神様、悪戯が過ぎるようですが
設定は緩めです。軽い気持ちで読んでいただければ幸いです。
魔術師団の全体会議が終わった後、婚約者のジョナスがつかつかと私に近付いて来た。冷ややかな表情の彼の後ろには、彼の身体に半分ほど隠れるようにして、新人のエイダが顔を覗かせている。
「ディアナ、少し話せるか?」
「ええ、構わないわ」
私の目には、瞳に涙を浮かべたエイダがジョナスを見上げる姿が映った。エイダは魔力に優れ、かつ大きな碧眼にふわふわとした金髪の愛らしい外見をしていることから、魔術師団に今年加わった新人たちの中では特に男性陣に人気がある。
(……あまり、いい話ではなさそうね)
目の前の二人の様子に、私は内心で溜息を吐いた。
ジョナスは今年の新人の中でも、殊更にエイダを贔屓している。それは、彼女の人目を惹く外見に加えて、今年の新人たちが魔術師団に加わる際、魔術師団内に流れていたある噂の影響もあるのかもしれないと思う。
かつて国を救ったさる高名な魔法使いの子供が、ちょうど魔術師団に入団が認められる年齢を迎え、その出自を伏せて新人たちの中に混じっている可能性があるらしいと、そして、新人離れした魔力とコントロールを持つエイダこそがその大魔法使いの子供なのではないかと、密かにそう囁かれていたのだ。
会議に参加していた魔術師仲間たちがまだ近くに多数いる中で、ジョナスは私を睨み付けた。
「ディアナ、君はエイダを妬んで、彼女に嫌がらせをしていたそうだね?」
「私が、彼女に嫌がらせを? いえ、まったく身に覚えがないけれど」
ジョナスの言葉に私は眉を顰めたけれど、エイダはその瞳からぽろりと涙を零した。
「嘘を吐くなんて、酷いわ……! いつも、ディアナ様は私のことを目の敵にしていらっしゃるではないですか。ジョナス様に指導を受けていると私のことを睨みつけてくるし、この前だって、私の魔法の教科書を破り捨てたのはディアナ様ですよね?」
「いえ、私には何のことだかさっぱり……」
私の言葉を遮るようにわっと泣き出したエイダの声を耳にして、わらわらと魔術師団員たちが彼らの周囲に集まり始めた。
「どうしたんだ?」
「何だ、新人虐めか?」
好奇心を瞳に浮かべて輪になった団員たちの中で、私は居心地悪く肩を竦めていた。
(これじゃ、まるで見世物だわ……)
ジョナスは労わるような瞳をエイダに向けて、彼女の肩を優しく抱き寄せてから私に詰め寄った。
「新人に対してそんな虐めをして、しかもその罪を認めようとすらしないなんて、恥ずかしいとは思わないのか?」
「でも、私は本当に何も……」
「ディアナ。君との婚約は、今ここで破棄させてもらう」
ジョナスの言葉に私は目を瞠ったけれど、それは心のどこかで予想していた言葉でもあった。
このところ、ジョナスは指導の名目でエイダにつきっきりになっていた。彼の表情がエイダの前でだらしなく緩む様子を、私は幾度も目撃していたのだ。婚約の話がなくなるのも、恐らく時間の問題だろうとは薄々勘付いていた。
(ジョナスはあの子の言葉を信じて、私の言葉なんて聞いてはくれないのね)
ジョナスとのあっけない終わりに、思わず乾いた笑みを漏らした私の耳に、後ろから低い声が聞こえてきた。
「ジョナス先輩。ディアナ先輩は、決してそんなことをしてはいませんよ」
私がはっと声の聞こえた方を振り向くと、そこには、今年の新人の一人であるシリルの姿があった。
ぼそぼそと喋り、目を覆うほど長い前髪をしている彼は、新人の中でも魔法のセンスのない落ちこぼれという不名誉な評価を受けている。けれど、あれこれと手は焼けるものの、なかなかの努力家である彼のことを、私はそれなりに買っていた。
「急に横から何だ? お前に何か関係がある話だとでも言うのか?」
苛立った様子で顔を顰めたジョナスに向かって、シリルは続けた。
