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その翌朝の捜査会議で、まず海老名と同行した根岸が、前日の夜の聞き込み結果を報告した。
「そうですか。そんなに警察に対して非協力的な態度だったんですか」河北署長が感想を述べた。「噂には聞いてましたが、かなり威圧的な性格ですね。そこまで大きな態度に出られると、ますます犯人としての可能性も濃厚になってきます。この佐藤も充分怪しいですが、それよりも大熊勇介ですね。彼の周りで4人もの方が亡くなってるんですか。父親は病死、母親は自殺……この大熊の周辺についても、もっと入念に調べてみましょう」
「ただ大熊は自分の周りで次々と人が死んでいくことに対して、かなり戸惑った様子でした」根岸が言う。「演技ならかなり厄介ですが、恐らくその可能性は低いんじゃないかと思います」
「佐藤節夫か大熊勇介か……それにしても佐藤は小竹殺害の一報を聞いても、慌てて飛んで帰らずにゆっくりしてたんですか。これは何を意味するんでしょうかね? もし佐藤が犯人だとしたら、夜中に小竹を殺害しに一度東京へ戻った後、また新潟と東京を往復するための時間稼ぎでしょうか? 東京から新潟まで新幹線で2時間ほどですからね。新潟県警はどう言ってきてるんですか?」
「ホテルに問い合わせたところ、佐藤がその晩ホテルに宿泊したことは事実だそうです」本庁の別の刑事がそう言った。「翌朝9時過ぎにチェックアウトしたことも確認が取れてます。ただこのホテル、フロントと出入り口が離れてまして、しかも外出する時にも部屋の鍵をフロントに預けなくていいそうです。一度チェックインしてしまえばフロントを通ることなく、出入り口を24時間自由に出入りできるそうで、つまりチェックインしてから翌日にチェックアウトするまでの足取りまではつかめない、とのことです」
「目撃証言の方はどうなってます?」
「タバコ撲滅学会新潟支部の話では、佐藤は講演会のあと、地元の会員たちと飲食店で食事して、夜8時ごろにホテルへタクシーで戻ったそうです。佐藤の証言と一致しますね」
「なるほど、問題は夜8時から翌朝9時までの空白の時間ですか。その夜の最終の新幹線で東京に一度戻り、翌朝の始発の新幹線で新潟へまた戻る時間は、充分にあるでしょう。佐藤による犯行も大いに考えられます。仮に佐藤が直接殺害したわけではないにしても、あれだけ朝ゆっくりしてたのを考えると、事件そのものを予め知ってたとも思えますね。何しろ小竹を憎んでたわけですから。そこのところをもう少し詳しく調べてみましょうか」
次に小竹清の義理の親戚・辻浩太に対する聞き込み結果について。辻は犯行時刻と思われる時間まで、夜通し自宅で酒を飲んでいたとか。辻の友人も一緒だったので、アリバイが成立した。ただこの辻浩太という人物、聞き込みをしてきた本庁の刑事によると、見るからに頭が悪そうだったとか。目はうつろで、口は半開き。ヘラヘラと卑屈な愛想笑いだけが印象に残る、良く言えば誰もが呆れて怒る気もなくす、ただの憎めない阿呆。
「あの爺さんが死んだら、俺の金蔓どうなっちゃうんだろ? まだ借金完済できてないのに……確かにあの爺さんには怒られましたよ。もう二度と俺のところに来るなって。でもどうせまた泣き落とせば、金貸してくれることは間違いありませんからね。前にも同じこと言われたし……」
変なところだけを学習しているが、基本的には夢だけを食べて生きているような、頭の悪い阿呆だった。社会の常識すら夢に包んで、口の中に入れてしまうようなところがあるらしい。事業に失敗したばかりなのに、もう次の事業のことを考えていた。次は宇宙に関する事業を始めるとか。
「イーロン・マスクは宇宙事業を始めて、ぼろ儲けしてるんですよね? 前澤友作も宇宙へ行った。これからは宇宙ですよ! この地球なんて小さい小さい。俺も宇宙へ行く!」
