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昼過ぎ、池袋北署に捜査本部が設置され、大会議室で捜査会議が始まった。犯人は佐藤節夫か辻浩太のどちらかであろう、と言うのが現時点での結論。ただ事件当時、佐藤は東京にはいなかった。本当に新潟市内のホテルにいたのかどうか、現在新潟県警の協力で確認中である。
もし佐藤が直接手を下さなくても、佐藤の命令で広徳寺に住み込んでいる2人の僧侶のどちらか、あるいは両方が殺害を実行したのではないか?という説も浮上してきた。広徳寺に住み込んでいるこの2人の僧侶、いずれも煙よりきな臭かったからだ。
1人は宮原健(24歳)。観音通り商店街にある七味唐辛子専門店の息子で、小竹清の孫にあたる。5年ほど前、インターネットの某大型掲示板に、とある有名な芸能人に対する殺害予告を書き込んで逮捕された。不倫しているのが許せなかった、と言う理由で殺意を抱いたらしい。釈放後、広徳寺に僧侶として住み込んでいる。煙草が大嫌いだから、という理由で雇われたとか。
もう1人は大熊勇介(41歳)。やはり観音通り商店街にある饅頭屋の息子。小竹と血縁関係はないが、近所のよしみで小竹によくかわいがられていたとか。3年ほど前に広徳寺の僧侶になった。やはり煙草が嫌いだから、と言うのが雇われた理由。
特にこの大熊勇介という人物が、身体中から怪しさを一面に漂わせていた。3年前、北区の赤羽で若い女性が首を絞められて殺害された事件が発生したのだが、一時その容疑者として浮上したことがあるからだ。
「おい、シャーペン刑事」警視庁本庁の刑事の1人が大声で誰かにそう呼び掛けた。「とぼけるなよ、三橋、お前のことだ」
海老名の同僚の三橋天真が顔を上げた。本庁の刑事たちの間で静かな嘲笑が広がっている。三橋に声をかけた本庁の刑事は、
「お前、赤羽で起きたあの事件のことを覚えてるだろ? お前もあの事件の担当だったはずだ。大熊勇介。忘れたか?」
「大熊勇介。私も忘れたわけではありません」三橋は抑揚のない淡々とした声で言った。「未だに犯人が見つかってない、と聞いてますけど、同一犯による犯行の可能性がありますね」
この三橋は元々本庁、つまり警視庁捜査1課の刑事だった。だが2年前、ある容疑者に拷問まがいの暴力を振るって自白を強要させたのが発覚し、池袋北署に左遷。「~なんて虚しいもんですよ」それが三橋の口癖。坊主頭で僧侶のような冷静さ。ほとんど笑わない。
「お前がシャーペンなんか手にしてなきゃ、とっくに解決してたかもしれないのにさ。馬鹿な奴だな、お前は」本庁の刑事が嘲笑しながら言う。
「……すいません」三橋は相変わらず淡々とした口調で言った。
「なるほど。過去に起きた別の事件で、容疑者として浮上した人物ですか」捜査本部長でもある池袋北署の河北昇二署長が言った。「その大熊勇介が犯人である可能性も高いと思います。今でも所轄で捜査を続けてる担当の刑事からも話を聞きましょう」
「竹屋の親父か……俺も知ってるけど、あんな死に方をするなんてな」戸塚警部が昔を懐かしむように言った。「商売上手で義理人情にも篤かったけど、ちょっと短気で喧嘩っ早いところがあってな。そこが玉に瑕って感じの人だったよ。おそらく何かのトラブルに巻き込まれた、というより自分から巻き込んでいったせいで、ああなっちゃったんじゃないかな?」
捜査会議終了後、池袋北署の捜査1係の面々は、小会議室で会合を開いた。
「俺も戸塚さんと同じ考えですね」海老名は言った。「ちょっとお節介焼いたら、そのままズルズルとあの世に放り出されてしまったんじゃないか、って思うんですよ。典型的な江戸っ子なんだけど、無茶をしたんでしょうね。もう年なのに」
「そう言えばエビは、あの近所の交番にいたんだっけか?」藤沢周一係長が言う。「それなら竹屋の親父のことだけじゃなく、今の住職のことはよく知ってるわけか?」
「いや、今の住職のことはよく知りません。前の住職のことはよく知ってますけど。俺があの近所で交番勤務してた時には、今の住職は別の場所に住んでて会ったこともありませんよ。ま、噂では子供のころから性格がねじくれてて、嫌な奴だと言う話は聞きましたけど。噂どおり、今では禁煙ファシストとして名が知られてますからね。愛煙家の俺からすれば目の敵ですよ。犯行当時は新潟にいたらしいけど、密かに東京へ戻って竹屋の親父を殺したという線も充分に考えられます。あるいは奴の命令で住み込み坊主どもが殺害したとか。それでほぼ決まりじゃないんですか?」
「辻浩太のことはどうなの? その辻による犯行という線もあり得るじゃない」女性刑事の新田清美が言う。
「確かにね。まだ聞き込みの結果が出てないから、何とも言えないけど。それにしてもウンコ味のカレー屋か……この噂が本当なら、そいつ、相当なバカだぞ。頭の中に筋金が10本ぐらい入ってるバカじゃないのか? ま、他にも赤羽の事件で浮上したことのある大熊勇介も、確かに怪しいと見た。問題は仮に大熊が犯人だとしたら、単独で犯行に及んだか、それともあのクソ住職の指示によるものか、ということだな」
「ところで三橋君、君が本庁にいた時、その赤羽の事件を担当してたって話だけど、大熊以外に容疑者は浮上しなかったの?」背の低い大森大輔が言った。
「他にも何人かは浮上しました」三橋が無表情で言う。「ただどの人物も決定的な証拠を上げられませんでした。ましてや辻や広徳寺の他の僧侶たちに至っては、名前すら浮上しませんでしたね。大熊もあの当時は僧侶ではなく、確か運送の仕事をしていたと記憶してます。どんな理由で僧侶になったのかは知りません」
三橋の説明によると、3年前に赤羽で殺害された被害者の名前は、宗岡晴香(当時21歳)。大学生だった。当時交際していた大熊勇介などが容疑者として浮上したものの、決定的な証拠は未だにつかめていない。
「ふうん、もしその大熊が犯人だとして、彼氏に殺されても幸せだったんじゃない? その晴香ちゃん」新田が面白くなさそうな顔をして言う。「彼氏がいただけでも恵まれてたじゃん」
「新田さん、何だその言い方は」藤沢係長が叱責する。「まるで宗岡晴香が殺されて喜んでるみたいな言い方だぞ。少しは刑事としての自覚があるのか?」
「すいません。ただ昨日、母親に小言を言われまして……近所のおばさんから嫌味を言われたみたいなんですよ。清美ちゃん、40過ぎてもまだ彼氏できないの? 早くしないと売れ残っちゃうわよ、だって」
「もう売れ残っちゃってるじゃんか」と海老名。
「何ですって? エビちゃん、ほっといてくれる?」新田が急にむきになった。今日は異様なほど機嫌が悪い。「今度私を侮辱したら爪で引っ掻いてやるから、覚悟しといて!」