「ええ、僕はいつもディアナ先輩にお世話になっていますから、先輩がそんなことをする人じゃないってことはよくわかっています。……ディアナ先輩の言葉ではなくてエイダのそんな嘘を信じるなんて、先輩は何を見ていたんです? ジョナス先輩の目は節穴なんですね」
エイダは涙目で彼を睨みつけ、訴えるようにジョナスを見上げた。シリルの言葉に、ジョナスの頭にはかっと血が上ったようだった。
「生意気な奴め、エイダを嘘吐き呼ばわりするのか? ……売られた喧嘩なら買うが。お前、俺とやる気か?」
「ええ。では一戦お願いします」
「ち、ちょっと待って!」
慌てて私はシリルとジョナスの間に割って入った。シリルの耳元に小声で囁く。
「庇ってくれてありがとう、あなたのその言葉だけでもう十分よ。ジョナスは強いわ、あなたが怪我をしてからじゃ遅いから、もうやめて……!」
ジョナスは、魔術師団でも期待の若手の一人として知られている。さすがに私にも、シリルが彼に太刀打ちできるとは思えなかった。
私に必死に止められているシリルを見て、ジョナスがにっと口元に笑みを浮かべた。
「おい、落ちこぼれ。お前、俺と賭けをしないか」
「……何を賭けるんですか?」
「俺が勝ったら、ディアナに罪を認めて魔術師団を退団してもらう。落ちこぼれ、お前も一緒にな。指導係のディアナがいなくなったら、お前は単なる足手纏いだ」
私はジョナスの言葉にさあっと血の気が引くのを感じた。
「ジョナス、何てことを言うの……!」
私が熱心に魔術師団の仕事に取り組んでいることは、私と同期であり、かつ今さっきまで婚約者であったジョナスは誰よりも知っているはずだった。それほどに、私が目障りなのだろうか。
(しかも、シリルにまであんな暴言を吐くなんて。……私も、あんな人と婚約していたなんて、見る目がなかったわね)
ジョナスから何度も口説かれて婚約を承諾した過去の自分を苦々しく思いつつ、彼に対して僅かに残っていた情のようなものも、みるみるうちに胸の中で冷めていくのを感じていると、私の横でシリルがジョナスの言葉に頷いた。
「わかりました」
「えっ、ちょっと……!?」
動揺を隠せずにいる私をシリルは振り返った。
「任せてください」
いつものぼそぼそとした口調ではなく、はっきりとそう言い切った彼の言葉に、私は混乱していた。前髪の間から覗く彼の瞳には、今までに見たことのないほどの自信に満ちた光が浮かんでいた。
シリルは驚く私の耳元で小さく囁いた。
「先輩。ジョナス先輩に未練ってありますか?」
「いえ、まったく」
そう即答すると、嬉しそうに頷いたシリルは、ジョナスに向かって続けた。
「じゃあ、もし僕が勝ったら、非を認めてディアナ先輩にちゃんと謝ってください。それから……」
シリルはエイダをちらりと見ると、ジョナスに視線を戻してふっと笑った。
「そんなにエイダのことが気に入っているなら、いっそ彼女と結婚しては?」
「そんなこと、お前に言われなくてもわかっている! 俺はお前を捻り潰したら、エイダに婚約を申し込むつもりだからな」
「まあっ、ジョナス様……!」
頬を赤らめたジョナスの言葉に、エイダの頬もうっとりと染まっている。もう勝手にすればいいのにと思っていると、シリルが改めて口を開いた。
「じゃあ、賭けはこれで成立ですね。ジョナス先輩が勝ったらディアナ先輩と僕が退団。僕が勝ったらジョナス先輩の謝罪と、先輩とエイダとの結婚、と。……ところでジョナス先輩、エイダのどこがそんなに気に入ったんです?」
過去に、ジョナスからの度重なるアプローチに私が断り切れず折れたことは、魔術師団内でも周知の事実になっていた。若い新人に乗り換えたことに対する周囲の視線を気にしてか、ジョナスの顔が若干引き攣った。
「……俺は、彼女の優れた魔法の才能に惚れ込んだんだ。それに、誰よりも俺を慕ってくれるところも」
ジョナスは間違いなくエイダの外見と若さにも惹かれているはずだと思ったけれど、今ここでそれを口に出すのは、さすがに彼にも憚られたようだった。
エイダはジョナスに向かってにっこりと笑い掛けた。
