

 「わかってますよ。今、多方面から理論的に考え直してるところですから。俺は丸出のバカとは違うし。あいつはあの住職に恥をかかされたことを根に持って、徹底した感情論でしか思考してないし、あいつとは違うところを証明してやらないと」

 「多方面から理論的に考え直すって言っても、あのお坊さんたち以外に犯人が考えられるかな?」新田が首を傾げながらつぶやく。「仮に佐藤が犯人じゃなくても、大熊勇介が犯人かもしれないし。後はあの人たちが間違いなく犯人であることが立証できればな……」

 「ま、いずれにしても今夜は仕事にならないよ、俺は。新田さんに顔を引っ掻かれて古傷が痛むし……いくら何でもひどすぎるよ、新田さん。男は顔が命なんだから。フジさん、俺、もう帰ってもいいですかね? 酒が飲みたくなってきた」そう言いながら、海老名は帰り支度を始めた。


 丸出のせいでやる気をなくし、仕事にならないと言いながらも、自宅に戻って酒を飲んでいると、嫌でもまた事件のことを考えてしまうのが海老名の悪い癖だった。なぜなんだろう? 今ちょうど「特捜部Q」なんか読んでいるからかな?

 もし広徳寺の住職でなければ犯人は誰なのか? 少なくともあの禁煙運動家の住職が直接関わっていないとすれば、2人の住み込み僧侶のどちらか、あるいは両方の犯行なのか? だがあの2人、師匠である住職に比べれば、小竹清を殺害する動機が薄い。住職の佐藤節夫以外に小竹を憎んでいる者は、他にいないのか?

 気付いてみたら海老名は寒い夜の中、外へ飛び出して自転車をこいでいた。夜の10時。観音通り商店街はもう静かに眠っている。時々商店街を仕事帰りの歩行者が通り過ぎていく程度。ここへ来れば何かがわかるかもしれないと思ってきたものの、いざ静かな寺の境内に着いてみると、冷たい失望感だけが海老名の首筋をなでているだけだった。今回の事件で、ここにはもう何回も足を運んでいるのに。俺はここへ何をしに来たんだ? 

 「タバコを除いて健康長寿」

 本堂入口の脇に大きく掲げられている垂幕を見ながら煙草を吸い、吸い殻を境内の地面に落とす。帰ろう。

 その帰り道。寺から3百メートルほど自転車を走った所で、誰かがじっと突っ立っているのを目撃した。観音通り商店街からは少し離れている。この寒い中、細い道路の脇で向かい側にある5階建てのマンションを見上げている男。年の頃は30代前半で坊主頭。分厚いコートを着て、首にはマフラー。それ以外に特徴はない普通の人物。海老名はマンションの前を自転車で通り過ぎたまま止まることはなかったが、男の顔ははっきりと見た。その人物が誰だか気づいたのは、数十メートルほど走ってから。

 三橋? あいつ、三橋じゃないか? こんな所で何をしてるんだ? 

 海老名は引き返して三橋に話しかけようとしたが、すぐにその考えを捨てて、そのまま背を向けたまま自転車をこぎ続けた。人違いかもしれないし、何となく話しかけるのをためらわれたからだ。

 一瞬だけ見た三橋の表情は、何だかとても悲しそうだった。


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