刑事たちの前でこんなことを言ったという話。会議室は失笑に包まれた。
「そいつ、我々が想像してた以上のバカですね」大森があきれながらつぶやいた。
「ああ。頭が完全に宇宙へ行っちまってる」隣で海老名もあきれながら言った。「あいつの頭の中では、額に汗して働いてる土木作業員も風船と同じ重さとしか思えないんだろう。どうせ宇宙では何もかもが無重力で、重さもゼロなんだし。そいつの脳味噌の重さもゼロなんだろうな」
ちなみに例のカレー屋の件も事実だったようだ。
「もう信じらんないですよ」と大森。
「こんな奴は地球から追放だ。借金はチャラにしてやるから、とっとと宇宙へ行け。二度と戻って来るな」と海老名。
この時点で辻浩太は容疑者から外れた。
「ところでエビちゃん、昨日の晩、あのお寺のお坊さんたちに聞き込みに行ったでしょ? どんな印象だった?」捜査会議終了後、新田が向かい側の席から話しかける。
「予想以上のクソ野郎ども」と海老名が自分の席で毒づく。「始めっから喧嘩腰だったからね。ちょっとしたことですぐに腹を立てて、出て行け!だし。あんな終わり方をするんなら、いっそのこと奴らの前で堂々と煙草吸いながら聞き込めばよかったよ。あの腕に煙草の火でも押し付けてみたかったね」
「そういえば丸出のおじさんも一緒だったのよね? あいつ、おとなしくしてた?」
「おとなしかったよ、滅茶滅茶おとなしかった。何しろ途中で身体ごと消えちゃったもん。あいつ、いつもパイプくわえてるじゃん。それ見てあの禁煙ファシスト、丸出にここから出て行け!だからね。その後は存在しない丸出が、行儀よく静かに俺たちの聞き込みの様子を見てたよ。あのクソ住職、人間的にものすごく嫌な奴だけど、丸出をそばに寄せ付けないという点だけは、唯一ほめてあげたいぐらいだね。あの寺の観音像じゃなくて、住職こそ優れた厄除けの効果を持ってるってわけだ」
「でもあの寺のお坊さんたち、明らかに怪しいわよね。犯人はあの人たちで決まりじゃないの?」
「新田さん、まだ確実な証拠を挙げたわけじゃない。楽観視するのは早すぎるぞ」と藤沢係長が話に割り込んできた。「あの住職が言うには、自分の寺の境内であのような事件が起きて、それを迷惑だと言ってたんだよな? それならば自分の寺の境内で、あのような殺害の仕方をするだろうか? いかにも広徳寺へ恨みを抱いている者が、これ見よがしに殺害したとも思えるんだが……」
「意外と自分の寺の宣伝が目的で殺ったんじゃないんですか? 何考えてるんだかわからないですからね、あのクソ坊主」と海老名。
「目撃証言は今のところ全くなしだから、そこのところを掘り下げていったら状況は変わるかもな。それから例のニコチンパッチ。さっきの捜査会議によれば、あれは市販用だったんだよな? ということは医師の処方箋がなくても、誰にでも手に入れることができる。それなら必ずしも佐藤節夫の仕業とは限らない」
「いや、ニコチンパッチを一度に何枚も貼り付けたらどうなるかを知ってる人間は、数少ないでしょう。佐藤は医者だし、禁煙外来を受け持ってるんだから、当然そのことには詳しいはずだと思いますけどね」
「問題は、なぜああいう殺し方をしたかということだろ? 小竹に対して強い憎しみを持ってる人物は他にいるのかな?」
「やっぱりあの住職で間違いないんじゃないんですか」と新田。「あの住職から見て竹屋の主人は一番身近な喫煙者で、商店会の会長。排除すべきはまず、目の上のたん瘤ってやつですよ」
「新田さんの目の上のたん瘤って誰かな?」と海老名。「早く彼氏作れってうるさい母親かな? ま、新田さんももう売れ残っちゃったから、このまま賞味期限切れで廃棄処分しか道はないけどね。あーあ、可哀想に。男も知らない処女のままババアになって……」
新田の研ぎ澄まされた殺気が海老名に襲いかかってきた。