「もちろん、シリルが勝たなくてもこの婚約お受けいたしますわ、ジョナス様。……シリルになんて、さっさと勝負を付けてくださいね」
意地の悪い笑みを浮かべて、エイダがシリルと私を見つめた。きっとこれが彼女の地の性格なのだろう。
「……何だか、面白いことになってるな」
魔術師団の面々が、興味深そうに私たちの周りを取り囲んでいた。
名誉の回復を賭けた決闘と呼ばれる制度は、今でも国の慣習として残っている。そこで賭けられた内容は、決闘の勝敗に合わせて必ず守られなければならなかった。
シリルは私に微笑んだ。
「先輩、僕を信じてくれますか?」
私は目の前の状況に眩暈を覚えた。
(どうして、こんなことに……)
動揺から思わずこめかみを押さえた私の耳に、ふと先日聞いた言葉が蘇った。
『しばらく、貴女様の運気は公私ともに大きな波があることでしょう。特に恋愛運は大荒れになる模様です』
それは、祭りに出ていた占いの席で運勢を見てもらった時の言葉だった。
普段は、私は占いのようなはっきりしないものを信じるたちではない。けれど、友人の付き合いで行った占いの席で私を見てくれた、年若き女性占い師の言葉は、思い返してみると最近の私の状況をよく言い当てていた。
(あの占い師の方、他に何て言っていたかしら……? 確か……)
私は、占いで聞いた言葉をなぞるように、怒涛のように起こった最近の出来事が次々と頭に思い浮かぶのを感じながら、まだどこか掴み切れずにいる目の前のシリルのことを見つめた。
***
「ねえ、ディアナ。せっかくだから、ちょっとこの後付き合ってくれない?」
私は仕事帰りに、同僚のリリーに声を掛けられた。
同僚であり、かつ気のおけない友人でもあるリリーは、瞳を輝かせて私を見つめた。
「今、王都の中心で建国記念祭をやっているでしょう? そこの祭りの屋台が並ぶ中に、高名な占い師様が出している占いの店もあるんですって」
ミーハーな彼女は、色々な噂にも詳しいようだったけれど、あまり占いに興味のない私は生返事をした。
「……ふうん、そうなんだ?」
「そうなんだ、じゃないのよ! あのレヴィ様と、そのお弟子さんが来てるらしいんだから! 凄く人気がある上に神出鬼没で、滅多に会えないんだから、もし見てもらえたら奇跡的よ。信じられないくらいに当たるんですって。……クールビューティーってよく言われるあなただって、表情を変えるくらい驚くこともあるかもしれないわよ」
わくわくした様子でぐいぐいと私の腕を引くリリーに、私は引き摺られるように付いていった。
(まあ、これから新人も入ってくるし、忙しくなる前に羽が伸ばせる最後のタイミングかもしれないもの。そういうのもいいかもしれないわね)
明るく賑わう祭りの場に、私の胸も心なしか跳ねていた。
祭りの行われている広場の中でも、占いの席の前には既に長蛇の列が出来ていた。でも、気心の知れたリリーとの会話に夢中になっているうちに、あっという間に時間が過ぎて順番が回って来た。
ちょうど、そのレヴィという占い師とお弟子さんの席が同時に空いたので、私はリリーに口を開いた。
「リリー、あなたはレヴィ様に見ていただく方がいいのよね、きっと? そちらへどうぞ」
「ありがとう、ディアナ。じゃあ、お言葉に甘えるわね」
私はリリーの横の、レヴィという占い師の弟子に当たるらしき女性の前に座った。
穏やかで人が好さそうに見える彼女は、私を見るとその琥珀色の瞳を煌めかせた。
「貴女様は今、随分と珍しい星周りの中にいらっしゃいますね」
開口一番にそう言われて、私は目を瞬いた。
「……そうなのですか?」
「ええ。今までは、貴女様はかなり堅実な人生を送っていらしたのではないでしょうか? 着実に努力を重ねて、努力と成果が比例することが当然であるような日々を」
「はい、それは仰る通りですね」
私が頷くと、彼女は続けた。
「けれど、これから、貴女様の人生で最も変化の大きな時期が訪れます。……しばらく、貴女様の運気は公私ともに大きな波があることでしょう。特に恋愛運は大荒れになる模様です」
「……」
私は彼女の言葉に口を噤んだ。同期のジョナスから申し込まれた婚約を、少し前に受けたところだったからだ。それも、いつか結婚するのなら、仕事に理解のある同僚の方がいいのではないかという、好きという感情よりは現実的な選択によるものだった。
これから好きになってくれればいい、というジョナスの言葉に絆されるようにして結んだ婚約を、どこか見透かしていたような様子の彼女は、私をじっと見つめた。
「理屈ではなく、貴女様ご自身の感情に身を委ねることをお勧めします。神様の掌の上で転がされているように思うこともあるかもしれませんが、悪いようにはなりませんのでご安心を」
「はあ……」
彼女は、戸惑う私に向かってにっこりと微笑んだ。
「貴女様は心の優しい方ですね。そんな貴女様のことをよく理解し、誰よりも心強い味方になってくれる方が現れることでしょう。これから、神様の悪戯とでも言うような、予想外の運命が貴女様を待ち受けています。大切なことを、一つだけ。幸運を呼ぶ鍵となるのは……」
占いの後で合流したリリーは、レヴィという占い師に占ってもらった内容を興奮気味に語っていたけれど、最後にふっと思い出したように私に言った。
「そう言えば。レヴィ様、弟子の占いはよく当たるってあなたに伝えておいて欲しいって、そう仰ってたわよ」
「そう……」
そんな占いの余韻に浸る間もないままに、その後に私を襲って来たのは怒涛のような日々だった。
魔術師団に入団して三年目となる私たちの代は、入ったばかりの新人たちの教育を請け負うことになっていた。今年の新人たちは、なかなかの曲者揃いだった。皆それぞれに一癖も二癖もある中で、ジョナスはエイダにだけは甘く、他の新人たちの指導はそっちのけで、彼女の側にべったりと張り付いていた。
自分自身の魔法の訓練と、指導では手応えも全然違う。どこか努力が空回りするように感じながら、私は慣れない新人たちの指導に必死になっていた。
神様の掌の上で転がされているどころか、もみくちゃにされているかのように、疲弊してぼろぼろになっていた私をよく気遣ってくれたのは、ジョナスではなく、落ちこぼれの烙印を押されていたシリルの方だった。
……彼の少し遅れていた魔法の練習に付き合ったり、励ましたりしていたこともあって、彼は私を気遣ってくれたのかもしれない。彼の魔法の練習に付き合うと、なぜか不思議と心も身体も軽くなるような気がした。彼は魔法の練習に真面目に取り組んでいたように見えたし、私は彼の出来が悪いとは思わなかった。
居残って彼に魔法を教えていると、何度か、本当に申し訳なさそうに「ごめんなさい」と謝られたけれど、別に謝る必要もないのにと思っていた。
ただ、彼についてはよくわからないことも幾つかあった。
新人の中では頭ひとつ抜けていたエイダのことを、彼はどうやら知っていたようだったこと。けれど、可愛く優秀な彼女に話し掛けられても嬉しそうにするどころか、彼はどこか引き気味だった。不思議に思って尋ねると、
「……僕、彼女苦手なんです」
とぼそっと一言だけ返された。
そして、実践演習のために魔物のいる森や湿地帯などに赴くと、ふっといつの間にか姿を消してしまうことがあったこと。
しかも、弱い魔物しかいないはずの演習の場で、いなくなった彼を探している時に彼の側で見掛けたのは、決まって危険過ぎる一級魔物の亡骸だった。
ある時など、慌てて彼の名前を呼びながら探し回っていると、私のすぐ目の前に大型の火竜が現れた。あの時は全身から血の気が引いたものの、いつの間にか現れたシリルが私を身体で庇ったかと思うと、目の前で火竜に雷が落ち、事なきを得た。
「すみません、ディアナ先輩。危険な目に遭わせてしまって」
「いえ、大丈夫よ。庇ってくれてありがとう。今のは……?」
「ああ。火竜に雷が落ちるなんて、ラッキーでしたね」
厚い雲に覆われた暗い空を見上げて、ふっと事もなげに笑った彼の言葉が、私はどうも腑に落ちなかった。
(これは、まさか彼の魔法? いや、でも新人の彼に、こんな雷を扱う上級魔法なんてさすがに無理よね……)
まだ、シリルのことは捉えどころがないように思えることもあったけれど、私を火竜から咄嗟に庇ってくれた彼に、婚約者がいる身でありながらも思わず少しときめいてしまったことは、そっと私の胸の奥にしまい込んだ。
***
「先輩、僕を信じてくれますか?」
そう言って私を見つめたシリルの瞳の輝きに魅入られるようにして、私は戸惑いながらもこくりと頷いていた。ジョナスが私を見て、顔を歪めて笑った。
「ディアナ、これで君はそこの落ちこぼれに命運を託したんだ。賭けの約束を忘れるなよ」
そう言うとすぐに、ジョナスはその手にバリッと稲妻を纏わせた。私の知る限り、同期で雷魔法が使えるのは彼だけだ。
容赦のない彼の様子に、私は顔から血の気が引くのを感じると、思わず祈るように両手を胸の前で組んだ。
「お願い、無茶だけはしないで、シリル。危険だと思ったら、すぐに降参して構わないから」
「いくら先輩の頼みでも、それだけは聞けませんね」
シリルは緊張も見せずに朗らかに笑った。ジョナスがシリルに雷魔法を放つと、途端に空が暗くなり、ジョナスの雷魔法を完全に打ち消すように、天を割るような稲妻が走った。
「何だと……?」
ジョナスの身体が稲妻の光に包まれ、身動きが取れないまま地面に倒れた。
あっという間に、二人の勝敗は決していた。
(嘘でしょう……)
呆気に取られながらも彼の魔法に感銘を受けていた私の周囲では、魔術師たちからもおおっという歓声とどよめきが上がっていた。
「こんな魔法、新人どころか、この魔術師団全体でも使える奴はほとんどいないぞ」
「……まさか、大魔法使いの子供っていうのは、彼だったのか?」
少し心配になって倒れたジョナスを見やると、エイダがジョナスに駆け寄る姿が見えた。
「ジョナス様っ!!」
さあっと顔を青ざめさせていた彼女に向かって、シリルは口を開いた。
「大丈夫、痺れて動けなくなっているだけだから、じきに動けるようになるよ。でも、今は彼に触らない方が……」
「きゃあっ!?」
シリルの言葉を聞かずにジョナスに触れたエイダも、淡い光に包まれた。
小さい悲鳴を上げた彼女の身体は、淡い光の中でゆらゆらと姿を変えていた。
「……!!?」
はじめ心配そうな視線をエイダに向けていたジョナスの顔が、みるみるうちに色を失っていく。
つい今しがたまでエイダがいたはずの場所には、小太りの中年の女性が座り込んでいた。エイダと同じなのは、その金髪と碧眼だけだ。
息を呑む周囲をよそに、シリルは私の耳元にひそりと囁いた。
「彼女、昔、僕の父と同じパーティーにいたらしいんですよ」
「ええっ!? じゃああなたのお父様は、もしかしてあの大魔法使いと呼ばれる……?」
驚きに目を瞠った私に、シリルは頷いた。
「彼女は父に長いこと片想いしていたらしくて、父が結婚してからも、父のことを付け回していたんです」
「では、彼女は……」
「僕が父の若い頃によく似ていると、外見を変える上級魔法まで使って、僕のこともここまで追い掛けて来たようで怖かったんですけど、ちゃんと相思相愛の人が見付かったようでよかったです」
私がそろりとジョナスに視線を向けると、青い顔をした彼に、もう痺れが抜けた様子のエイダが回復魔法を掛けていた。
「ジョナス様、これからも私がお支えいたしますからご安心くださいね」
重ねた年齢が感じられる、元の姿に戻ったエイダが、ジョナスに向かって満面の笑みを浮かべていた。
「……ひいっ!」
悲鳴を漏らしたジョナスに、シリルは淡々と告げた。
「ジョナス先輩が惚れ込んだと言っていた、彼女の魔法の力と、先輩を慕う気持ちは間違いないようですよ。……それから、ディアナ先輩」
シリルは私に向き直ると、徐に跪いて私の手の甲に口付けた。響いた軽いリップ音に、私の肩がぴくりと跳ねる。
「せっかく婚約者の席も空いたことですし、僕と婚約してはいただけませんか?」
「……!」
私は、占い師の彼女が最後に笑顔で私に告げた言葉を再び思い出していた。
『幸運を呼ぶ鍵となるのは、自分の勘と感情を信じて頷くことです』
シリルの鮮やかな雷魔法と、普段の彼の優しい気遣いとのギャップに、私の心にも痺れるような衝撃が走っていた。彼のことをもっと知りたい、もっと一緒にいたいという気持ちが、胸の奥から込み上げて来ていた。
「……はい」
惚けたように彼に向かって頷いた私に、シリルは小さくガッツポーズをしていた。前髪をかき上げて露わになった彼の顔が思いのほか美しかったことに、私は小さく息を呑んでいた。
「誰より大切にしますから、先輩のこと」
落ちこぼれと言われていた彼とは別人のように、自信に満ちた表情で笑った彼の腕の中に、私はいつの間にかぎゅっと抱き締められていた。
***
「……今まで力を隠していて、ごめんなさい」
神妙な面持ちで告げた彼に、私は尋ねた。
「どうして隠していたの? それほどの力があるとわかれば、はじめから皆、あなたのことを尊敬していたはずよ」
「それは、あのエイダを刺激したくなかったのがまず一つ。落ちこぼれを演じていたら、彼女はだんだん僕に興味を失っていったようでしたから。それに、今では彼女に結婚相手も見付かったことですし、僕もこれで安心して過ごせそうです」
ジョナスの青ざめた顔を思い出し、ほんの少しだけ憐憫の情を覚えたけれど、私ももう彼と関わりたいとは思えなかった。ある程度は自業自得とも言えるだろう。
シリルは言葉を続けた。
「それから、理由はもう一つあって。……父は、僕によく言っていたんです。困った時に手を差し伸べてくれる人こそが、本当に信頼できる人なのだと」
シリルは熱の籠った瞳で私を見つめた。
「先輩はどんなに疲れていても、いつだって僕を助けてくれました。わざわざ僕の魔法の練習に付き合ってくれた時、先輩にはいつもこっそり回復魔法を掛けていたんです」
「ああ、どうりで……」
身体が軽くなったのは彼の魔法のお蔭だったのかと、私はようやく合点がいった。それにしても、攻撃魔法も回復魔法も使いこなせる魔術師なんてあまりいないのに、彼はどうやら新人としては桁違いのようだ。
「先輩は、僕が強い魔物の気配に気付いて、皆を巻き込まないようにと僕一人で行方を眩ました時にも、危険がある中、僕を見放さずに追って来てくれた。あれには痺れましたよ」
彼は頬を染めると、私の手をそっと握った。
「僕、ディアナ先輩と婚約していたジョナス先輩に、ずっと嫉妬していたんです。だから、目の前であんな大きなチャンスが来て、みすみす逃す訳にはいかなかった」
彼の輝きの強い瞳に、私の心もどきりと跳ねた。満たされるような幸せがじわじわと胸に広がっていることを、私も認めない訳にはいかなかった。
(いつか、あの占い師の方にお礼を言えたらいいのだけれど)
彼女の言葉の通り、今までに経験したことも想像したこともなかった、私の人生を変えてしまう大波が来たようだった。
ふふっと笑った私を見て、シリルが首を傾げた。
「どうしたんですか、先輩?」
「いえ、何でもないの。……本当に、あなたには驚かされたわ。そんな風に私を想ってくれていたなんて、ありがとう」
繋いだ彼の温かい手を、私もきゅっと力を込めて握り返したのだった。
最後までお付き合いくださって、ありがとうございました!
占い師のカトリーナに気付いてくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございます。
もし「神官カトリーナの託宣帳」https://ncode.syosetu.com/n1610gr/
(新しい話の前編・後編を投稿しています)にもお付き合いいただけましたら、とても嬉しく思います。